何にでもなれる私 おもしろがって生きたい 俳優・市毛良枝さん

【Reライフフェスティバル2023春】「私らしく、歩く、生きる~午後5時24分からのReライフ~」(下)

2023.05.19

 アクティブ世代の自分らしい生き方を応援する大人の文化祭「朝日新聞Reライフフェスティバル2023春」が3月10日、東京都内のホテルで開かれました。4年ぶりのリアル開催で、会場は参加者の熱気に包まれました。出演者の一人、俳優の市毛良枝さんは「私らしく、歩く、生きる~午後5時24分からのReライフ~」と題し、自分自身を見つめ直すきっかけになった山登りとの出会いから、母の介護にのめり込んだ日々、自身のこれからについて、役者人生を振り返りながら語りました。お話の後編を紹介します。聞き手は朝日新聞Reライフプロジェクトの南宏美が務めました。

市毛良枝さん
俳優の市毛良枝さん

母が教えてくれた「楽しむことをあきらめない」

――市毛さんにとって自分らしく生きるとは。

 「自分らしく」。きっと一生それをみんな探りながらなのでしょうね。今だって私、自分らしいかどうかわからないです。

 母を介護していて大変だったことはいっぱいありますが、母は最後まで楽しいことをあきらめずにいてくれました。やりたいことを聞くと「海外に行きたい」と言ったんです。行くならリハビリもちゃんとしなきゃいけないし、病院にも行かなきゃいけない。1年間、母の体のメンテナンスをしながら、母もそれを目指して頑張って、98歳10カ月で行きました。大変だったんですけど1週間ほどの滞在で毎日毎日元気になる。日々顔が変わっていって目がキラキラしていきました。海外が大好きな人でしたから。

 帰ってきたときにショートステイなどでお世話になっている介護施設のスタッフさんたちが「大変だと思いますけど、いくらでも(海外に)連れてってください」とおっしゃった。結局、それが最後(の海外旅行)になってしまったんですけど。

 その後、母はどんどん衰えていく中で、できないことは増えていくけれども、自分が楽しいと思うことを絶対に捨てなかった。その姿を見せてもらったときに、「私もそうでありたいな」と思いました。楽しむことは他人が代わりにできない。「自分らしく生きる」というのは、「自分が楽しくいられることを自分でつくっていく」ことかなと思います。母は最後までその楽しみを捨てなかった。自分もそういうふうにありたいなと思っています。

「人生の午後4時」から見える景色

――昨年、主演された「百日紅(さるすべり)午後4時」という舞台はどんな作品でしたか。

 私は66歳の未亡人で、ボーイフレンドができて、子どもや兄弟を(家に)呼んで…というところから(始まる)ちょっとしたコメディーです。24時間を一生として計算すると、66歳が午後4時。舞台の中で私がこれから一緒に暮らすパートナーが「今ちょうど4時だよ」というセリフがあって、「私たち、まだこれからパーティーにも行けるのね」みたいな雰囲気で終わるお芝居でした。(実際も)ちょうど午後4時に終わる舞台で、お客様もご覧になって外に出られると、まだ明るくて「午後4時ってまだまだいろいろできるわね」と思ってくださったみたいです。

 (舞台出演は)7年ぶりで、ましてこの年になってできるのかなという不安もあったので一歩踏み出すのも怖かったんですけど、踏み出しました。ある意味大冒険でしたが、結果としてすごく楽しかった。

 ずっと長いこと俳優というものに対してコンプレックスがあって、俳優という人生しか選んでいないというくらい仕事に邁進(まいしん)する、本当にすごい人たちばかりを見てきました。どこかで私は片足を普通の生活に置いていたり、登山をしていたり、何か色々なところに足をいくつも置いて、あれもこれも好き、あれもこれもやりたいと、何か覚悟を持って俳優として生きていないんじゃないかみたいな気分がずっとありました。

市毛良枝さん
俳優の市毛良枝さん

 ですが、「50年も何とか私はこの仕事をさせていただけたんだ」と思ったとき、「だったら、私がやっていくべきことがある、とどなたかが思ってくださったのかもしれない。だとしたらどこかで頑張って全うしなきゃいけない」と思ったんです。

 あれもこれも捨てられない私としては、今からどう頑張ったって、あのころの輝ける名優たちのようにはなれない。そういうタイプの人間じゃないので。でも、色々に形を変えながらもこの業界を隙間産業のように生きてきた私を皆様が認めてくださるのならば、私のできることをやっていきたい。死ぬときに俳優であってもなくてもあの時代を知っていて名優たちの生きざまみたいなものを近くで見ていた。その人たちのおもしろさというのを普通にしか生きられなかった私でも知っているわけですね。そういうことも伝えられるかもしれない。

 私の人生で言うと、「これから先、また誰になっちゃうかわかんないもんね。誰になっちゃうかわかんないけど、なっちゃった私をおもしろがって生きられたらいいかな」と思っています。

「できない」から「できるかもしれない」へ 人間の思いが持つ力

 登山をやって初めて本当に人間の肉体みたいなことに目を向けることがあり、自分自身の肉体を追求していく中で、親のリハビリで理学療法士と一緒にいろいろやり始めたり、ダンスをやったらまたここのおなかの筋肉を上げてと言われたりするわけですね。そうやって色々なことをやっていくうちに、人間の肉体の持っている可能性や、人間が思いを込めたら何かできることが増えていく。

 「できないかもしれない」と思っているとできないけど、「できるかもしれない」と思っているとできてしまうみたいなことも、学術的な裏付けはないけど、体感としてあります。例えば、スキーをしていて「転んじゃうかも」と思うと転んじゃうけど、「大丈夫かも」と思うと転ばない。セリフでも「長ぜりふで覚えられないかもしれない」「途中で言えないかもしれない」と思うと、「ああやっぱり失敗しちゃった」となる。「なんとか言えるかも」と思うと本当に危ないとこでも言えるようになって「無事に言えた」みたいなことがある。やっぱり人間の思いの力はすごく大きい。

 若いとき、全てをネガティブに考えてあれもできないこれもできない。いっぱい言い訳をしてきたけど、私でもなんとかこの年までこうやって仕事をさせていただけて、だったらその中で私らしい仕事をしていこう。何かの形で社会のお役に立てたら。これから何かになるわけではない年齢だとすると、逆に言うと何にでもなれる。

――市毛さんの現在のご年齢を先ほどの24時間で換算すると、午後5時24分です。どんな人生にしたいですか。

 今までお世話になってきた色々な方へのお返しという意味で言うと、地域に貢献していきたい。本当に色々な地域、色々な形で、やり方があると思いますが、地方文化をもう1回立ち上げる仕事とか。それからいま私は朗読で、声だけで何かを伝えるというのがすごく楽しくて、そういうものを舞台みたいな形でやっていきたい。また、今年は山の本を書くチャンスをいただきました。本当に久しぶりだし、昔ほどすごくたくさん(山に)行っているわけじゃないけど、山を通じて私が変わってきたみたいなことが一つの形にできたらいいかなと思っています。

(文・松崎祐子、写真・伊藤菜々子)

 

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  • 市毛良枝
  • 市毛 良枝(いちげ・よしえ)

    俳優

    1950年、静岡県出身。文学座付属演劇研究所などを経て、71年にドラマ「冬の華」でデビュー。77年のドラマ「小さくとも命の花は」で人気を集める。40歳で登山を始め、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロにも登頂した。NPO法人日本トレッキング協会の理事を務め、環境保全の取り組みを助言する環境省の環境カウンセラーにも登録。著書に「山なんて嫌いだった」など。

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