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心写す風景画 圧巻の障壁画 

読者会議メンバーが鑑賞した「東山魁夷展」

更新日:2018年12月13日

「国民的画家」とうたわれた東山魁夷(1908-99)の生誕110年を記念した展覧会が今年、京都国立近代美術館と東京の国立新美術館で開かれました。日本人の自然観や心情までも反映したと評価される作品の数々を鑑賞した読者会議メンバーの感想を紹介します。


  圧巻の唐招提寺御影堂障壁画
 生誕110年を記念して開催された展覧会、娘を誘って鑑賞に向かいました。若い頃より大変好きな画家の一人であり、特に同系色で描きながら、奥深さや季節感などが伝わる画風に心惹かれていきました。
 今回はそうしたなじみ深い作品の他に、京都の街並みや、北欧の風景、ドイツなどの石造りの建物など、あまり知らなかった側面も見ることができました。
 圧巻だったのは、構想から完成まで10年を要した唐招提寺 御影堂障壁画です。この作品で初めて水墨画に挑戦されたことなど、70歳を過ぎても新しいことへ取り組む姿勢にただ感服しました。また、この期間、白馬が現れた作品が、作家の精神世界を垣間見るようで、改めて感動しました。
 絶筆となった作品は、墓地から見える風景と亡くなった家族になぞらえた4本の木など、まるで予言のようで、風景画の形をとった作家の心象画が、本当に深く心に残り、会場を後にしました。(東京都 国本 文子さん 50代)

 「白馬」の出現と「祈り」の現れ
 予想通り大勢の来場者で混雑の中、数々の大作を間近で観ることが出来て感激しました。特に唐招提寺御影堂障壁画の再現展示は圧巻で、画家が初めて挑戦した水墨画は深く心に響くものを感じました。
 よく知られている白馬のいる風景画は、1972(昭和47)年の1年間しか描かれていないモチーフだということを今回初めて知り、東山魁夷が「絵を描くことは祈り」と語った思いが伝わってきて画に引き込まれました。(神奈川県 津梅 恵利子さん 60代)

 心救われた1枚の絵
 唐招提寺御影堂の障壁画を楽しみに出掛けました。今にもさざなみの音が聞こえてくるのではないかと思わせる描写に、しばし時を忘れ見いってしまうほど、圧巻の一言でした。細やかな色使い、潮の香りすら漂ってくるように感じました。
 私が一番好きなのは《冬華》(1964年)。最近悲しいことがあり、現実から目を背けるように、仕事にのめり込む日々を送っていたのですが、痛みも苦しみもすっぽり包み込むかのように、暖かく写り、涙が溢(あふ)れました……。心が救われたようで、出掛けて良かったと思いました。 (埼玉県 野本 ひろみさん 50代)

  作家の思い伝わる初対面の絶筆
 テーマ別、年代順に展示してあり、とても分かりやすかったです。東京国立近代美術館や長野県信濃美術館・東山魁夷館、昨年2月には水戸の茨城県近代美術館で開催された唐招提寺御影堂障壁画展にも足を運びました。水戸と同じように唐招提寺御影堂の内部をうまく再現されて感動です。何度目にしても感激の大きさは変わりません。
 《道》(1950年)の印象が深く、昨年はモデルとなった青森県八戸市の種差海岸も歩きました。すべての作品が大好きですが、特に京洛四季《年暮る》(1968年)が心にしみて、山種美術館に何度も会いに出かけます。今回の展覧会では、習作の展示がありがたかったです。
 絶筆となった《夕星(ゆうぼし)》(1999年)だけは落款が見当たらず、未完成ということか、また終わりにしたくなかったのか……初めて対面した印象深い作品でした。
 今年は同じ生誕110周年の東京美術学校同期の田中一村の展覧会も、滋賀県にある佐川美術館、箱根の岡田美術館、そしてこれから奄美の田中一村記念美術館へと足を運びます。明暗が分かれますが、やはり大好きな忘れられない画家なのです。私にとって特別な年の締めくくりとなりました。感謝です。(神奈川県 與田 智子さん 60代)

 紅葉狩りの気分味わう
 あまり絵には興味のない主人と一緒に行かせていただきました。土曜日だったせいか、入場するのにも並び非常に混んでいました。
 私は途中から少し人に酔い、ゆっくり鑑賞できなかったのが残念でしたが、独特の青、藍、緑というか深い素敵な色合いは、静寂な景色を更に深くし、癒やしてくれました。
 また今の季節と重なる、落葉樹の色彩もとても見事で、写真かと見間違うくらいに細やかであり、鮮やかで、展覧会で紅葉狩りができた気分を味わえました。後半の水墨画も更に静寂さを増し、素敵でした。普段絵に関心がない夫のほうが、私より時間をかけて観て回っていて感動していました。(神奈川県 池田 直美さん 50代)

 「国民的画家」たるゆえんを知る
 「静謐(せいひつ)と鮮やかなモノトーンの国民的画家」というのは誰もが納得できる評価だろうし、それを求めて人々は展覧会に来るだろうと思う。
 しかし、会場に到着するや閉口してしまった。平日の午後というのに、チケットを買う行列、ヒトのあふれるホール、よどんでなかなか動かない人群、騒然とする会場。これが国民的人気画家の力なのか。東山魁夷は不思議な画家だ。だれもが知っているが、熱狂的なファンも、嫌いという人もほとんどいないように思う。これこそ国民的画家の資質なのかもしれない。
 会場に入ると、出世作《残照》(1947年)が迎えてくれる。夕暮れの山なみがグラデーションして、悠久の時間の流れと空間の広がりを感じさせてくれる雄大な作品だと思う。でも、この絵には続きがなかった。
 その後描かれた絵は、強調された水平線の構図と単色のグラデーションのなかで、時間の流れは消失していく。水面にはさざ波すらたたず、リアルな白馬たちは歩いているそぶりをするもののどこにも行くことはなく、幻影にすらみえる。美しいけど不気味なのは、時間が存在していないからか。ほんとうに白を使うのがうまい画家で、白が使われない絵は何かしまりがなくて物足りなく感じてしまう。
 絵はそこで止まることなく変遷していく。全体を描くのでなく一部切り取った小さな空間を対象にして、出色の作品が生みだされていく。《年暮る》(1968年)や《窓》(1971年)、《東福寺庭》(1964-66年)、《行く秋》(1990年)などだ。
 そういう流れがよく理解できる展覧会であった。(岐阜県 安藤 聖さん 50代)

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