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「生きていれば会ってみたい」 幕末の探検家の偉業知る 

読者会議メンバーが鑑賞した「松浦武四郎展」

更新日:2018年12月12日

 「北海道の名付け親」として知られる松浦武四郎(1818―1888)。東京・二子玉川の静嘉堂文庫美術館で今秋、幕末の北方探検家、古物コレクターという両面に焦点をあてた「松浦武四郎展」が開催されました。来春のテレビドラマ放映も決定し、にわかに注目が集まる「旅の巨人」の足跡を鑑賞した読者会議メンバーの感想を紹介します。


 「会ってみたい」と思わせる人物
 生きていれば会ってみたいと思わせる人だった。三重県に生まれた四男坊で若くして江戸に出た。同じ四男で18歳で東京に出た私は、その境遇に似たものを感じ殊の外親しみを覚えた。
 幕末の蝦夷地を計6回も訪れて残した地図には目を見張らされたが、画家かと思わせるような精緻(せいち)な絵付で書かれた北海道の日誌の数々は民俗学を学んだ私にとっては興味あふれるもので、できることならすべてのページを見てみたいと思った。
 そして、もう一つの「個性」が収集癖。癖と言っては失礼かもしれないが、縄文の垂飾(たれかざり)から世界の珍品まで……。そして、晩年、その収集品に囲まれ、妻が寄り添う自らの涅槃(ねはん)図をあの河鍋暁斎に描かせてこの世を去ったというのだから、あっぱれな生きざまという以外に言葉が見つからなかった。(東京都 一言 庸夫さん 60代)

山好きの自分も、あやかりたい
 かつて、北海道の独特の地名はアイヌ語の呼称に漢字を当てはめたからと聞いた。「最初に作業に取り組んだ役人はさぞかし楽しかっただろうな」と亡き夫が羨望(せんぼう)を込めて語っていた。
 松浦武四郎は16歳から全国各地を旅し、中国、インドを目指すも鎖国制度で断念。長崎でロシア南下の危機を知り、28歳で未開拓の蝦夷地(北海道)にわたった。
 探検家・役人として計6回、くまなく探検して詳細な記録を書き残し、「北海道」の名付け親にもなった。さし絵をふんだんに使った著作や地図は見ているだけでも興味深い。あの時代に、71歳まで精力的にかつ心の余裕をもって生きた姿に感嘆し、うらやましく思った。
 晩年は骨董(こっとう)品収集を趣味としたが、膨大な品々には驚かされた。勾玉(まがたま)のネックレスは素晴らしかった。
 68~70歳まで3度の大台ケ原登山に加え、富士山にも登ったとのこと。山好きな私は、心からあやかりたいと願った次第である。(東京都 源生宣子さん 70代)

  貪欲な好奇心に感動を覚える
 松浦武四郎のことは北海道の探索で有名であると存じていましたが、そうした旅行の途次(とじ)を中心に収集した「古物」のコレクターとしても大変な人物であったと知り、興味深く思いました。
 130点あまりの展示物は北海道の地図や克明な日誌から始まり「大首飾り」に至るまで、彼の好奇心の貪欲(どんよく)さが示されていて感動すら覚えます。幕末の激動の時代に、いわば「独立独歩」で、自らの信念を貫き通した彼の行動に拍手を送りたいとさえ感じます。そんな彼の生き様がこの企画展開催で広く知れ渡ったことを大いに喜びたいです。
 個人的には河鍋暁斎が描いた「涅槃(ねはん)図」を印象深く鑑賞しました。彼を巡る多くの人物ばかりでなく動物なども悲しむ様子が書き込まれ、「ブッダ=松浦武四郎」の存在が明確化され素晴らしかったです。出来得れば複製でなく本物を見たかったです。(東京都 渡辺 直彦さん 70代)

  展覧会がくれた知的好奇心
 庭園風の広い敷地の一角のある端正な施設でした。残念ながら、期待していた蝦夷地(現北海道)や樺太(サハリン)での、地域の住民たちとの交流を含む、武四郎の探索の実態は、展示がとぼしかった。ただ、体力の衰えを感じて、旅を止めて以後の、古物蒐集(しゅうしゅう)家としての武四郎を知ることが出来ました。
 翡翠(ひすい)、瑪瑙(めのう)など、比較的大きくて多様なジュエリーの首飾りが展示され、武四郎がそれを首から掛けて、腰にまでに達している写真は愉快でした。また、その蒐集品も多様です。
 ある先輩から、仕事の手伝いや旅行に誘われて北海道に強く引かれるようになり、その先輩から松浦武四郎の業績を教えられ、さらに江戸幕府のアイヌ収奪に強い憤りを感じていた僕は、アイヌと平等に接し、アイヌの言葉を大切にして地名に残した仕事にも尊敬の思いをいだきました。
 松浦武四郎に関する本を探し出して、読みふけりたいと強く思うのも、今回の展覧会がくれた貴重な刺激だと思います。(埼玉県 大野 和美さん 80代)

 「第二の故郷」想起させてくれた
 1960(昭和35)年、高校の日本史で蝦夷地を探検した幕末の間宮林蔵、伊能忠敬、高田屋嘉兵衛らについて学んだ。その中で「ホッカイドウ」という名を遺(のこ)した松浦武四郎も知った。私は間もなく北海道の歴史の浪漫に憧れ、北海道の大学を選び北海道は第二の故郷になった。その後北海道を離れて45年、今回の招待券を頂いたので、北海道時代を思い起こしながら、世田谷の瀟洒(しょうしゃ)な美術館を訪ねた。
 武四郎の探検は計6回試みられたが、海岸伝いから次第に奥地に入り、果ては樺太、千島列島にまで足を運んだという。言葉の通じないアイヌや北方民族の地での探検は想像を絶する苦難だったに違いない。そんな彼が、探検を終えて「北加伊道」(アイヌ人が蝦夷地を「カイ」と呼んでいたことに由来)と称したため、新政府が「北海道」と命名したとされている。しかし、その後は新政府の開拓政策が彼の意に沿わず、北海道から離れ古物の収集家になって全国を行脚したという。松阪市にある松浦武四郎記念館も、ぜひ訪ねたい。(神奈川県 中村 逸さん 70代)

 きれいな庭園と眺望 小さな冒険に胸踊る
 二子玉川も静嘉堂文庫美術館も、はじめて訪ねる場所で、小さな冒険に挑むような、ワクワクを胸に家をでました。緑豊かな住宅街にある美術館は、こぢんまりしていて、足腰が疲れやすい私には、ちょうどよかったです。晴れた日には富士山が見える(らしい)庭園もきれいでしたし、園内にある岩崎家の墓地を拝見でき、お得な気分になりました。
 欲を言えば、展示品や添えられた案内文が、探検家というより、収集家としての武四郎に焦点が当てられているように感じられたこと。武四郎がなぜ北海道をめざしたのか、何度も足を運んだのはなぜか、彼の人生をもう少し掘りさげていただけると、より興味深く観賞できたように思います。(千葉県 浅野 佐和子さん 50代)

  もっと知りたいアイヌの人たちとの交流
 道産子の自分には、名前の残る人物でありましたが、こんなに蝦夷地に足跡を残して、道内はもとより樺太・千島と6度も渡来したのは、初めて知りました。なじみの人物写真にあった「大首飾り」の実物には圧倒されましたし、絵や和歌入りのカラフルな多気志楼物(日誌)にも、武四郎の思いが感じられ見入りました。更に感動したのは起きて半畳、寝て一畳を実践した書斎と、自らが中心の涅槃(ねはん)図の多彩な絵物語でした。
 ただ、日誌の中身や蝦夷地でのアイヌの人たちとの交流の苦労話などがもっと知りたかったとは思いました。春のTVドラマが楽しみです。150年前の北海道の名付け親に感謝の気持ちです。これからも故郷北海道に熱い郷愁を持ち続けていきたいと再認識しました。(埼玉県 櫻井 省三さん 70代)

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