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横浜の生糸王にして数寄者 原三溪が持つ驚異の目利きとは 

読者会議メンバーが観た「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展

更新日:2019年09月12日

 明治から⼤正、昭和初期にかけて⽣⽷貿易で財をなし、横浜に著名な庭園「三溪園」を造園した実業家・原三溪(本名・富太郎、1868〜1939)が収集した古美術品などの⼤規模なコレクション展「原三溪の美術 伝説の大コレクション」(横浜美術館)を鑑賞したReライフプロジェクト読者会議メンバーの感想を紹介します。


 こころ癒やされる 時を忘れられる空間
 横浜で生まれ三溪園には幼い頃から日本家屋や季節の花を観賞して参りました。今回の三溪コレクション勢ぞろいの美術展には期待に胸を膨らませ、母と一緒にうかがいました。
 プロローグで三溪作の《白蓮》の美しさに目を奪われます。彼は親しい友人たちに白蓮の絵を贈られていたようです。三溪のお人柄が感じられる絵です。
 三溪16歳の頃に描いた《乱牛図》は青年の迫力を感じました。原家に入ってからコレクターとしての長年の美術品売買実績が記録されており、井上馨氏から当時一万円という破格で購入した《孔雀明王像》はため息の出るほどの繊細で美しく妖艶(ようえん)な平安仏画でした。とにかく、素晴らしいです。
 そして、伝雪舟等楊の《四季山水図巻》は三溪が終生愛した作品です。亡くなる前々日まで枕元にひらいて生涯最期の鑑賞をしていたそうです。室町時代の美しい山水図巻です。最期まで美しい絵を心から愛していた三溪を感じることが出来ました。
 パトロンとして支えた下村観山の《大原御幸》は平安物語の絵巻で見応えがあります。《白狐》は品格があり優美でキツネの毛並みが浮いて見え、キツネの誠実で見抜かれるようなまなざしに釘付けされました。ゆっくりと鑑賞していたらもう夕方に……。何時間でも居られる素晴らしい空間。心癒やされる展覧会でした。(神奈川県 松下雅子さん 50代)

  見えてきた 希代の数寄者の人物像
 開館30周年をむかえた横浜美術館で、生誕150年、没後80年という節目に三溪旧蔵の名品たちが横浜の地に里帰りしています。実業家で、コレクター、茶人、アーティスト、支援者(パトロン)という、まさに数寄という言葉があてはまる原三溪でした。研究者の視点を持ち合わせ、詩、書、絵を生み出す文人であった希代の近代数寄者であることなど、丹念に紹介しており、原三溪の人物像がよくみえてくる展示でもあります。
 原三溪が思い描いた美術館設立はかないませんでしたが、本牧の地に造園し生前より園内を市民に開放した三溪園の古建築と四季を展覧会と共にお勧めします。(神奈川県 三木彰さん 40代)

 美術品の海外流出をくい止めた財界人の思いは
 Reライフからはじめて招待券を頂き、友人とみなとみらいに出掛けました。当日はポケモンが出没するとかで、駅周辺はにぎわっていましたが、美術館は静かでゆっくりと観賞することが出来ました。
 三溪園の庭園と建物群は、何度か訪れて眺めたことがあります。その折、あの中に飾られていたと思われる美術品や、茶会で用いられたと思われる茶道具に、強く心ひかれました。今回、それらをまとめて見られたので、おおいに満足致しました。ただ国宝の孔雀明王像が、展示期間を過ぎていて、見られなかったのは心残りでした。原三溪、益田鈍翁、高橋箒庵などの戦前の財界人が、明治維新や廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の混乱の中で、美術品の破壊や流出をかなりくい止めてくれたことに改めて感謝しました。それらがあちこちの美術館に収蔵されて、令和の私たちの観賞に供されているのですね。(東京都 向山靖子さん 70代)

 コレクションの数の多さ素晴らしさに驚く
 原三溪展を見て、彼のコレクションの数の多さと、それぞれの管理のすばらしさ、また彼個人の美術品に対する評価の素晴らしさに驚きました。
 三溪園を5~6年前に訪れた時には、「すごい財産家であり、所蔵品も多いのね!」程度にしか感じていませんでした。展示作品を見て、これらの重要な美術品を数多く現在に残してくれたことに感銘を覚えます。多くの美術品が海外に流れてしまっている中で、この残された美術品を日本は大事にしていかねばならないとつくづく感じました。
 一通りガイドを利用して、自分で見て回ったのち、ギャラリートークを聞いてさらにもう一度巡ってみて、とても楽しみました。(千葉県 大橋ちづるさん 70代)

 三溪さんにどうしても問いたいこと
 入園して、すぐにカモたちが旅立ちの準備運動している広々とした池、向こうの山の上には三重の塔がそびえており、とても明治維新後に一個人が造った庭園とは考えられない。
 前回訪れた時、このあたりの梅の花が、香りとともに迎え入れてくれ、古民家には古い雛(ひな)飾りや、私の子ども時代の養蚕道具や糸ひき道具も展示され、祖母や母時代の雛たちとともに半世紀前の故郷での生活を思い起こすひと時だった。
 展示品は、実業家一人の収集物とは考えられないほどの絵画、書物、茶わんなど。しかし、歴史的に系統立ててもなく、作品が生まれた感動も少ない。私にはただ高価な価値の作品として売買された感じがしてならない。作品のためにどれだけのお金が飛び歩いたのだろう。どれだけの貧しい農民が泣いたのだろう。私の祖先もその一人だった。
 所狭しとばかりに展示された作品のなかから、私にも時間とお金があれば、ゆっくりと読みたい絵巻物もみつかった。ただ、会場で多くの作品に圧倒され、作品の良さよりも成り金さんのお金に物を言わせて集めた収集品のお披露目にしか思えない心の貧しさを感じる私でもあった。
 芸術家のパトロンになったとか、富岡製糸所を買い取ったとか、素晴らしい功績もたくさんあったようだが、子どもを学校にもやれない貧しい農民が、昼夜なく育て上げた蚕が作った産物で得た富だということを忘れてはいませんか?と問いたくなった。(埼玉県 稲垣操さん 70代)

 客観的に見つめることができた自筆の書画
 酷暑が続いた日の幕間(まくあい)のような真昼に、天が落ちてくるほどの豪雨の通り過ぎた直後、横浜美術館に足を運び、原三溪の自筆になる書画をみてきました。さらに、本牧にある三溪園では意識できなかった『審美的観照』でした。自分では意識していなかった身体のどこかの部分を刺激され、プロローグを始めコレクター三溪など、それぞれに自身の内なる焦燥の感を覚えながらみてきました。
 私自身には、絵心も、審美眼も、財力も全くないことに、従前そんなにも落胆してはおりませんでしたが、明治の初年に生を受け、激動の世の移り変わりにしか分からないであろう感覚を多少なりとも覚えた自身に驚きと憤(いきどお)りを禁じ得ませんでした。(神奈川県 渡邊廣記さん 60代)

 見応えある優品 展示の工夫でさらにわかりやすく
 原三溪のことは「貿易業で成功を収めて三溪園を造園した人」ぐらいの認識だった私にとって、「アーティスト」「パトロン」「コレクター」「茶人」という四つの部門で構成する展示は、三溪を理解する上でとても分かりやすいものだった。
 三溪自身が書画をたしなまれていたことは知っていたが、今回、三溪の作品を多数見ることができたのは貴重な機会だった。好んで描いていたというハスの花はもちろん、セキレイや鵜などの鳥類、風景の掛け軸なども見事だった。
 支援した美術家たちの作品、コレクターとして収集した絵画、茶道具など、国宝や重要文化財も数多くあり、大変見応えがあり、作品の買入覚なども興味深かった。
 横浜という場所といい、展示内容も展示の見せ方もとても素晴らしい展覧会だった。(東京都 斎藤ユリさん 50代)

美術館探訪(アート部)の連載

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