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【読者会議】思い出いっぱい 私の宝物 

<Reライフアンケート>あなたの宝物は?

更新日:2019年06月16日

 先日亡くなった田辺聖子さんは、小説にこう書いています。「人生はトシ相応のタカラがゆく手ゆく手に埋められてある」。アンケートに有形、無形の様々な宝物が寄せられました。


東京五輪 サインも紙袋も収集

 日の丸のエンブレムのワッペン、記念のメダルや切手、公式ポスターと同じ意匠の風呂敷。競技の実況中継を収めた磁気テープ……。東京都目黒区の一言庸夫(ひとことつねお)さん(69)は、1964年の東京五輪の時に集めた品を今も大事に持っている。

 当時、中学3年生。陸上部の主将で、五輪を人一倍、心待ちにしていた。「関係するものは何でもほしかった」が、静岡県に住んでおり、容易ではなかった。組織委員会や作った会社に片っ端から手紙を書き、送ってもらった。

 「オリンピアス」というたばこの聖火ランナーが飛び出すディスプレーは、たばこ店に頼み込み、色あせたころにやっと譲ってもらった。市川崑監督の記録映画のポスターは、上映最終日に映画館に駆けつけて手に入れた。茶箱に収めた宝物は250点を超える。

 中でも思い出深いのは、エンブレムが入った白いユニホーム。「リレー隊員」として、聖火ランナーの随走者を務めた時に着たものだ。「聖火の煙が沿道の人垣の中にこもり、時々ものすごく苦しかった」と振り返る。

 「これは、めちゃくちゃ貴重です」。そう言って包み紙から取り出した緑の表紙のノートには、五輪前の強化合宿で陸上の選手たちにもらったサインが残る。「あの人は有力だから」と言われて頼んだ選手は、靴ひもを結ぶ手を止めて応じてくれた。そして、ひらりと駆け出した。何周回っても、少しもスピードが落ちない。「機械みたいだ」とあっけにとられた。鉛筆書きの名は「円谷幸吉」。東京五輪のマラソンで銅メダルに輝き、後に命を絶ってしまう孤高のランナーだった。

 「五輪は今のように商業化しておらず、もっと身近なものでした」。地元の百貨店の紙袋には、陸上のトラックのようなデザインに「オリンピックに協力しましょう」の文字。茶業組合が作ったと思われる新茶のポスターには、「味も香りも金メダル」。一言さんのコレクションには、皆で五輪を盛り上げようとしていた当時の空気が詰まっている。地方の陸上少年の憧れも、また。


■ 家族で集めた貝10万点

 幼いころから休みの度に家族で出かけ、山ではチョウをつかまえ、海では貝を拾いました。貝の収集はもともと母の趣味で、水泳の選手だった学生時代に遠征先の海で集め始めたようです。漁師さんと親しくなり、網に入ったものをもらうことも。インターネットなどない時代、時には博物館の先生に見てもらって種類を調べました。ざっと4500種10万点が集まり、実家の標本室に飾っています。
(東京都 石塚治子さん 75歳)

■ 「一生モノ」の裁ちばさみ

 小学生の時、親が家庭科の授業のために買ってくれた裁ちばさみ。「一生使いなさい」と言われましたが、他の子とは違うし、裁縫セットにも入らず、正直ちょっと嫌でした。でも、使い続けるうちに「これでよかった」、さらに「これがよかった」と思うように。子どもが小さいころは洋服作りに活躍しました。「使ったらさっと拭き、布地以外は絶対に切らないように」との約束を守り、50年近く愛用しています。
(岐阜県 安藤知里さん 58歳)

■ 「勉強続けて」恩師の言葉

 「勉強はどこででもできる。諦めずに頑張って勉強を継続しなさい」。私が故郷・熊本を離れた時の恩師の言葉です。離島の中学を出て名古屋の会社に集団就職しました。島に高校はなく、家も貧しくて進学できませんでしたが、学業を諦めきれず、学べる環境を求めて「少年自衛隊」(現・陸上自衛隊高等工科学校)へ。その後、別の会社に再就職し、経営幹部まで務めました。恩師の顔と言葉は、今も忘れません。
(神奈川県 森俊一さん 76歳)

 Reライフ面では月替わりのテーマで皆さんの意見や体験談をお寄せいただき、紙面で取り上げます。最新のReライフ面アンケートの詳細はこちらページでご確認ください。
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