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【読者会議】今の私 つくった出会い 

<Reライフアンケート>人生を変えた出会いは?

更新日:2019年08月04日

 人生を変えた出会いはありますか? アンケートで尋ねたところ、恩師や恋人、上司などとのエピソードが寄せられました。幼い頃の出会いが一生を決定づけた人もいました。


「口より実行」心に担任の教え

 「きむらせんせい いつもありがとう」

 大阪府吹田市でクリニックを開く小児科医、木村弘子さん(83)の診察室には、子どもたちから贈られた手紙が束になって貼られている。「好きとしか言いようがない。仕事をした次の日にぽっくり逝ったら、それでも良いかなあと思っています」。そんなふうに思える仕事に就いた原点には、小学生時代の出会いがあった。

 1943年、小学2年生だった木村さんは、東京から千葉県東金町(現東金市)の叔父の家に1人で疎開した。周囲には疎開してきた子はおらず、叔父の家にもなかなかなじめなかった。「孤独な子どもだったと思う」と振り返る。翌年、叔父が亡くなった。生と死について考え、「私も死んだら土にかえっていくのかしら」と不安を感じるようになった。

 4年生の時、担任になったのが飛田つう先生だった。厳しかったが、木村さんのことを気に掛け、よく声をかけてくれた。飛田先生は、黒板の上に「口より実行」と毛筆でしたためた紙を掲げた。木村さんはその教え通り、「『できない』ではなく、できるようにやらなくちゃ」と行動するようになった。一生懸命何かに取り組んでいるうちに、不安な気持ちが抜けていくことに気づいた。


 その年の夏、終戦を迎えた。木村さんは東京に戻ったが、翌年、飛田先生から「夏休みを私の家で過ごしませんか」という手紙を受け取った。当時の東京は食糧難で、父は秋田まで母の着物を売りに行くこともあった。喜んで再び千葉へ。蛍狩りや地引き網、真っ白いご飯に取れたての魚介類……。東京ではできない様々な経験をし、幸せな1カ月を過ごした。

 その後、「飛田先生のように、人に役立つ人間になろう」と考えて医師になり、子どもを連れて米国留学もした。息子と娘も同じ道に進んだ。

 傘寿を過ぎた今も、朝から午後2時ごろまで午前の診察をし、午後3時から夜まで午後の診察をする日々を続けている。患者の中には母から祖母になり、孫を連れてくる人もいる。「先生もお大事に、と言われるんです」と笑う。

 「人間は大河の一滴。一滴として、自分に与えられた使命を全うして生きていこう」と思ってきた。根底には飛田先生の教えがある。「小さい時に素晴らしい先生に出会えて動機付けをしてもらい、生涯その思いで生きてこられた。本当に感謝です」


■ 保健師さんに憧れ 自分も

 娘は大きな病気を持って生まれ、1年1カ月の入院生活を送りました。そして、たくさんの医療機器とともに退院。家に帰ってきた時に不安でいっぱいだった私を励まし、共にいてくれた保健師さん。おかげで子育てができました。その方に憧れて38歳で看護大学に入り直して保健師になりました。実習先の保健所で偶然再会。すごく喜んでくださいました。保健師として丁寧にお話を聞く姿勢は、その方が基本になりました。
(茨城県 杉井智子さん 58歳)

■ 新聞の記事を読み 技師に

 1954年、秋田の田舎出身で当時19歳だった私は、名古屋で住み込みの工員として働いていました。ある日の新聞で「就職難の時代に求人が殺到している学校がある」という記事を読み、そのエックス線技師養成学校へ進みました。卒業後は東京の大学病院に就職し、働きながら夜間大学へ。大手企業の診療所に転職、定年後も資格を生かして79歳まで働きました。おかげで長男としての務めも果たせました。サンキュー‼
(埼玉県 男性 83歳)

■ 上司の言葉え肩の荷下りた

 私は10年間ひきこもっていましたが、1年ぐらい前から働き始めました。でも体調が悪く、会社の役に立っていないのでは……とも感じて仕事を辞めようか悩んでいました。そんな時に相談した30代の上司から、「人生、楽しく生きなきゃ損だよ。時間はあっという間に過ぎるから、やりたいことをやって後悔だけはしないようにね」と言われて肩の荷が下りました。勤務時間も延ばせるようになり、今も仕事を頑張れています。
(大阪府 女性 23歳)

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