三田村邦彦さんら、Reライフ世代をトークで激励:朝日新聞Reライフプロジェクト

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三田村邦彦さんら、Reライフ世代をトークで激励 

阪急生活楽校×朝日新聞Reライフ~こころもカラダも元気になろう!~

更新日:2018年03月16日

 暮らしのヒントを学ぶ「阪急生活楽校」と、朝日新聞Reライフプロジェクトがコラボレーションした2度目のスペシャルイベント(朝日新聞Reライフプロジェクト、阪急うめだ本店主催、タイ国政府観光庁大阪事務所、みお綜合法律事務所協賛)が2018年2月22日、阪急うめだホール(大阪市北区)で開かれ、346人が参加しました。メインゲストは、俳優の三田村邦彦さん(64)。40年近い俳優人生を振り返り、多くの人との出会いによって前に進むことができたと明かしました。このほか、弁護士の伊藤勝彦さんと小川弘恵さん(いずれも弁護士法人みお総合法律事務所)が、元気なうちに対応すべき終活の備えを紹介。タイ国政府観光庁大阪事務所は、伝統的なタイ民族舞踏を披露しました。

三田村邦彦さん「俳優人生を左右した先輩たちとの出会い」

デビューへの道を切り開いた2人の言葉

 64歳になりました。俳優という仕事をして間もなく40年になりますが、多くの方との出会いのおかげで私はここに立てていると思います。

 俳優を志したのは、小学生のころだったと思います。ある日、映画「雨に唄えば」を初めて見たんですよ。スクリーンの中で出演者が楽しそうに歌って踊っている姿が衝撃的でしたね。その時初めて「こういう俳優という仕事があるんだ」と知り、興味を持つようになりました。

 

 ただ、厳格な父親に「お前は医者になれ」と子どものころから言い聞かせられていたので、生まれ育った新潟から東京に出るのはなかなか難しかった。自分の夢のことはずっと親には黙っておいて、どうすればいいか日々作戦を練っていましたね。

 高校卒業後、「予備校に進学する」と告げてなんとか上京した私は、劇団に入りました。そこで大きな転機が訪れました。2年連続で映画の主演の話をいただいたんです。1年目は断り、2年目も断ろうとしていると、当時劇団の先輩だった蜷川幸雄さんに「映画の主役を2回も断るなんてお前は馬鹿だ!もっと間口を広げないと、一生俳優でやっていけないぞ」と怒られました。最初は生意気に反論もしましたが、蜷川さんの言葉はずっと突き刺さっていました。

 その後、まだ迷っていると、原作者の方から「どうしても会いたい。なぜ受けてくれないか聞かせてくれ。気に入らないところがあれば台本を書き直すから」と連絡がありました。その原作者というのが村上龍さんです。その熱意に押されて、出演を引き受けたのが、私のデビュー作となった「限りなく透明に近いブルー」です。今思い返すと、蜷川さんと村上さんの言葉が無ければ、今このステージに立ててなかったでしょう。人生の出会いというのは、男と女だけでなく、仕事でもものすごく影響があります。本当に不思議なものだなと思いますね。

「中途半端な役者になるぞ」と言われ発奮

 ちょうど私が必殺シリーズに出演して1年半後、所属していた劇団が倒産してしまいました。劇団からギャラ代も払ってもらえず、京都の撮影所へ行く交通費や宿代も無いギリギリの状態でした。当時共演していた藤田まことさんが「飯ぐらい俺が食わしてやる!」と言ってくださり、本当にお世話になりました。

 必殺シリーズを続けるうちに辞めたいと思った時もありました。お金をもらって人を殺すという役が嫌だったからです。当時ベテランカメラマンだった石原興さんから飲みに誘われ、「今ここで辞めてしまうと、一生中途半端な役者になるぞ。もうちょっと頑張れるなら、これから色々なことを教えてやる」と説得されました。蜷川さんと同じようなこと言われたのがショックでしたね。おかげで6年近く必殺シリーズを続けることができました。

 色々な俳優さんとお仕事をさせてもらってきました。少年のころから憧れていた石原裕次郎さんと初めて共演した時のことは今でも鮮明に覚えています。「太陽にほえろ!」で、僕がボスのところに報告にいくシーンでした。裕次郎さんの顔を見た瞬間、頭が真っ白になってしまいました(笑)。どうしようと焦っていたら、裕次郎さんが肩を組んで「俺、ただのおっさんだから、ジャガイモが座ってるなと思って気楽にやってくれよ」と和ませてくれたんです。みんなが憧れる裕次郎さんが気さくに話してくれたのは感激でしたね。

 いま3歳の娘が20歳になるまではなんとか生きていてやりたいなと思います。「成人式を見届けるまでは死ねないぞ!」って自分に言い聞かせながら、飲んでます(笑)。バランスの取れた食事を心がけ、週4~5日は6キロ走って2キロ歩くようにしています。同世代の皆さんに「三田村は元気に頑張っているので、俺もがんばろう!」と思ってもらえるといいですね。

三田村 邦彦(みたむら・くにひこ) 1953年、新潟県生まれ。中学時代から演劇にあこがれ、高校卒業後、養成所を経て劇団青俳に所属。主演映画「限りなく透明に近いブルー」(1979年公開)でデビュー。ABC「必殺仕事人」、日本テレビ「太陽にほえろ!」、TBS「渡る世間は鬼ばかり」、テレビ朝日「将軍家光忍び旅」など、数々の連続ドラマや映画に出演。読売テレビ「週刊えみぃSHOW」にレギュラー出演し、司会としても活躍。現在、テレビ大阪「おとな旅 あるき旅」にレギュラー出演中。


三田村さんの話に人生を考える ~読者リポーターも聴講~

 三田村さんの話をReライフ世代はどう聞いたのでしょう。読者会議メンバーから公募で選んだ「読者リポーター」の2人に感想を書いてもらいました。


自分という役を生き切る 秋津シズ子(57)

 相変わらずのダンディだ。私は「必殺仕事人」でのクールなたたずまいにあこがれていた。しかし本人は「金をもらって人を殺すという仕事が嫌だった」と言う。役に自分の人生を重ね、真摯(しんし)に向き合っている人だからこそ、絶頂期に「やめる!」と断言できたのだろう。でも、多くの人の人生に自分の役が関わっていることを知り、前言撤回。そして、死ぬまで三田村邦彦という役を生き続けていく。

 自分の人生だけを生きていると思っている多くの人々も、実はいろんな役を生きてきた。がむしゃらに忙しくしていた時期が過ぎると、自分が何をしてきたのかふと不安になる。これからの自分の役が見えなくなる。そんなときには一度自分の人生を振り返ることも大切だ。「第二の人生」ではなく、本当の自分という役を生き切るためにも。


出会いは人生の羅針盤 福岡育子(66)

 「俳優になる」−−−米国映画との出会いが、小学生の三田村さんに未来への夢を与えてくれた。高校卒業後、東京の劇団に入り、やがて映画やテレビドラマに出演。その間、劇団の先輩、作家、共演者、カメラマンなど、有名無名にかかわらず、多くの人との出会いが俳優として成長させ、少年時代の夢を実現させていった。

 私の場合も、一人の建築家との出会いが、それまで想像もしていなかった世界へ扉を開いてくれた。文学部出身の私にとって、平面ではなく、立体的に考える建築の世界は、新鮮で驚くことばかり。アイデアを無から形あるものに創造していく仕事に、魅了された。その後、建築やデザインを勉強し、インテリアデザイナーとして仕事をしている。

 「出会いは、人生の羅針盤」−−−私はそう思う。人だけではなく、あらゆるものとの出会いが、自分の視野や生き方を広げてくれる。改めて、そう実感した講演だった。

 印象に残った彼の言葉がもう一つ。「日本人は、年齢にこだわり過ぎる」

 私自身も含め、年齢を意識して、行動をためらう人は多い。これからは、自分で限界を決めずに、もっと自由な気持ちで、一歩前に踏み出したい。きっと、新しい景色がみえるはずだから。


■ イベント概要

概要 「阪急生活楽校」×「朝日新聞Reライフプロジェクト」
こころもカラダも元気になろう!
主催 阪急うめだ本店、朝日新聞Reライフプロジェクト
協賛 弁護士法人みお綜合法律事務所、タイ国政府観光庁大阪事務所
日時 2018年2月22日(水)
場所 阪急うめだ本店 9階 阪急うめだホール

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