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8点の自画像から見えてきた 藤田嗣治のイメージ戦略 

Reライフおすすめ講座「没後50年 藤田嗣治展を楽しむ」前編

更新日:2018年09月11日

 海外で活躍する日本人芸術家の先駆けとなった藤田嗣治(1886~1968)。その没後50年展が東京都美術館で2018年10月8日まで開催中です。その見どころを下倉久美・東京都美術館学芸員が紹介します。前編は、8点が展示されている自画像から見えてくる画風の変遷です。

 8点のうち最も初期に描かれたのは、東京美術学校西洋画科の卒業制作である《自画像》(1910)です。斜に構えた姿が自信を感じさせます。ハイカラーのジャケットを着た若々しい姿が、その後、どのように変わっていくでしょうか。

 渡仏して最初期の《自画像》(1921)。この年、サロン・ドートンヌで入選した3作品のうちの1点で、ベルギー王立美術館に購入されました。髪形は、藤田のトレードマークである「おかっぱ」姿となっていますが、物憂げな表情が特徴的です。

 1920年代半ば、パリでの絶頂期を迎えたころの《自画像》(1929)には、「フジタ」の要素がすべて詰まっています。おかっぱ頭に丸眼鏡、ちょび髭(ひげ)、金のピアス。それに、藤田作品によく登場する猫もそばに描かれています。

 背景には当時、一世を風靡(ふうび)していた女性像が画中画として描かれています。この絵のモデルは3番目のパートナーで、雪のように美しい白い肌だったことから藤田が「ユキ」の愛称で呼んでいたリュシー・バドゥーだと言われています。

 では、この女性像をどうやって描いたのか? そんな疑問に答えるかのように、手には面相筆という細い筆が握られています。藤田作品には、独自の乳白色の下地に黒色の細い線で描くというスタイルがあります。硯(すずり)で墨をすって描いていた様子がこの自画像から分かります。

 当時のパリのサロンに、ほかの作品と一緒にこのような肖像画を出品することで、作者はどんな人物なのかということが一目瞭然に伝わります。藤田のイメージ戦略とプロデュース力が感じられます。この作品は、16年ぶりに一時帰国を果たした1929(昭和4)年の第10回帝展に出品されました。

 1936年の第23回二科展出品作の《自画像》は、日本家屋で和服を着た姿で、食後にくつろいだ様子を描いています。食べ終わった魚の骨まで描かれた精緻(せいち)な描写が目を引き、角火鉢、裁縫箱など「下町の江戸趣味」を感じさせる作品でもあります。

 藤田は世界大恐慌後にパリを離れ、中南米を旅した後、日本に戻ってきました。しかし、久しぶりに戻ってきた東京は関東大震災(1923)後の復興もあって街の様相が変わっていたようです。異郷のように感じたのかも知れません。下町の情緒に対する郷愁を感じさせます。当時の日本人からしてもノスタルジックな思いを抱かせるものでした。

 1943年の《自画像》は、元旦に宮中参内した後、描き初めとして制作されました。長年のトレードマークだったおかっぱ頭は、短髪に変わっています。逆光を浴びた顔は陰影に覆われていて、内省的に表現されています。

 1938年に成立した国家総動員法によって、画家も国策への協力が求められるようになりました。藤田もその一人で、軍から作戦記録画の発注を受け、何度か戦地へ取材に赴いています。

 最後は《家族の肖像》(1954)というタイトルの68歳の自画像です。丸眼鏡、ちょび髭にトレードマークのおかっぱ頭が復活していますが、髪はすっかり白くなっています。

 背後の壁を飾る絵は、1941年に逝去した陸軍軍医総監だった父嗣章88歳の肖像と、5番目の伴侶となった君代(1910年生まれ)が17歳のときの肖像です。君代が最後まで手元に残し大切にした作品でした。

没後50年 藤田嗣治展(7月31日~10月8日 東京都美術館)
この話は、2018年8月8日、朝日新聞新宿カルチャーセンター新宿教室で開かれた朝日新聞Reライフおすすめ講座「没後50年 藤田嗣治展をたのしむ」を再構成した採録です。後編は、裸婦像で用いられた「乳白色の下地」についてです。


下倉 久美(しもくら・くみ) 東京都美術館学芸員。東京都美術館および東京都現代美術館、その他都立文化施設にて展覧会制作、アートプロジェクトの実施に携わる。現代美術を中心に、作品と鑑賞者の出会いの場の創出や空間づくりに取り組んでいる。

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