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個展打ち切り事件から学んだ 自分の芸術の売り込み方 

Reライフおすすめ講座「ムンク 絵画の楽しみ方」 その4

更新日:2019年01月31日

 ムンクが国際的な評価を得るようになったのは、ベルリンで起きたあるスキャンダルが発端でした。東京都歴史文化財団の水田有子さんが解説する「ムンク展」の4回目は、ヨーロッパ各地で人気が高まった理由にくわえ、戦略的にコレクターやパトロンと接近していく実業家のような一面に触れます。

 ムンクは聖職者や歴史家を輩出した由緒ある家庭に生まれましたが、父親は軍医で、決して裕福な家庭というわけありませんでした。最初のパリ留学は、ムンク芸術を評価し、後押ししようとした故郷の画家フリッツ・タウロヴから奨学金を受け取ったことによるもので、そののちも国家の奨学金を取得して外国での制作を続けました。特にパリ留学中に父を失ってからは、一家の大黒柱となり、その家計を支えることとなります。

 しかし、生計を立てる際、自分の手元に作品を置くことを望んでいたムンクは、こうした作品の販売よりも、展示による入場料の収入に主眼を置いていました。

 1892年、《病める子》などの初期代表作を含む個展がベルリン芸術家協会の招きで開かれました。ムンクはこのとき国際的なデビューを果たしたこととなります。しかし、印象派も浸透していない当時のベルリンで作品は誹謗(ひぼう)中傷を浴びて、展覧会はたった1週間で打ち切られることになりました。これは当時「ムンク事件」と呼ばれ、大変なスキャンダルとなりました。

 この騒動ののち、ムンクはベルリンのエクイタブル宮の会場を借りて、めげずにもう一度個展を開催します。作品は批判を受ける一方、称賛と話題を集めて、この後、個展はドイツ国内を巡回する機会を得ます。それにあたって、200マルクの報酬を受け取るか、あるいは入場料収入の3分の1を受け取るかという選択が用意され、ムンクは後者の入場料収入を選びました。

 話題になった展覧会で「人が人を呼ぶ」という事態は今でもよく起きます。ムンクも、自分の芸術が呼んだスキャンダルが話題となり、人々の「観(み)たい」という気持ちがかきたてられて、多くの人々が足を運ぶことを確信していたのではないかと思います。

 ムンクは母の死後、ムンクたち兄妹を育てた母の妹、叔母のカーレン・ビョルスタ宛てに、たびたび手紙を書いています。

 例えば、外国にいて故郷で自分の展覧会があったときに、新聞でどう書かれているか尋ねるなど「愛と苦悩の画家」のイメージからはあまり想像できない人間らしい一面をのぞかせるやり取りも残しています。このときも叔母にあて、「遠くから自分の作品を目当てに人々がやってきて、たくさんの収入が得られるでしょう」と機嫌良く手紙をしたためています。

 またムンクには、展示の機会を利用してコレクターやパトロンと関係を築き、自分の芸術の評価を確立しようとしたたかに戦略を巡らせる一面もありました。

 のちに評価を築いていく過程の中で、全身肖像画は富裕層に大変な人気を博しました。ムンクが注文を受け、パトロンのもとに赴いて描いた肖像画が現在もヨーロッパ各地に残されています。

 この話は朝日カルチャーセンター新宿教室で2018年12月8日に開かれたReライフおすすめ講座の採録第4回です。次回は「連作〈生命のフリーズ〉の誕生」です。

 水田有子(みずた・ゆうこ) 東京芸術大学大学院修士課程修了。東京芸大美学研究室教育研究助手を経て、2013年より2018年まで東京都美術館学芸員。専門は西洋近代美術。現在は東京都歴史文化財団事務局に勤務する。

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