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減る参列者、ハデ葬は今や昔…景気を映すお葬式事情 

小谷みどりが斬る!「ひとり死」時代の葬送と備え (3)

更新日:2019年02月19日

 1990年代以降、お葬式の参列者は減少している。

 神奈川県下の生協の葬祭事業「ゆきげ」が施行したお葬式の参列者は、1996年には平均で180人いたが、2005年には100人を切り、2013年には46人となった。公正取引委員会の2016年の調査では、全国の葬儀業者で5年前と比べて「参列者が減少した」という割合は86.8%にのぼった。2005年(67.8%)時と比べて2割近く増加している。

沖縄県今帰仁村にある「新生活運動」を呼びかける看板(2019年2月、小谷みどり撮影)
 90歳で亡くなったとすると、故人の親族やきょうだいの多くはすでに亡くなっているか、介護や看護が必要な状態だ。子どもたちも定年退職をしているだろうから、遺族との仕事の付き合いで参列する人は減少する。こうして、超高齢で亡くなると、お葬式の参列者が必然的に少なくなる。

 歴史的にみれば、景気が良くなるとお葬式が派手になるという傾向があった。
 戦争が終わった直後の昭和20年代から30年代には、「新生活運動」が全国的に流行した。冠婚葬祭、贈答などの虚礼を廃止し、生活を合理化、近代化しようという考え方を指す。お葬式ではお香典や香典返し、花輪などを自粛する動きがあった。今でも、沖縄では香典を1000円と取り決めている地域が多い。


出棺時にレーザー光線、花輪や弔電でアピール

 ところが高度成長期になると、いつの間にか新生活運動の考えは衰退し、お葬式は派手になっていき、1980年代後半からのバブル景気には盛大で派手なお葬式が増えた。例えば、出棺のときに白いハトを飛ばす「放鳥の儀」はこの頃に登場したし、自宅や葬儀会館などの入り口には水車やつくばいなどを配置し、家紋入りの灯ろうを飾った。

 大阪の冠婚葬祭互助会でおこなうお葬式では、出棺のとき、シンセサイザーの音楽が流れ、スモークとレーザー光線が照射されるなか、僧侶とひつぎを乗せた電動カートが進み、その背後を遺族が歩くといった演出もあった。ちょうど結婚式も派手になった時期で、大型結婚式場ではゴンドラやスモーク、レーザー光線やキャンドルサービスが定着した。ハデ婚、ハデ葬が当たり前の時代だったのだ。

 バブル景気の頃は、長い戒名や祭壇の前に僧侶が何人も並ぶ、という光景も珍しくなかった。式場に誰からの花輪が飾られているか、誰から弔電がきているかは参列者の関心事項だったし、遺族にとっては、誰もが知っている大会社や有名人からの花輪や弔電は、参列者への一種の見栄(みえ)だった。地方では、訃報(ふほう)を地元新聞に掲載すると、故人や遺族と面識のない市議や県議、国会議員から弔電が届くこともある。「選挙が近づくと、たくさんの政治家から弔電が届く」と揶揄(やゆ)されたものだ。遺族の側は、面識がないにも関わらず、著名な政治家の名前を読み上げ、「こんな人からも弔電が来ています!」と参列者にアピールした。景気が良い時代の結婚式やお葬式は、見栄や世間体が色濃く反映されていた儀式だった。

訃報の知らせは火葬後 変わるお葬式の意味

 しかしバブル崩壊とあいまって、地域のつながりが薄れ、お葬式に見栄や世間体を重んじる必要がなくなった。訃報の回覧板は町内にまわってこなくなり、知らせたとしても、お葬式や火葬が終わった後に、というケースが増えている。
 北海道では町内会長が葬儀委員長を務めるという習慣があったが、新興住宅地では、「知らない町内会長にお願いしたくない」という遺族が増え、こうした習慣が消滅しつつある。

 社会の変化に応じて、お葬式の意味合いも変わってきているのだ。

  ひとりで人生の最期を迎える人が増えるなか、弔いのあり方も変化してきています。お葬式やお墓の現状に詳しい、シニア生活文化研究所長の小谷みどりさんが、いまの葬送の現場と社会のあり方、備え方などについて連載します。

小谷 みどり(こたに・みどり) 

シニア生活文化研究所所長。2018年末まで第一生命経済研究所に25年余り勤務。大阪府出身。博士(人間科学)。専門は生活設計論、死生学、葬送問題。国内外のお墓や葬儀の現場を歩き、その実態や死生感の変化などを著書などで伝えている。最近の著書は『<ひとり死>時代のお葬式とお墓』(岩波新書)、『ひとり終活』(小学館新書)、『没イチ』(新潮社)など。奈良女子大学、立教セカンドステージ大学で講師をするほか、身延山大学、武蔵野大学の客員教授も務める。

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