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お布施にはいくら出す? 「お気持ちで」と言われても…… 

小谷みどりが斬る!「ひとり死」時代の葬送と備え (7)

更新日:2019年04月16日

 ここ10年ほどの間、葬儀社の費用や内容の明朗化が進んでいる。

 高騰する葬儀費用やお仕着せの葬儀のあり方への不満を抱く人が増え、葬儀費用の明細書を出すようになったためだ。

 日本消費者協会の調査でも、参列したことがある葬儀について「形式的になりすぎている」「不必要なものが多すぎる」「世間体や見栄(みえ)にこだわりすぎている」といった回答が1995年以降に増加している。こうした葬儀への不満が、「葬儀サービスを選ぶ」という消費者意識を芽生えさせ、費用の明示につながった。

 一方、僧侶との関係では、いまだにお布施が「お気持ちで」とされ、金額が明示されない。不満を持つ人は多いが、実態は複雑だ。

ラオス・ルアンパバンの朝の托鉢(たくはつ)の風景。これも、日常のお布施のひとつだ(小谷みどり撮影)

100万円を求められるケースも

 お布施は自分の執着を捨てるという仏道の修行の一つで、金品の喜捨だけでなく、他人や社会のために働くことや笑顔で人に接することも、大切な布施行とされている。僧侶が「お気持ちで」と言うのは、このためだ。

 したがって、「戒名料」や「読経料」など、僧侶への謝礼や報酬としてのお布施はありえない。建前では、お布施には定価や相場はない。しかし、現実は必ずしもそうではない。

 実際、僧侶からお布施の金額を指示された人は少なくないだろう。私の周りにはそういった人が多く、なかには「100万円で」と言われた人もいる。誰もが簡単に包める金額ではないし、亡くなるまでに介護や治療に多額の費用がかかっていたら「高すぎる」と不満を持つのも当然だろう。かたや地方では、数万円のお布施が一般的であることも多い。地域によっても、僧侶の考えによっても、お布施の事情は異なっている。

 とはいえ、僧侶に「お気持ちで」と言われても、「ほかの人はどのくらい出しているの?」と周りの金額を気にする人が多いと思う。それは、世間体や見栄の気持ちが少なからず誰にもあるからだろう。

「世間体と見栄」が薄れて変わるものは

 バブル期には、立派な長い戒名が書かれた木の位牌(いはい)が祭壇に安置され、その前に僧侶が何人も並んで読経をする光景が当たり前になっていた。景気がよいと、信仰のあつい人が増えるわけではない。葬儀にたくさんの僧侶を呼び、長い戒名をつけるのが、遺族の見栄だったのだ。本来の戒名は、本人のお寺への貢献度や人となりを考慮して、菩提(ぼだい)寺の僧侶が授ける。だが高度成長期以降は、お金を出せば院号や道号がついた戒名がもらえるという風潮が顕著になり、見栄に利用されるようになった。

 昨今、葬儀の参列者は減り、家族葬が主流になりつつある。遺族は見栄をはる必要がなくなり、「戒名はいらない」と考える人も増えてきた。日本では、葬儀の9割近くが仏式でおこなわれているが、必ずしも信仰からではなく、慣習として存続してきたにすぎない。見栄や世間体への重きが薄れる中、仏式の葬儀をする意味すらも問われている。

  ひとりで人生の最期を迎える人が増えるなか、弔いのあり方も変化してきています。お葬式やお墓の現状に詳しい、シニア生活文化研究所長の小谷みどりさんが、いまの葬送の現場と社会のあり方、備え方などについて連載します。

小谷 みどり(こたに・みどり) 

シニア生活文化研究所所長。2018年末まで第一生命経済研究所に25年余り勤務。大阪府出身。博士(人間科学)。専門は生活設計論、死生学、葬送問題。国内外のお墓や葬儀の現場を歩き、その実態や死生感の変化などを著書などで伝えている。最近の著書は『<ひとり死>時代のお葬式とお墓』(岩波新書)、『ひとり終活』(小学館新書)、『没イチ』(新潮社)など。奈良女子大学、立教セカンドステージ大学で講師をするほか、身延山大学、武蔵野大学の客員教授も務める。

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