ReライフTOP特集連載・コラム

四つの文化人の顔を持つ男 原三溪と美術 1 

横浜美術館「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展を前に

更新日:2019年05月22日

 明治から大正、昭和初期にかけて生糸貿易で財をなし、横浜に著名な庭園「三溪園」を造園した実業家・原三溪(本名・富太郎、1868~1939)は、古美術コレクターとして名をはせたが、茶人、近代日本美術を支えたパトロン、余技として書画をしたアーティストという多彩な顔も持っていました。開館30周年を迎える横浜美術館では、今夏、原三溪の大規模なコレクション展を開催します。三溪と美術について横浜美術館副館長の柏木智雄・主席学芸員に3回にわけて聞きました。(上林格) 

横浜美術館副館長・主席学芸員 柏木智雄さん
――原三溪は生涯かけて、どのくらいの美術品を蒐集したのですか

 近年、美術品購入の記録である『買入覚(かいいれおぼえ)』のほか、三溪園に移築された各建築物に付随した美術品の目録、三溪居宅の蔵に残された文書など文書記録の分析が進んでいます。推測では、5000点~8000点の美術品は扱ったのではないかと考えられています。「5000点は下らない」というのが正確かも知れないですし、茶席用の雑器も含めると、可能性として8000点ぐらいまで蒐集したのではないかともいえます。

――美術品を蒐集していた時期は

 三溪自身は「明治30年から」といっていますが、『買入覚』によると1893(明治26)年から1929(昭和4)年まで記録が残されています。そして大々的な蒐集は1923(大正12)年の関東大震災を境に自粛する形になりますが、まったくやめたわけではなく、茶道具などは折々買っていました。大正の半ばぐらいが最も脂が乗って蒐集していた時期なのでしょう。

――蒐集時期による購入品の特徴は

 最初は文人趣味の煎茶器を集めていました。やがて茶の湯の茶道具、仏画と幅が広がっていきます。お茶の席で使う美術品も集めていきます。三溪にとっては三溪園に移築した古建築も美術品であり、重要な蒐集品になります。 

――これらのコレクションは散逸してしまったのですか

 三溪園に残っているものもありますが、コレクションの核となるものは分散しています。近代絵画なら東京国立博物館や東京国立近代美術館。お茶道具は畠山記念館のほか、三溪の旧蔵品で茶人仲間の松永耳庵が所有していたものが福岡市美術館に。三溪の近くにいた美術評論家の矢代幸雄が初代館長の大和文華館(奈良)には、三溪旧蔵品の貴重な美術品があります。ほかに奈良国立博物館、京都国立博物館などです。




――今回の展覧会の規模は

 国宝、重要文化財を約30件。これらを含む作品数は約150件。これに加えて資料数が約50件出品の予定です。これだけの規模で原三溪の蒐集品を集中的に展覧するのは、私が知る限り過去最大規模になります。
 国公立の美術館が所有する非常に重要なものと、画商を通じて個人の方がお持ちの三溪旧蔵品を調べ、ご協力していただきました。いずれも名品ばかり。この規模で再び開催するのもなかなか難しいでしょう。
 三溪が生涯かけて集めたものを、ゆかりの土地である横浜の公立美術館で顕彰するのはいわば必然だと思いますが、三渓自身も自分のコレクションのすべてを一度にみたことはないわけです。今年は没後80年にあたり、追善供養の意味の開催にもなります。会期中、三溪の命日(8月16日)も巡ってきます。 

――三溪の美意識を一言でいうと

原三溪ポートレート 提供:三溪園
 けして派手ではありません。けれども元々は歴史家を志していたこともありますので、独自の歴史観や美術史観に基づいて体系的に集めていました。かつ、茶人でもありましたから茶会で使う美術品という視点も持ち合わせていました。
 しかし、コレクターの三溪だけを語ってもすべてを語ったことにはなりません。茶人としての側面を語らなければ文化人としての三溪を語ることになりません。積極的に若い芸術家を支援したことを言わなければ三溪の営みを説明したことにもなりません。また、彼自身が『三溪園』という芸術品を造りました。さらに言えば、書画を余技として玄人ばりの作品を残した。これも抜きにしては三溪を語れないことになります。
 この四つが絡み合って文化的人格としての『原三溪』をつくっていく。そのベースにあるのが実業家としての顔であり、社会貢献活動家としての側面という人格を形成していたのです。 

 《原三溪とは》 現在の岐阜市出身。旧家の跡取りとして生まれ、東京専門学校(現・早稲田大学)で学ぶ。1891(明治24)年、横浜の豪商・原善三郎の孫娘で原家の跡取りだった屋寿(やす)と結婚。99(明治32)年に善三郎が死去すると、原家の家業である生糸問屋業を継ぐ。翌年には絹織物輸出に着手し、さらに富岡製糸工場(群馬)など4製紙工場を経営する。日本は1909(明治42)年に世界一の生糸輸出国となり、大正期、第一次世界大戦から昭和恐慌のころに絶頂期を迎えた。原三溪が古美術の蒐集と近代美術の支援という形で美術と深くかかわった時期と軌を一にする。


《エピソード:1万円のレコード破り》
 古美術コレクターとして原三溪の名を広めた出来事がある。1903(明治36)年、精緻な戴金細工の技法を駆使した仏画で、のちに国宝になった《孔雀明王像》(12世紀、東京国立博物館蔵)を元外務卿・井上馨から1万円で購入したことだった。当時の総理大臣の年俸に近い額であり、著名な数寄者の高橋義雄(箒庵)は自著に「維新後始めて掛物一幅一万円のレコード破り」と表し、大きな話題になった。

 柏木智雄 (かしわぎ・ともお) 横浜美術館副館長、主席学芸員。専門は幕末から現代までの日本美術。1988年に横浜美術館準備室に入り、同館にて「斎藤義重による斎藤義重展 時空の木― Time Space, Wood-」(1993年)、「紫紅と靫彦展」(1995年)、「菅木志雄:スタンス」(1998年)、「李禹煥 余白の芸術展」(2005年)、「源氏物語の1000あこがれの王朝ロマン」(2008年)、「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」(2012年)、「生誕140年記念 下村観山展」(2013年)などの展覧会を開催。「ヨコハマトリエンナーレ2017」 コ・ディレクター。共著書に『明るい窓:風景 表現の近代』(大修館書店)、『失楽園 風景表現の近代』 (大修館書店)、『はじまりは国芳江戸スピリットの ゆくえ』(大修館書店)、『通天楼日記 横山松三郎と 明治初期の写真・洋画・印刷』(思文閣出版)など。

 開館30周年を迎える横浜美術館では、7月13日~9月1日、原三溪の旧蔵品を過去最大規模で展示する「横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」展を開催します。朝日新聞Reライフプロジェクトでは、読者会議メンバーのなかから10組20名様に招待券をプレゼントします。展覧会に関するアンケートにご協力ください。
*一部、展示期間が限定される作品がございます。

「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展に10組20名様ご招待

連載・コラムの関連記事

PAGE TOP