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パトロンが手がけた幻の「三溪帖」 原三溪と美術 2 

横浜美術館「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展を前に

更新日:2019年05月23日

 横浜の実業家・原三溪(1868~1939)は、5000点以上あったとされる膨大な美術コレクションを総括する名品選『三溪帖(じょう)』の出版を計画していました。その一方で、近代日本美術を支えたパトロンとしての役割を「明治の混乱期、日本文化の海外流出を防いだ」と横浜美術館副館長の柏木智雄・主席学芸員は再評価しています。(上林格)

――三溪が世に出そうとしていた『三溪帖』とはどんな書物ですか。

横浜美術館副館長・主席学芸員 柏木智雄さん
 自分のコレクションを総括した、いわば精選集。コレクションのなかで自分が気にいっている『名品選』のような本です。
 審美書院(1906年設立)に所属する木版画家の川面義雄の協力を得て、相当精緻(せいち)な複製版画付きの豪華本を頒布しようと考えていました。しかも販売目的ではなく、一般に無料で頒布しようとしていた。残念なことに1923(大正12)年の関東大震災で保管してあった東京の倉庫が焼けてすべて灰になってしまいました。
 いつから『三溪帖』を本格的に着手したのかはわかっていません。大正初年の頃だったと推測されますが、川面が残した三溪との手紙を読み解いていますがはっきりしません。

 ――まったく何も残っていないのでしょうか。

 ある段階での『三溪帖』草稿がいくつか残されています。それによると、三溪自身がコレクションを読み解く前書き(緒言)と各作品の解説文を載せる予定だったことがわかります。
 そこから三溪自身が自分のコレクションをどう総括しようとしていたのか、美術的な流れと位置づけを考えていたのかが読み取れます。かつ、『三溪帖』に採り上げようとしていた約260点の作品をどのように評価していたかも。今回の展覧会では〈コレクター三〉という章があります。『三溪帖』に示されている美術史観を中心に三溪が美術をどうみていたのか、ということをくみ取りながら構成できたらと思っています。

 ――近代美術の支援としてパトロンの「顔」をもっていますね。

 同時代の、当時で言えば「現代美術」にあたる有能でしかも若い作家を支援しています。支援の内容は全員が同じではないのですが、生活費を支給し、成果として出てきた美術品を買い上げ、自分が所有している古美術品を自由に見せることをしていました。
 その恩恵にあずかった第一世代の代表が下村観山。その次の世代が安田靫彦と今村紫紅らです。三溪が購入した非常に良質な日本画の作品群は、現在は東京国立博物館にまとまって所蔵されています。

 ――三溪が画家たちとつながりを持ったのは岡倉天心が関係していますか。

 横浜出身の天心が間に入っていることは間違いありません。天心から安田靫彦宛てに出された手紙が残されていて、それには三溪が安田を支援することになった経緯を伝える内容が記されています。間に橋本静水が労を執ったとあるのですが、実際は天心が動いたはずです。三溪は面倒をみるにあたって一度面談したいという意向があるから横浜に来てほしいと伝えています。
 安田はまだ作家として売れる前のころで、しかも大病を患いようやく絵筆がとれるくらいに回復した時期だったから月額100円の支援は大変助かったはずです。満を持して発表した作品が《夢殿》(1912年)です。歴史画家として彼の出発点に位置づけていい作品です。三溪はこの絵を1500円で買い上げています。
 このとき、安田の友人だった今村紫紅の《近江八景》(1912年)も1500円で買い上げています。いまでは重要文化財です。生活費だけでなく作品を買い上げて物心両面の面倒をみていたといわれています。

 ――三溪が芸術のパトロンとして活躍していた時期は。

 最初は橋本雅邦ら下山観山より上の世代の作品を買っていましたが、近代画家への支援を本格化するのは明治40年代に入ってからです。観山には家を提供し、そこに画室までもうけました。しかし、蒐集活動と同じく、関東大震災をきっかけに積極的な支援活動は自粛していきます。横浜市の震災後の復興活動に全精力を傾けていくからです。

――コレクターやパトロンとして三溪が果たした役割は評価されているのですか。

 日本が近代化を遂げていくなか、文化的には廃仏毀釈(きしゃく)に代表されるように日本文化は散逸の危機にあった。旧大名家所有のお宝が次々と売り立てに出されていた時代でもありました。
 それが三溪のような数寄者が積極的に蒐集する。壊れた古建築物を移築して保全したほか、旧大名家から出てくるお宝を海外に流出する前に買い集めた。これはすごく大きかった。これがなかったら、いま国宝として名を残している美術品が海外に流出した可能性があります。
 三溪はシカゴの鉄道王チャールズ・ラング・フリーア(1854~1919)が日本に来て《孔雀明王像》を高額で譲渡を所望しても決して売らなかった。結果的に日本の文化を守ったことになります。『守ろう』という意思があったのかもしれません。


参考エピソード:三溪が買い上げた近代画家たちの作品数

『買入覚(かいいれおぼえ)』によると、近代美術作品で最も多い点数の作品が買われた作家は横山大観で35点。次いで下村観山31点、橋本雅邦30点、今村紫紅25点、速水御舟21点、富岡鉄斎20点、小林古径16点、前田青邨15点、菱田春草14点、安田靫彦13点など。


  柏木智雄 (かしわぎ・ともお) 横浜美術館副館長、主席学芸員。専門は幕末から現代までの日本美術。1988年に横浜美術館準備室に入り、同館にて「斎藤義重による斎藤義重展 時空の木― Time Space, Wood-」(1993年)、「紫紅と靫彦展」(1995年)、「菅木志雄:スタンス」(1998年)、「李禹煥 余白の芸術展」(2005年)、「源氏物語の1000あこがれの王朝ロマン」(2008年)、「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」(2012年)、「生誕140年記念 下村観山展」(2013年)などの展覧会を開催。「ヨコハマトリエンナーレ2017」 コ・ディレクター。共著書に『明るい窓:風景 表現の近代』(大修館書店)、『失楽園 風景表現の近代』 (大修館書店)、『はじまりは国芳江戸スピリットの ゆくえ』(大修館書店)、『通天楼日記 横山松三郎と 明治初期の写真・洋画・印刷』(思文閣出版)など。

 開館30周年を迎える横浜美術館では、7月13日~9月1日、原三溪の旧蔵品を過去最大規模で展示する「横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」展を開催します。朝日新聞Reライフプロジェクトでは、読者会議メンバーのなかから10組20名様に招待券をプレゼントします。展覧会に関するアンケートにご協力ください。
*一部、展示期間が限定される作品がございます。

「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展に10組20名様ご招待

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