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震災でついえた美術館構想 原三溪と美術 3 

横浜美術館「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展を前に

更新日:2019年05月24日

 横浜・本牧に広大な庭園「三溪園」を造園した実業家・原三溪(1868~1939)は、自身のコレクションを展示する美術館構想を抱いていたという証言が残されている。このエピソードはあまり知られていないが、横浜美術館副館長の柏木智雄・主席学芸員は「あり得たのかもしれない」と話している。(上林格) 

三溪園の夏の風景 提供:三溪園

――三溪には自身のコレクションを一般に公開する美術館構想があったそうですね。

 いつごろとはっきりと特定はできません。ただ、美術史家の矢代幸雄の著書『芸術のパトロン』(新潮社)に三溪が美術館の構想を持っていたことが書かれています。美術評論家の竹田道太郎の著書『近代日本画を育てた豪商 原三溪』(有隣新書)には、三溪の執事を長年務めた村田徳治の記録として、三溪が考案した美術館らしい木製の模型があった、という証言が書かれています。もしかしたら、三溪園のなかに、またはその近くに所有していた土地に美術館を建設して公開することも彼の思想に鑑みてあり得たのかもしれません。

――三溪自身が美術館構想を示した資料はありますか。

 震災で失った『三溪帖(じょう)』は、ある段階の草稿を書写したものが残っています。その草稿の緒言には、三溪が自信を持って美術品を集めたこと、また「美術品ハ共有性ノ物」であるからみんなで鑑賞して自由な意見を言い合うべきだという考え方が示されています。
 自分のコレクションとはどういうものなのか、自分の美術史観はどのようなものなのか、を書いて作品の解説を書いていく。その冒頭に「美術品ハ共有性ノ物」であると主張する一文が書かれています。美術品は自分だけの物ではないし、それをいろんな人にみせて研究者の意見も聞き、評価も聞き、オープンにする姿勢を持っていたのです。
 1906(明治39)年、自邸のある横浜・本牧の三溪園を開園して無料開放していますが、「美術品の共有性」については、三溪園の開園について新聞に発表した次の言葉と同じく、一貫した考えのもとにあるといえます。

  「三溪の土地は勿論余の所有たるに相違なきも其明媚なる自然の風景は別に造物主の領域に属し余の私有には非ざる也」(『横浜貿易新報告』明治43年3月15日)

  自然の景観は個人の所有物でなくてみんなのものであるから、三溪園の景観はみんなが楽しめるものにしなくてはならないという考えです。

――三溪園の造園と美術館構想は関係するのですか。

 三溪園は、東京湾を望む横浜・本牧三之谷の約17万5000平方メートルという広大な敷地に原家の本宅を建て、そこに蒐集した古建築物を移築する目的で造園されました。1902(明治35)年、34歳のときです。
 この時期には、ある程度のコレクションがまとまっていたとは思います。自分のコレクションを総括し名品選である『三溪帖』を出版しようとしたことと軌を一にして美術館建設を考えたとしてもおかしくありません。ただ、それがいつだったのか、書かれたものは見つかっていません。

――「共有性を重んじる」という三溪の考えが生まれた背景は。

 三溪は社会貢献に対する非常に先駆的な考え方を持っていました。社会に還元するという発想です。
 彼は慶応4年、つまり明治元年の生まれです。日本は封建体制が崩れて明治という新しい時代に入り近代国家づくりがはじまった。その時代と自分の人生をほぼ寄り添いながら生きてきた人です。明治政府の2大スローガンである殖産興業と富国強兵を、まさに身をもって支えてきた人たちです。日本が国力を上げていくなか先陣を斬っていった人たちです。
 自分で築き上げた財力でもって美術品を体系的に集めて、もしそれを美術館という形で公開しようという試みがあったならば、ものすごく先駆的な文化的事業をなしとげたことになります。東京、京都、奈良に帝室博物館はありましたが、民間の美術館はまだなかった時代ですから。
 関東大震災がおきたことで美術品の蒐集も自粛する形になり、美術館構想も、そこで夢ついえたのかも知れません。そこから三溪は横浜の復興責任者となって尽力し、『横浜の恩人』と称賛されることになります。


《三渓園の公開》

三溪が一般に無料開放したのは、現在の三溪園の外苑部分にあたる。その後、旧燈明寺三重塔など重要な歴史的建造物が移築され、昭和初期までおよそ20年かけて三溪園は完成した。米国有数の東洋美術館であるフリーア美術館の創始者、チャールズ・ラング・フリーアやインドの詩人ラビンドラナート・タゴールが訪れている。戦災の被害を被ったが戦後は原家から横浜市に譲られた。


  柏木智雄 (かしわぎ・ともお) 横浜美術館副館長、主席学芸員。専門は幕末から現代までの日本美術。1988年に横浜美術館準備室に入り、同館にて「斎藤義重による斎藤義重展 時空の木― Time Space, Wood-」(1993年)、「紫紅と靫彦展」(1995年)、「菅木志雄:スタンス」(1998年)、「李禹煥 余白の芸術展」(2005年)、「源氏物語の1000あこがれの王朝ロマン」(2008年)、「はじまりは国芳―江戸スピリットのゆくえ」(2012年)、「生誕140年記念 下村観山展」(2013年)などの展覧会を開催。「ヨコハマトリエンナーレ2017」 コ・ディレクター。共著書に『明るい窓:風景 表現の近代』(大修館書店)、『失楽園 風景表現の近代』 (大修館書店)、『はじまりは国芳江戸スピリットの ゆくえ』(大修館書店)、『通天楼日記 横山松三郎と 明治初期の写真・洋画・印刷』(思文閣出版)など。

 開館30周年を迎える横浜美術館では、7月13日~9月1日、原三溪の旧蔵品を過去最大規模で展示する「横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 原三溪の美術 伝説の大コレクション」展を開催します。朝日新聞Reライフプロジェクトでは、読者会議メンバーのなかから10組20名様に招待券をプレゼントします。展覧会に関するアンケートにご協力ください。
*一部、展示期間が限定される作品がございます。

「原三溪の美術 伝説の大コレクション」展に10組20名様ご招待

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