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世界的アーティストを撮り続ける傘寿、「最高作」は母の写真 

インタビュー・80歳写真家の鋤田正義さん (1)

更新日:2018年05月08日

 デビッド・ボウイやギタリスト布袋寅泰、音楽家の坂本龍一、ファッションデザイナーのポール・スミスら名だたるアーティストを撮り続けてき写真家、鋤田正義さん。今月80歳を迎えたが、いまも活力は「ミーハーな好奇心」にある。19日から、60年にわたる活動の集大成として制作された初のドキュメンタリー映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」が公開されるのを前に、ボウイとの出会いやミュージシャンを撮影する理由などを語ってもらった。

■「この1枚」なら母親の写真

日若(ひわか)踊りの衣装を着た母親。高校3年生のとき撮影
 カメラを始めたのは、高校3年生の時。戦後の本当にものがない時代でしたが、まだ子どもだったので、母親にせがんで無理を言って買ってもらった。二眼レフのリコーフレックスでした。後で姉から、親戚や知り合いにお金を借りて買ってくれたという話を聞いた。

 九州の実家は、炭鉱の町にある化粧品店でした。商店街の通りに面していて、店番をしながら、人の行き来を、無意識に、映画で言うワイドフレームの世界をみるように眺めていた。どこかで、カメラと結びついているのかもしれない。

 買ってもらったカメラで、最初は身近な人の記念写真をいろいろ撮った。当時はフィルム1本で12枚しか撮れなかったから、丁寧に撮りました。その中の1枚に、浴衣を着て鳥追い笠をかぶって顔が見えない母親の写真がある。炭鉱の町の定番の踊り、日若(ひわか)踊りに出かける母親の姿でした。

 ある時、アート系雑誌の依頼で「愛」をテーマに1枚の作品を選ぶという特集があった。「愛」といっても演出した写真ではうそっぽくなりそうだとあれこれ悩んでいたとき、急に眠っていたその「記念写真」を思い出した。

 僕が小学校1年生のとき日本は戦争に負けた。父親は戦死し、残された母親は4人の子どもを育てていくのに精いっぱいだった。あの母親の写真の背景には、そうした鋤田家の家族の歴史や事情が込められている。あの時代を象徴する1枚なんです。だから、僕なりに感じた「愛」の写真として出品した。

 2014年、富士フイルム主催で写真家101人が「私の1枚」を出品する企画があり、そのときも、この母親の写真を選んだ。出品作を1枚に絞るのに、デビッド・ボウイの写真にするかどうか迷いました。「鋤田はボウイの写真だろう」と主催者側も考えていたようです。でも最後は母親の写真を選びました。

 あの写真は鳥追い笠に隠れて母親の素顔が見えないのが、かえって普遍的な母親像として広く受け取られるという評価をいただいた。顔が見えると具体的すぎてイメージが広がっていかないからでしょう。

 大学受験に失敗して1年間浪人して長崎の予備校に通った。長崎はまだ原爆被害の記憶が生々しく残っていて、カメラを持っていると、素直に「被爆地長崎」をテーマに撮りたくなった。大阪の写真専門学校に通っていたころには、ドキュメンタリー写真を志向していた。米国のグラフ誌「LIFE(ライフ)」「LOOK(ルック)」の全盛期。ロバート・キャパに代表されるような報道写真です。広告会社に勤めてからも長崎には行っていた。1968年に長崎の佐世保に原子力空母エンタープライズが寄港したときも、あの騒動の写真を撮りに行きました。

■ロックに底知れぬエネルギーを感じた

 60年代の終わりごろは学生運動が盛んで、僕は学生ではなかったけど「なんかやらなくちゃ」という同世代的な連帯感を感じていた。元々はジャズを聴いていた。ロックの波が押し寄せていた。ロックコンサートの盛り上がりはすごく、背景にはベトナム戦争があって「反戦」という言葉に世界の若者が共感していた。米国では、反戦運動する女性が片手で「ピース、ピース」って叫び、ものすごく結束が固かった。何しろウッドストックのコンサートには数十万人が集まった時代だった。底知れぬロックのパワーを感じてロックが心のよりどころになっていった。

 1970年にフリーランスとして独立した。そのころ僕はアンディ・ウォーホルが気になっていた。その配下にヴェルヴェット・アンダーグラウンドのルー・リードらがいた。ライブハウス「マックス・カンザス・シティ」によく見に行った。彼らは都会の麻薬とか売春とかを歌にしている連中だったので、「ピース、ピース」とはちょっと路線が違っていたが、僕は関心を持っていた。

 その頃、「毛皮のマリー」のニューヨーク公演をやっていた寺山修司さんに会いに行った。寺山さんの芝居そのものを撮るというより、下積みのオフ・オフ・ブロードウェイから、きらびやかで派手なオン・ブロードウェイに成り上がっていく過程に興味を持った。それで寺山さんには「周辺を撮らせてください」と頼んで、撮影した写真は、のちに、カメラ雑誌で特集された。

 寺山さんが監督をした「書を捨てよ町へ出よう」(1971年)のムービー撮影も任された。フリーランスになる前、上京して原宿のセントラルアパートにあるデルタモンドに入社し、大胆なCMを撮っていた。それを寺山さんは見ていたらしく、「劇場映画をやってみないか」と誘っていただいた。

 当時、16ミリ撮影機も持っていた。同時録音できるものではなかったが、初めてデビッド・ボウイの公演取材をした1972年のレインボーシアターでは、スチール写真とムービーの両方で撮っていた。1日2公演あるので、昼の部はスチールを撮って、夜の部はムービーを撮った。

■音楽性が撮影する動機ではない

デビッド・ボウイと鋤田正義
 僕は音楽が好きだけれども、ミュージシャンを撮影する動機が音楽性に由来するとは限らない。最初に、イギリスのロックバンド、T・レックスを撮ろうとしたのも、音楽雑誌「ミュージック・ライフ」をみていたら、お化粧した2人の若者が目にとまったからだ。正直言うと、彼らの音楽を聴いても、すぐにはピンとこなかった。声の質とか、「オーッ」という感じは全然なかった。逆にいうと、それが新鮮だった。フェデリコ・フェリーニとかミケランジェロ・アントニオーニの映画のように退廃的なところが逆に新鮮に感じたのかもしれない。

 音楽とは別のところに興味を持ったのは、デビッド・ボウイのときも同じだ。T・レックスの撮影のためロンドンに行ったとき、たまたま街でみかけたライブ告知のポスターをみてボウイを知った。ボウイが脚を上げている写真だったが、その脚の上げ方が、どうみてもロックをする人には見えなかった。僕には前衛バレエにしか見えなかった。それで興味を持ち、ステージを観に行った。音楽はよくは分からなかったが、ステージは素晴らしいものだった。それで撮ろうと思った。

 飛び込みの撮影交渉だったが、幸運なことにボウイは私の作品集を見てOKを出してくれた。作品集には、そのころメンズファッションブランドで撮影していたカラスを使ったシリーズを載せていた。後で、そのシュールレアリスムの世界に彼はひかれたんだろうと思った。

 ボウイのコンサートを観ていると、手のひらを広げて凝視するシーンがよく登場してくる。これは僕が子どものときみた映画「アンダルシアの犬」(ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリによる1928年制作、29年公開のフランス映画)の一シーンを意識していると思います。手のひらにアリが群がるシーンなのですが、まさにシュールレアリスム。本人には直接聞いていないけど、明らかに彼が好きなシーンだ。主演映画「地球に落ちてきた男」もボウイで鏡をみながら目を触るシーンがあるが、あれは「アンダルシアの犬」のシーンをほうふつとさせる。

(聞き手・上林 格)

 60年にわたる活動の集大成として制作された初のドキュメンタリー映画「SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬」は、5月19日(土)より新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開。出演は鋤田のほか、デビッド・ボウイ、布袋寅泰、ジム・ジャームッシュ、山本寛斎、永瀬正敏、糸井重里、リリー・フランキー、ポール・スミス、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏、MIYAVI、PANTA、アキマ・ツネオ、是枝裕和ほか。相原裕美監督、115分。

sukita-movie.com

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