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伝説のツアーマネジャーが語る 世界的ミュージシャンの素顔 

ウドー音楽事務所・高橋辰雄代表インタビュー

更新日:2019年02月15日

 半世紀を超えて海外アーティストを招聘(しょうへい)してきたウドー音楽事務所が、アーティストの貴重なサインやギターなどの記念品、秘蔵写真を展示する「UDO 50th Anniversary Special Exhibition 海外アーティスト招聘の軌跡」を2019年3月8日から東京・有楽町駅前の有楽町マルイで開く。ツアーマネジャーを40年以上務めてきた高橋辰雄・同社代表取締役に展示品やアーティストにまつわる思い出を語ってもらった。

ウドー音楽事務所代表取締役・高橋辰雄さん

ミック・ジャガーの初来日公演のポスター

ミック・ジャガーのサイン付きソロ初来日公演のポスター
  いまや「史上最強」という冠が最もふさわしいロック・バンド、ローリング・ストーンズ。彼らの初来日公演は1990年だったが、ボーカルのミック・ジャガーは、一足早く19883月に単独で来日公演を果たしている。このときの東京公演は、その年開業した東京ドームの洋楽公演のこけら落としとなった。また、ミックの体調不良で319日の大阪公演が9日後に延期されたことも話題になった。

高橋 これはアンディ・ウォホールが描いた肖像画を使ったツアー・ポスターです。ミック自身のサイン入りポスターは業界関係者にとってもかなり貴重だと思います。いま持っているのは、僕と当時の社長とあと1人いたかどうか。
 ツアー中にいただいたことを覚えています。僕たちは仕事で携わっているため、僕たちのほうからアーティスト側に「(サインを)くれ」とは言いづらい雰囲気があります。
 だから周りの人には、こんなふうに言っています。「サインはもらわなくても、思い出はすべて自分の頭の中に残っているから」。思い出は、形に残さなくても、他人に見せなくてもいいものですからね。プライドもあります。何回も来日している人であれば、向こうからサインをくれることはありますが、ミックは初来日でした。

ポール・ロジャースのメッセージ入りの写真

ポール・ロジャースのメッセージ入りステージ写真
 英国出身のロック歌手ポール・ロジャースは、1970年代に「フリー」(2回)と「バッド・カンパニー」(1回)で計3回来日公演している。1990年代以降、ソロとして計5回来日している。

高橋 ツアーマネジャーの仕事は、アーティストの写真撮影にも関係してきます。カメラマンから依頼を受け、仲介役としてアーティスト所属のレーベルとかけあい撮影の許可をとるのです。その際、撮影位置とか撮影するときの曲とか具体的に撮影現場をコーディネートします。だから現場で仲良くなるカメラマンの方も何人かいます。彼らから「お礼」としてアーティストを撮影した写真をいただくこともあります。
 ポールがソロで来日公演に来たとき、この写真を持っていって本人に見せたら、「ウォー」と感激してサインをしてくれたのです。撮影したのは、多分バッド・カンパニーとして来日した1975年の時じゃないかと思いますが……。

モトリー・クルーから贈られた友情の証

モトリー・クルーから贈られたオリジナルのライダージャケット
 米国のヘヴィメタルバンド、モトリー・クルーからは、高橋さんの愛称「TACK」とネームが入ったオリジナルの革製ライダージャケットが贈られた。残念ながら、彼らは2015年に音楽活動に終止符を打ったが、ウドーは1980年代から10回を超す彼らの来日公演を支えてきた。

高橋 2008年の来日公演の最終日に楽屋でメンバーから直接、手渡されました。そのときは期待もしていなかったので大変驚きました。厚手の革製で高価なものだと思います。私とアシスタントの2人だけに、ネーム入りの世界に1枚しかないプレゼントですから。まさに彼らの感謝の印ですよ。ツアー中に本国から取り寄せていたようでした。同じような形でエアロスミスから革製カバンをいただいたことがあります。
 モトリー・クルーのメンバーのうちトミー・リーとニッキー・シックスは、日本で手彫りの刺青(いれずみ)を入れたがっていました。彼らの依頼を受けて彫り師を探して紹介したことがあります。
 ツアーマネジャーという仕事は、平たくいえばホテルのコンシェルジュのようなものです。来日アーティストが求めているもの、必要なことを、可能にして、要望を満たし、最高のコンディションにしてステージにあげるのが仕事なのです。
 要望は衣食住に関して、趣味に関して、精神的なものもあれば物理的なものもあります。物理的な要望を満たせば精神的にハッピーになれるし、精神的な不安を取り除くことができればいいコンディションになれる。その状態でステージに上げれば、いいコンサートが実現できうる。お客さんは喜んでくれて、また観に来たいと思う。回り回って次のビジネスにつながるわけです。こうした好循環を続けていくことが私たちの仕事では重要なことなのです。

ザ・フーがステージで使用したマイクとタンバリン

ザ・フーが日本武道館公演で使用したマイクとタンバリン
 英国の4人組ロック・バンド、ザ・フーは1960年代、ビートルズ、ローリング・ストーンズとならぶ人気を誇っていた。しかし、来日公演が実現したのは21世紀に入ってから。200811月、初の単独来日公演が成功のうちに終わると、ボーカルのロジャー・ダルトリーが実際に使ったマイクとハーモニカ、それにタンバリン、ピート・タウンゼントが使用したピックなどが英国から贈られてきた。

高橋 日本でザ・フーは過小評価されています。ロックで初のオペラを採り入れた作品を制作したのは彼らです。個人的には、1970年代初頭、ドラッグとアルコール中毒から音楽活動をやめて隠遁生活していたエリック・クラプトンを、再び表舞台に立たせたのはピート・タウンゼントのおかげだと思っています。
 なかなか来日公演が実現しなかった本当の理由はわかりません。ようやく実現したとき、オリジナルメンバーは2人になっていました。
 マイクに日本武道館公演の日付が書いてあるのがとても貴重です。マイクにつながったコードをぐるぐる巻いてレコードの形に模しているのがしゃれています。ステージでダルドリーは、マイクコードをぐるぐる回し、その勢いでマイクを天に放り投げ、落ちてきたマイクをつかむパフォーマンスで知られています。これはすごい宝物だと思います。

得意の舌出しポーズを決めるジーン・シモンズ

得意の舌出しポーズを決めるジーン・シモンズ
 いまも活躍する米国のロック・バンド、KISS。歌舞伎ばりの化粧に奇抜な衣装でストレート・ロックを繰り出すスタイルが日本でもうけた。初来日した1977年、日本武道館の楽屋の前で高橋さんの手持ちのカメラで撮影した貴重な1枚がこれだ。

高橋 ちょうどいまからステージに行くぞ!と気合が入ったとき、誰かに撮ってもらいました。向かって右側が僕で、左側が警備担当者です。
 当時、日本のホテルはロック・バンドになかなか部屋を貸してくれませんでした。貸すとしてもいろいろと厳しい条件がつきました。このときは、都内某一流ホテルのワンフロアを貸し切り、各出入り口には24時間警備員を配置させるように指示があって経費もかかりました。我々もジャケットを着たきちんとした格好でホテルに出入りしていました。
 このときKISSは、パンアメリカン航空(当時)の乗客席半分を借り切って羽田空港にやってきました。尾翼のロゴはパンアメリカンとKISSのトレードマークが半々に塗られていたのを覚えてます。
 彼らは最初、いつものメイクアップをして出入国管理局にやってきたが、パスポートの顔写真と見比べる担当者が、どうやったって通すはずがないです。仕方なく、一度乗ってきた航空機に戻って化粧を落として出直し、ようやく手続きが済みました。これだけですでに3時間近くかかっていました。
 その後、航空機のタラップに横付けしたリンカーンコンチネンタル2台に分乗してホテルに直行するはずでした。ところが、空港から出たところの横断歩道で、KISS見たさに空港に詰めかけていた約500人のファンの帰りの群れと運悪く鉢合わせしてしまったのです。派手なメイクをしているから目立ちます。1人が「KISSだ」と叫ぶと、一斉に人が車に群がってきました。それからはクラクションを鳴らしっぱなし。幸い、パトカー2台が来てくれて高速道路に乗るまで先導してくれました。あのときの群衆は凄かったですね。

エリック・クラプトンの「ブラッキーJr.」とジェフ・ベックのストラトキャスター

エリック・プラプトン使用の”ブラッキーJr.”
 ロック界の3大ギタリストのうちエリック・クラプトンとジェフ・ベックから贈られた愛用ギターも展示される。今回の展示では、抽選で実際に手にして演奏するチャンスもある。

高橋 クラプトンのギターは1985年ごろ、弊社に贈られたものです。クラプトンは1970年、米国・ナッシュビルで1本たったの100ドルでビンテージのストラトキャスター6本を購入しました。そのうち3本を分解して最良のパーツを選び出して組み上げたのが、有名な愛称「ブラッキー」と呼ばれるギターです。のちにクリスティーズのオークションにかけられ1億円の値がつきました。贈られた「ブラッキーJr.」はサブとしてツアー中におかれたものでしょう。
 ただ、「ブラッキー」と同じで違うパーツで組み上げたものなのか、ボディーとネックが元々一体としてつくられたものなのかは分かりません。
 ジェフ・ベックには1986年に軽井沢であった野外ライブで使用したストラトキャスターをいただきました。実は、1992年に東京・乃木坂にチケットセンターを開いて10年ほど営業していたのですが、建物の中があまりにも殺風景だったのでアーティストのギターを展示するように提案したのです。リッチー・ブラックモア、サンタナにもギターを譲ってもらえるように各マネジメントにお願いしました。

高橋 僕は1974年、弊社にアルバイトで入り翌年正社員になりました。クラプトンは1974年の初来日公演以来、2019年4月の日本武道館公演で22回目の来日になりますが、僕は病気で休んだ1回をのぞきすべてのツアーに帯同しています。いわばクラプトンの来日ツアーは僕のライフワークです。
 クラプトンはギターにサインはしないタイプです。ステージでは、探求した自分の音楽を淡々と披露するというタイプです。曲紹介もほとんどせず、かっこよく見せようともせず、お客さんにはこびない。米国では「エリックはしゃべらない」と不満に思うお客さんもいるくらいです。
 彼は常に自然体です。たとえ皇室の人であろうと、一介の客商売の店員であろうと分け隔てせずに同じ対応をします。ほかのミュージシャンは相手によって態度を変えるのが普通です。虚栄心は張らず、自己顕示欲も出さない。そんな人柄が彼の人気につながっていると思います。
 彼に接したことがない人でも、自叙伝を読めばドラッグやアルコール中毒に陥ったり、親友の妻に恋をして苦悩したりした彼の生き方を知ります。そうした挫折を繰り返しても乗り越え、幸せな家庭を築いていく姿にあこがれている人も多いのではないでしょうか。グラミー賞を受賞して世界的に有名になったことも大きいでしょう。

86年の軽井沢ライブでベックが使用したギター
高橋 ジェフ・ベックはシャイな人です。子どもっぽいところもあって、「ギター小僧」という感じですね。いつもギターと小さなアンプを持っていてホテルで練習している。メカが好きで、汽笛の音をつくったり、車の音をつくったり、ギターでいろいろな音色を表現する人です。
 コンサートが終わると仲間を集めてバーでよく飲みますが、彼は楽しいお酒です。話題を変える一つの材料として酒を飲んでいます。その場でよくジェスチャーゲームをします。何かのマネをして当てます。そういうとき、僕も輪に入るのですが、そばでみているだけでなく、自分も何か表現しないといけません。とても緊張します。一方で明日のことも考えて適当に切り上げて楽しく終わらせるのも我々の仕事でもあります。

 高橋 辰雄(たかはし・たつお)
ウドー音楽事務所代表取締役。1974年にアルバイトとして業界入り。75年から正社員となり、40年以上、ツアーマネジャーを務めた。海外アーティストらには愛称「TACK」で親しまれ、ボブ・ディラン、ミック・ジャガー、ポール・マッカートニーら数多くのスーパースターを招聘してきた。2015年から現職。

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