カーボン・ニュートラルへ向け疾走する欧州企業(前編)


1959年東京都生まれ。82年、早稲田大学政治経済学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中にベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。90年からドイツ・ミュンヘンを拠点にジャーナリストとして活動。著書に『ドイツの憂鬱』『新生ドイツの挑戦』『ドイツ病に学べ』『なぜメルケルは「転向」したのか』『ドイツ中興の祖 ゲアハルト・シュレーダー』など。
欧州連合(EU)は2050年までに二酸化炭素(CO₂)などの温室効果ガスの排出量を実質ゼロにし、カーボン・ニュートラル(非炭素化)を達成することを目指している。そうした政治の動きに合わせて欧州の製造業界でも、エネルギー源のグリーン化などによってカーボンと決別しようとする動きが急速に進んでいる。その背景には投資家や消費者の厳しい監視の目がある。
オランダ・アムステルダムに本社を持つ電機メーカー、ロイヤル フィリップス(以下フィリップス)。19世紀に創業された同社は、約100カ国7万7400人を雇用するグローバル企業だ。電球、ひげそり、コーヒーメーカーから空気清浄機まで多種多様な家電製品を製造しており、欧州だけではなく世界中の消費者になじみ深い企業だ。
同社は2015年に、「健康的な人々、持続可能な地球区社会」というキャンペーンを開始し、オランダと米国の工場やオフィスで使用する電力を100%再生可能エネルギーに切り替えた。米国の工場の電力は、テキサス州のロス・ミラソレス風力発電基地(出力約300メガワット)によってまかなわれている。
さらにフィリップスのオランダ国内の工場・オフィスでは、西の海岸に近いゼーラント地方にある二つの風力発電基地で作られた電力だけが使われている。同社は19年にオランダの化学メーカー・ヌーリオン(旧アクゾノーベル)、食品メーカーDSM、グーグルとともに、電力会社との間で再生可能エネルギー電力の長期購入契約を結んだ。いわばエコ電力の共同購入である。
フィリップスによると、ロス・ミラソレスとゼーラント両発電基地は、同社の世界中の消費電力のほぼ半分をカバーしている。
20年末までには、同社の世界中の全ての工場・オフィスが再生可能エネルギーによる電力だけを使用する見通しだ。
さらにフィリップスは、医療機器の軽量化や省エネ設計によって、過去の製品に比べて間接的に気候への負荷を減らす努力も行っている。
この結果、同社は18年から約2年間で売上高を4.5%増やす一方で、CO₂排出量を10%減らした。フィリップスのフランス・ファンホーテン最高経営責任者(CEO)は、「持続可能性を高めることは、我々のお客様と社会に利益をもたらすだけではなく、環境への負荷を減らしながら長期的な経済成長を実現することにもつながる。したがって、我が社は持続可能性の強化を、経営の柱としている」と語っている。
自動車部品から、モノのインターネット(IoT)まで扱うドイツの総合技術メーカー、ロバート・ボッシュ(本社・シュツットガルト近郊のゲルリンゲン)も、使用するエネルギーの非炭素化を進めている。同社は19年末までに国内の全工場・オフィスで使う電力を100%再生可能エネルギーに切り替えた。20年末までには、世界中の400カ所の工場・オフィスで再エネ100%を実現する。
同社のフォルクマル・デナーCEOは、「コロナ危機が起きても、気候変動が止まるわけではないので、我々は2020年以降も気候保護のための努力を続ける。CO₂削減には費用がかかるが、地球温暖化を傍観して何の手も打たない場合の費用は、さらに大きくなる。エネルギー効率を高める努力は、経費削減にもつながる」と述べ、メーカーにとっての非炭素化の重要性を強調した。

エネルギーを大量に消費する重厚長大産業でも、非炭素化の動きが進む。ドイツ・ルール工業地帯のエッセンを本社とする大手製鉄企業ティッセン・クルップは、その代表だ。
同社は約16万人の従業員を擁し、年間売上高は420億ユーロ(5兆2920億円)にのぼる。19年7月にパリ協定を視野に入れた「気候保護プログラム」を公表し、その中で「2030年までに製鉄の過程で排出されるCO₂の量を30%減らし、50年までに実質ゼロにする」という目標を打ち出した。
同社のグイド・ケルクホフ元CEOは、「気候変動は、全ての市民、企業にとって重大な脅威だ。我が社は世界各地で活動している製鉄企業なので、製品と製造プロセスの気候への負荷を長期的に減らすという課題について、大きな責任を持っている。我々は責任の重さを自覚している。したがって50年にカーボン・ニュートラルを達成するという目標を立てたのだ」と語っている。
ティッセン・クルップは、現在CO₂削減のために「Carbon2Chem(炭素から化学物質を=以下C2C)」という研究プロジェクトを進めている。これまで同社では、製鉄時に溶鉱炉から排出される可燃性のガス(高炉ガス)を主に燃料として再利用したり、製鉄所内で使う電力の発電に使ったりしていた。
「C2C」の目的は、水素を使った化学反応によって、高炉ガスに含まれるCO₂を化学物質に変換して、化学製品の製造のために再利用することだ。この方法を使えば、高炉ガスからのCO₂が大気中に放出されることはない。
この際に使われる水素の製造方法も重要だ。現在製鉄所で使われている水素の大半は化石燃料由来だが、そうした水素を使った場合、製鉄プロセスの非炭素化は難しい。そこでティッセン・クルップは、「化学反応プロセスには、再生可能エネルギーによる電力で水を電気分解して作った、グリーン水素だけを使う」と説明している。
同社は「我々はCO₂を必ずしも有害な廃棄物とは見なしていない。むしろ、化学製品を作るための資源だと考えている。このテクノロジーを使えば、現在化学業界が使う炭素の製造プロセスの気候への負荷を大幅に減らすことができる」と指摘。同社はCO₂のリサイクル(再利用)を考えているのだ。
ドイツ連邦教育科学省は、6000万ユーロ(75億6000万円)の助成金を投じて「C2C」プロジェクトを支援しており、同社は「2030年までには実用化にこぎつける予定」と述べている。
さらに同社は、製鉄に使われる燃料についても石炭からグリーン水素に切り替えていく方針だ。

欧州の製造業界がこぞって非炭素化を進める背景には、投資家やアナリスト、そして市民の間でも地球温暖化問題への関心が強まっているという事実がある。多くの機関投資家にとって、非炭素化は投資の際の重要な判断基準となっている。
つまりメーカーが非炭素化のための努力を怠ると、投資家がその企業から資金を引き揚げたり減らしたりする可能性がある。またドイツのように市民の環境意識が高い国では、メーカーがカーボン・ニュートラル実現に向けて十分努力をしているかどうかについて、消費者が強い関心を持っている。万一、環境保護団体などが、製品のボイコットを呼びかけた場合には、企業活動に大きな悪影響が出るかもしれない。
したがって欧州のあらゆる業種で、非炭素化は企業のイメージだけではなく業績をも左右する重要なテーマとなっているのだ。彼らがウェブサイトの一番目立つ所に「カーボン・ニュートラル」や「持続可能性の重視」を掲げる理由は、そこにある。(続く)