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松山市、道後温泉と子規と島で「観光未来都市」へ

松山市、道後温泉と子規と島で「観光未来都市」へ
営業を続けながら保存修理工事がすすむ道後温泉本館(撮影・上田俊英)
松山市

愛媛県松山市。瀬戸内海への玄関口・三津浜港からフェリーに乗ると、1時間ほどで中島(なかじま)に着く。平安~戦国時代は「水軍」忽那(くつな)氏の拠点として栄え、いまは柑橘の特産地として知られる。内閣府が選定する「SDGs未来都市」と「自治体SDGsモデル事業」。2020年度、その両方に選ばれた松山市の持続可能な「観光未来都市」づくりは、この島を舞台に始まる。(元朝日新聞記者・上田俊英)

まち全体が「屋根のない博物館」

松山市は、歴史的な観光資源に恵まれたまちだ。

江戸時代の初めに築城された松山城からは、市街地が一望できる。天守は、一度は落雷で焼失したものの、幕末の1854年に再建され、国の重要文化財に指定されている。

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正岡子規が「松山や 秋より高き 天主閣」と詠んだ松山城(撮影・上田俊英)

城から北東に見える道後温泉は、日本最古の温泉といわれ、1894年に建てられた本館も、国の重要文化財だ。

幕末にこのまちに生まれ、明治時代に活躍した俳人・正岡子規(1867~1902)は、英語教師として愛媛県尋常中学校(現・松山東高校)に赴任していた親友の夏目漱石(1867~1916)の下宿「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」で52日間、同居していた。

その愚陀佛庵はいま、道後温泉近くの「子規記念博物館」で、復元された1階部分を見ることができる。

まちは、漱石の『坊っちゃん』や司馬遼太郎の『坂の上の雲』の舞台にもなった。のんびり散策するだけで、こうした歴史上の人物たちの足跡を容易にたどれる。

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中島の泰ノ山の山頂から望む島の中心部。その先に忽那諸島の島々が見える(撮影・上田俊英)

中島もまた、この地域の歴史に大きな足跡を残す。

有人、無人をあわせて大小30ほどの島々からなる忽那諸島。そのなかで最大の中島は平安時代の1084年、京の都を追われた藤原親賢(ちかかた)が配流され、本格的な開発が始まったとされる。親賢は姓を忽那にあらため、以後、忽那氏が島々を支配した。

島の中央のやや北にある泰ノ山(たいのやま、289メートル)の頂にはかつて、忽那氏が築いた山城があった。築城は平安時代が終わろうとする1189年と伝えられる。

山に登り、城跡に立つと、フェリーが着いた大浦港と島の中心部、そして忽那諸島の島々が眼下に広がった。ここは、たしかに「水軍」の拠点。そう実感させられた。

「屋根のない博物館」――。先人から受け継いできた、こうしたさまざまな歴史的な観光資源をネットワーク化し、地域全域を「物語のあるまち」として観光客をひきつけ、回遊してもらう。それが、松山市がすすめる観光未来都市づくりの大きな柱だ。

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中島のにぎわい創出のイメージ(松山市提供)
まちづくりの核「中島」、再エネでにぎわい創出

SDGsは経済、社会、環境の三つの側面をもつ。松山市の観光未来都市づくりについて、担当する高岡伸夫・地方創生戦略推進官は、次のように説明する。

「経済の側面からは、『屋根のない博物館』としての魅力を高め、まちににぎわいを創出する。社会の側面からめざすのは、安全・安心で安らぎのある暮らしの実現。環境では、温暖で日照時間が長い気候を生かして太陽光発電を普及させ、脱炭素社会をめざす」

そして、瀬戸内海国立公園の島々など、豊かな自然環境と共生したサステナブルツーリズム(持続可能な観光)を実現していくという。

計画をすすめるにあたり「効果が見えやすい舞台」(高岡さん)が、中島だった。

豊かな自然に囲まれているとはいえ、離島に押し寄せる少子高齢化の波は高い。人口は減少の一途をたどり、松山市と合併した2005年には3700人余りが暮らしていたのが、いまは2400人を割り込んだ。

安全・安心な暮らしに欠かせないエネルギー供給網も、離島ゆえに脆弱だ。

これらは程度の差はあれ、地方に共通する課題でもある。

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中島で昨年夏に実施されたグリーンスローモビリティの走行試験(松山市提供)

計画では、中島で太陽光発電などの再生可能エネルギーの導入をすすめ、蓄電池も設置。島内移動には低速電気自動車「グリーンスローモビリティ」や電動アシスト自転車「E-Bike」を活用するなどエネルギーを地産地消して、持続可能な「スマートアイランド」を実現する。市は昨年夏、島でさっそくグリーンスローモビリティの走行試験を実施して、島民や観光客に乗り心地を体験してもらった。

また、島でつくった再生可能エネルギーの電気の価値を、市が「グリーン電力証書」の形で企業などに販売。購入した企業などが、たとえば道後温泉のような観光地でイベントを実施するとき、証書を活用して「このイベントには中島のグリーン電力を使っています」などとPRできるようにする。

環境貢献を証書という形で示すことで、企業などにとってはイメージアップにつながるうえ、中島での取り組みや成果を多くの人に知ってもらえる。こうして島の魅力を発信して、島外からの観光客を増やし、にぎわい創出につなげていくという。

「証書」の販売収入は基金化して、新たな太陽光発電設備の設置などにあてる。「『証書』の意味を周知しながら、再生可能エネルギーのさらなる普及拡大をはかっていきたい」。市環境モデル都市推進課の伊藤智祥主幹は、そう話す。

こうした取り組みには、素地があった。

松山市によると、市の年間の日照時間が全国平均を上回り、日照に恵まれている。このため、市はいち早く太陽光発電の導入拡大施策に着手。2000年度に始めた太陽光発電への補助制度によって、19年度末までに計約6万3000キロワットの太陽光発電設備が設置された。

また、13年には国の「環境モデル都市」に選ばれ、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにするまちづくりも始まっていた。その取り組みでも中島は、再生可能エネルギーを「創る、貯める、賢く使う」実証事業の場に位置づけられていた。

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(松山市提供)
まちづくりの協議会に130団体

松山市は昨年7月、「安全で環境にやさしい持続可能な観光未来都市まつやま」をテーマに「SDGs未来都市」「自治体SDGsモデル事業」に選ばれた。そして、同月さっそく、行政、企業、銀行、大学、NPOなどが連携して持続可能な地域をつくるため、「松山市SDGs推進協議会」を発足させた。「持続可能なまちづくりを行政だけですすめるのは、難しくなっている」(伊藤さん)からだ。協議会の参加団体はいま、市外、県外もふくめて130を超える。

昨年10月には協議会のもとに、中島での具体的な取り組みの実施にあたる「スマートアイランドモデル分科会」を立ち上げた。島でこれからなにを、どういうスケジュールでやっていくのかを決めていく。

分科会の代表者兼コーディネーターをつとめる愛媛大学大学院理工学研究科の野村信福(しんふく)教授(熱工学)は、廃油などに高周波やマイクロ波を照射して原子と分子がばらばらになったプラズマ(液中プラズマ)を発生させ、そこから水素を取り出す研究をすすめている。

こうして取り出した水素を使い、2011年には水素を燃料とする市販の水素自動車を走らせた。14年には人力で飛ぶ「人力飛行機」に燃料電池を積み、燃料電池の力だけで16秒間、飛行させることにも成功した。

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愛媛大学の野村信福教授(撮影・上田俊英)

「松山は日本のカリフォルニア。日照を考えれば、これだけ恵まれた環境はない。中島で太陽光発電の導入を拡大して、その電気で水素をつくり、燃料電池車を走らせる。島への往復に使う船も、燃料電池船にする。水素ステーションも、島に置きたい。『未来都市』をつくるなら、そのくらいの構想でいかないと」と、野村さんは強調した。

「わくわくさせる教育」を

あわせて重要なのが、環境教育だという。

「未来を担う子どもや若者を、わくわくさせるような教育をしていかないといけない。『ちょっと不便でもいいじゃないか』という考えを社会に根づかせていくことも、持続可能な社会を実現するうえで、教育の大切な役割だ」と、野村さんは言う。

観光未来都市づくりに向けて、松山市は、伊予市、東温市、久万高原(くまこうげん)町、松前(まさき)町、砥部(とべ)町の周辺2市3町とも連携をはかる。この地域全体を見渡せば、中島のような瀬戸内海の島々がある一方、高知県との県境に接する中山間地の久万高原町では冬にスキーが楽しめるなど、魅力の幅はさらに広がる。

「地域の多様性には、それぞれの地域の歴史や文化が宿っている。多様な人が集まり、働き、活躍していける。そんなまちづくりをすすめていきたい」

松山市地方創生戦略推進官の高岡さんは、そう話す。

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