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あぶくま山から「150年の持続可能な暮らし」を発信

あぶくま山から「150年の持続可能な暮らし」を発信
「あぶくま山の暮らし研究所」の青木一典代表(田嶋雅已さん撮影)

福島県田村市「あぶくま山の暮らし研究所」

福島県の東寄りを南北に連なる阿武隈山地は、10年前の福島第一原子力発電所の爆発で、濃い薄いはさまざまだが、「全身」に放射性物質を浴びた。地元の住民や林業関係者、森林、経済の研究者が話し合って、昨年初め「あぶくま山の暮らし研究所」(https://asli.fukushima.jp/)を立ち上げた。田村市の旧都路(みやこじ)村を拠点に、「150年先」を見据えて山の暮らしを築き直す。研究所の英語名は、 “ Abukuma Sustainable Life Institute”。阿武隈の山林で出会った人たちが、その名前通り、「持続可能な暮らし」を追求する任意団体である。(フリーライター・菅沼栄一郎)

(作成・朝日新聞社)

原発事故が山の姿を変えた

原発事故は阿武隈の山や森にも甚大な影響を与えた。山林は原則、除染の対象外だったため、半減期の長いセシウム137などは少しずつしか消えない。阿武隈の名産品で、山の暮らしを支えてきたシイタケ原木は、放射性物質の濃度が下がらず、出荷停止のまま先行きが見えない。

そんな中で、「研究所」を立ち上げたのが、代表の青木一典さん(59)だ。

もともとは、農家の4代目として黒毛牛経営などを継いだ。しかし、原発事故後に、アスパラ栽培と農業を断念し、森林組合で働いてきた。

事故翌年からは、自宅周辺にモミジやサクラを約1500本植えてきた。いま森林組合が伐採しているスギの木は、100年前に曽祖父らが植えたもの。青木さんは「私たちが使った農地や山を、できるだけ元の姿に戻して、自然にお返ししよう」と考えている。

モミジやサクラは、ひ孫の時代の財産になる。「次の世代のために」は、山で生きる人たちにはあたりまえの感覚だ。その根底にある「世代間公平性」は、SDGsの思想にもつながる考え方だ。

森の「命の連鎖」と再生を守る

森林組合で青木さんに出会ったのが、副代表の久保優司さん(54)だ。原発事故後、岩手県の盛岡地検事務官を辞め、阿武隈山麓に移り住んだ。「福島県の森林除染をする」目的だったが、「林業の作業を通じて、山の表土は森が成り立つ命そのもので、除染のために表土をはぎとると森の命の連鎖・再生が途絶えてしまうことがわかった」という。

そうした森の本質を教えてくれたのが、アドバイザーとして研究所に参加する森林総合研究所(茨城県つくば市)の三浦覚さんだった。「セシウムの9割は、地表から5センチくらいまでの土壌中で粘土鉱物に吸着され、簡単には動かなくなり、たまっています」

交流の場となる「旧オガ工場」の前で。左端手前の女性が荒井夢子さん、中央右の女性が藤原遥さん=2021年4月18日(あぶくま山の暮らし研究所提供)

旗振り役2人が語る「150年先」の意味

「150年先」を目指すのはなぜなのか。そこに込めた思いとは何か。

研究所立ち上げには2人の旗振り役がいた。

一人は、大学院生のころから、阿武隈山地の原発事故被害調査に通い、研究所では顧問を務める藤原遥・福島大学准教授(31)だ。「30年を半減期とするセシウム137は、150年後には3%まで減り、山では野生の山菜やキノコなどのあらゆる資源が制約なく利用できるようになるかもしれません。150年先の世代に誇りを持って手渡せるように、豊かな山の資源を残し、山の暮らしを紡いでいくことが目標です」という。

もう一人が、事務局長の荒井夢子さん(35)だ。田村市の旧船引町に生まれた。荒井さんは「2018年に福島は戊辰戦争150年を迎えました。開発・経済優先だった明治以来の地域政策への反省も込められています。地域の文化や歴史を継承しつつ、放射能汚染の課題に向き合いながら、環境や景観の保全に配慮したライフスタイルのあり方を探していく」と語る。

もう一人のアドバイザーの福島県林業研究センター(郡山市)の熊田淳さんは、150年の森が育つまでに、蜜源、花木、染色、蔓細工、薬用植物、アロマなど山で採れる多様な林産物の可能性に目を輝かせる。

植樹会=2021年4月17日(あぶくま山の暮らし研究所提供)

「気づき」「築き」「木好き」

4月17日、青木代表の考えを共有しようと、地域の林業関係者やメンバーら38人が集まった。コブシやヤマボウシなど景観によい有用な広葉樹約90本を植樹。90代の炭焼き職人らがかつての山の暮らしを語り、20代の森林組合職員らとともに、今後の山づくりについて話し合った。植樹会は来年度以降も続ける。

かつての山の暮らしを語る=2021年4月17日(あぶくま山の暮らし研究所提供)

同研究所は、毎月定例で住民らとともに「あぶくまkizuki会議」を重ね、持続可能な暮らしに根ざした山づくりのあり方を議論していく予定だ。「kizuki」には、「気づき」「築き」「木好き」の三つの意味を込めたという。

並行して、阿武隈地域の記録・情報発信、交流の場となる「旧オガ工場」の整備を進める予定だ。研究所は「あぶくまの今」を、HPやメモリアル交流施設を通じて国内外に発信する。

研究所のメンバーとともに活動する、フリーカメラマンの田嶋雅已さんは、原木シイタケを育てる阿武隈山系の農家の放射性物質との苦闘を約7年間にわたって追った。ドキュメンタリー映画「失われた春 シイタケの教え」として全国に発信する。

ドキュメンタリー映画のワンシーン。阿武隈産洗浄原木を使ってシイタケを試験栽培=2013年、田嶋雅已さん撮影
青木一典代表(田嶋雅已さん撮影)

いったん自然に「お返し」したい

「あぶくま山の暮らし研究所」代表の青木さんにその思いを聞いた。

――研究所立ち上げの旗を振った2人の女性がまず、青木さんを訪ねたとか。

「農家をやめて、ひとりで木を植えていたら、どこかでうわさを耳にして、やってこられました。藤原さんと夢子さんだけでなく、三浦先生や熊田さんもおられました。ありがたいな、と思う半面、だれも地域の仲間がいなくて、恥ずかしかった」

――「山に返す」という思い、をみなさんで聞きに来られたのですか。

「農家をしているころから、何か違うよな、と感じてはいたんです。肥料を入れて作物を増産したり。原発の事故がきっかけで、ああもうだめだな、と農業をやめたんですが。後から考えると、(農業で)土地に負荷をかけていたんだなと感じました」

――この春もまた、木を植えたのですね。

「オオモミジを植えています。200本ほど。これまでは、イロハモミジやイタヤカエデも。いずれ山が真っ赤になる時が来ますかね。京都のほうの山のように。あとは自然のままに。人が手を加えたんだな、と後になって少しわかればいいかなと」

「人の手が入った山を、自分の代でいったん自然にお返しすることはできないか、探っています。むらの土地は先祖から預かっているもので、だれのものでもない。この地域もやがて人がいなくなる。将来、人が戻った時を見据えて、整えてから戻さなければ。そのためにいま、自分にできることをやる。そう考えています」

――4月17日には、地元の人たちと植樹会をしましたね。手ごたえは?

「地元の人たちと一緒に考えていくことがこの団体の大きな目的ですが、簡単じゃないですよ。力んでも、誰もついてこないときがある。会合などで、将来の『種をまければ』とあいさつしています」

――山に生きる人の思想は、SDGsの原点じゃありませんか。

「世間の人が、そうしたことに思いを巡らせてくれるようになりましたかね。田舎に住んでいる俺らのできることは何か。環境への負荷をちょこっとでも減らせる生活があるんじゃないか、それにみなさんが気づいてくれればいいなと思っています」

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