「『脱石炭火力』なくして気候変動の解決なし」 発電所建設反対のうねりをつくり、《環境分野のノーベル賞》に【#チェンジメーカーズ】

社会課題解決のために奮闘するキーパーソンを紹介するシリーズ「#チェンジメーカーズ」。第6回は、環境NGO「気候ネットワーク」の国際ディレクター・理事、平田仁子さん(51)。石炭火力発電所の建設の中止を求める活動が評価され、2021年6月、「環境分野のノーベル賞」と呼ばれるゴールドマン環境賞(注)を受賞しました。気候変動対策にかける思いとは。(聞き手 編集部・竹山栄太郎)
(注)1989年に慈善家のゴールドマン夫妻によって米国で設立されたゴールドマン環境財団が、草の根の環境保護活動家に贈る賞。毎年、五大陸と島嶼(とうしょ)国から1名ずつ、計6人の環境活動家を顕彰する。日本人の受賞は23年ぶり3人目で、日本人女性は平田さんが初めて。海外では、日本語の「もったいない」を世界に広めたケニアの環境活動家ワンガリ・マータイさんも91年に受賞している。
1970年、熊本市生まれ。聖心女子大学卒業後、出版社を経て米環境NGOのClimate Instituteで活動。帰国後の98年、気候ネットワークに参加。気候変動問題に取り組むNGOの国際ネットワークClimate Action Network(CAN)日本拠点の代表も務める。早稲田大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(社会科学)。
くすぶる問題意識、会社やめ渡米
――環境問題との出会いについて教えてください。
大学生まで、環境問題の深刻さにまったく気づいていませんでした。目を向けたきっかけは1992年の地球サミット(注)。地域の河川といったレベルではなく地球規模で環境が脅かされていると初めて知り、「たいへんだ」と衝撃を受けました。自分も関わりたいと思いましたが、問題が大きすぎるし、英語もできず専門性もない。どうすればいいかわからず、普通に就職活動して出版社に入りました。
(注)1992年6月、ブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(UNCED)。持続可能な開発(Sustainable Development)の理念の実現をめざし、約180の国・地域やNGOが参加。「共通だが差異ある責任」「予防原則」などを盛り込んだ環境と開発に関するリオ宣言が採択され、会議直前に採択された「国連気候変動枠組み条約」や「生物多様性条約」の署名が始まった。
出版社での仕事は充実していましたが、一方で問題意識がずっとくすぶっていました。ラジオ講座で英語を勉強し、セミナーに行ったり本を読んだりして気候変動への関心は持ち続け、「自分に何ができるだろう」と頭の半分で模索していました。3年半経ち、思い定めて会社をやめました。気候変動にちゃんと向き合うなら、企業でも政治家でも研究者でも役所でもなく、NGOしかないと思い至ったんです。そして当時なかなか育っていなかった日本のNGOより、星の数ほどあるとされる米国のNGOで気候変動を勉強することを決めました。

――米国ではどんな経験をしたのですか。
気候変動では老舗のNGOのクライメート・インスティチュートに、最初はインターンとして入りました。オフィスは首都ワシントンにあり、一帯には米国の「気候政治」の関係者が集まっていました。所長たちについていって、クリントン政権の気候変動問題の扱いや、NGOの関わりを見て回りました。ほかのNGOを訪ねたり講座を受けたりしてNGOの運営も学び、人脈づくりにも努めました。途中で雇ってもらえるまでは、貯金を切り崩しながらの生活。「気候変動で自分の道をつくろう、後戻りはできない」と覚悟を決めてがむしゃらに動き回りました。
米国には1年あまり滞在し、京都議定書を採択した97年のCOP3(国連気候変動枠組み条約第3回締約国会議)に参加するため帰国。その後は国内での動きに関わりたいと思って日本にとどまり、翌98年、気候ネットワークが前身の組織から再スタートを切るタイミングで、スタッフとして参加しました。
反対の訴え、地域に海外に
――石炭火力発電所の建設反対に取り組んだ理由や経緯は。
石炭火力発電所は日本の温室効果ガスの最大の排出源で、排出量の2割以上を占めています。大きなインフラなので、新たにつくられれば何十年間も運転し続けることになります。「大幅な排出削減がいますぐ必要だ」と科学が明快に指摘しているなか、新たな石炭火力が建設されることほど顕著に逆行する動きがほかにあるでしょうか。石炭火力に取り組むことなくして、気候変動問題の解決はありません。
気候ネットワークは当初、政策提言に重点を置き、一つひとつの建設計画に現場で反対することはしていませんでした。かじを切ったのは2011年、東京電力福島第一原子力発電所の事故の後です。全国の原発が稼働停止するなか、石炭火力の新設計画が短い間にどんどん出てきたのです。
当時、全国的に原発への反対運動は高まっていましたが、石炭火力への反対運動はほぼ皆無でした。地元の人すら計画を知らない状態では、政策提言をしても響くわけがありません。そこで、建設の動きをウォッチして情報をまとめ、地域に入って反対運動をつくることに力を入れました。
――どのように展開したのですか。
まず、日本地図上に建設計画をプロットし、英訳もしてインターネットで公表しました。世界の流れに反して日本がおかしな方向に進んでいることを国内だけでなく世界にも示し、海外の批判的な視点を取り込むねらいでした。
全国で建設計画が浮上するなか、地域での取り組みは、気候ネットワークのオフィスがある京都・東京に近い兵庫と東京湾、交流のある環境団体があった仙台などに絞りました。
兵庫では神戸製鋼所の増設計画に対し、大気汚染患者たちが「またつくるのか」と立ち上がりました。東京湾では、最初は「脱原発のために石炭火力を建てるのはしょうがない」という空気がありましたが、議論を重ねるうちに石炭火力反対の必要性を共有し、地域がまとまり始めました。仙台では、津波被害から再生した干潟の近くに、関西電力が参入して石炭火力を建てるということに地元の人々が反対の声を上げました。運動の広がり方はさまざまですが、きちんと情報を得て問題を理解すれば、人々は動き出すという感触をつかめました。

震災後に計画された50基の石炭火力建設計画のうち、これまで17基が中止となりました。中止の多くは私たちが関わった3地域に集中しています。運動を始めたときは、政府も事業者も石炭火力に突き進んでいる状況でしたので、1基ですら止められるかわかりませんでした。いまでは、国際的な動きとの連携や地域での反対の動きがなかったら、これほどの中止には至らなかったと確信しています。ただ、全部が私たちの成果と言うつもりはありませんし、残り33基は建設中か運転開始済みですから、手放しで喜べる状況ではまったくありません。
気候変動対策、カギは市民
――ゴールドマン環境賞を受賞した感想は。
石炭火力の計画中止をNGOの活動の成果だと評価してくれたことは、日本にとって新鮮なメッセージだったと思います。「気候変動対策には市民の取り組みが大事だ」ということを改めて伝えられる機会になりましたし、地域でチラシを配ったりさまざまな活動をしたりする人たちにも勇気を与えることになったと思います。私自身、「もっとがんばれ」という激励だと受け止めています。
――メガバンクグループへの株主提案もおこなっています。
政策提言だけでなく現場を動かさなければと考えるなかで、金融機関の役割が重要だという認識も強くなりました。金融機関の融資があって建設計画が成り立つからです。
パリ協定ができた2015年前後から、海外では化石燃料事業からのダイベストメント(投資撤退)が活発化しましたが、日本の金融機関の動きは鈍かった。そこで20年、石炭火力事業への世界最大の貸し手とも言われたみずほフィナンシャルグループの株主総会で、パリ協定の目標に沿った投融資計画の開示を求める株主提案をしました。翌21年には三菱UFJフィナンシャル・グループの株主総会でも同様の提案をしました。いずれも否決されましたが、それぞれ34.5%、22.7%の賛成を得て、一定のうねりをつくり出すことができました。

――何が平田さんを突き動かしているのでしょうか。
欧米の国々と違い、日本のNGOは政策に関わり社会問題を解決する主体として必ずしもきちんと位置づけられてきませんでした。意思決定の場からはじかれることもあり、立場の苦しさは常に感じてきました。分厚い壁を前にどう隙間を見つけ、切れ目をつくって変化を起こしていくかというチャレンジの連続でした。
気候変動は単なる環境問題ではなく、人間社会のいろんな問題を集約しています。知れば知るほど問題は深く大きく、いま解決に挑まないことで生じる問題もまた大きい。だから私自身をとらえて離さないのです。日本国内では少数派のように思えますが、世界で同じように奮闘するNGOの人たち、さらには海外政府や企業からも励まされ、自分はグローバルな変化のなかで動いていると感じられています。

30年全廃、実現できる
――政府の新しいエネルギー基本計画案では、30年度の電源構成に占める石炭火力の比率が19%(現行の30年度目標は26%、19年度実績は32%)とされ、平田さんたちが掲げる「30年ゼロ」と隔たりがあります。
30年までの石炭火力全廃をめざすキャンペーン「Japan Beyond Coal」を1年前に始めました。いま国内では165基が動いています。この7~8年でどんどん増えましたし、現在建設中のものもありますので、比率を下げることがますます難しくなっています。でも、30年ゼロは実現できると思っています。英国では12年に40%を超えていましたが、9年間でほぼゼロにしました。決断が1年、2年と遅れるほど実現は遠のきますが、明確な意識を持って転換を進めていけば、いまならまだ間に合います。

日本政府の2050年カーボンニュートラル宣言は評価しますが、達成のためにいま必要なことまで踏み込めていないのは問題です。「産業構造の転換」と言うものの、それが何を意味し、どのような政策が必要か、いま何をしなければいけないかがあいまいです。たとえば2050年に建物からのCO₂がまったく出ないようにするには、きょう新築する建物もゼロエミッション型にし、既存建物の省エネ改修も進めなければいけません。将来のイノベーションに依存して変革を遅らせるのはあやうく、足元の施策がカギを握っています。
もう一つ、日本で抜け落ちているのは「公正な移行」です。産業構造が変われば化石燃料に関わる仕事がなくなり、地域も労働者も困ることになります。労働者が地域にとどまりながらよりよい仕事に移ることは、国の支援なくしてはできません。
――SDGsと気候変動の関係について聞かせてください。
気候変動対策は、SDGsが掲げるさまざまな目標、たとえば女性の活躍や貧困撲滅、さらには森や海を守ること、平和を守ることにもつながります。大切なのは、その連動する目標の達成に向けて、よりよい社会と経済をつくるという視点です。化石燃料を使って経済を発展させるモデルを根底から見直し、いままでと質の違う成長と発展に向けて、各自が明るい未来をつくっていく立役者なんだという思いでチャレンジしていくことが望ましいと思います。
――一人ひとりができるアクションとは何でしょうか。
まずは仲間を見つけることです。気候変動に起因する災害が深刻化し、気候変動問題に関心を持ち始めた人、何かしたい、あるいはし始めたという人は増えています。仲間が増えれば大きなことができます。自分にできるのはここまでと線を引かず、石炭火力のように気候変動の問題を悪化させるエネルギーや経済システムの構造を変革するために、もう一歩何ができるかを考えてみることが大事です。

朝日新聞SDGs ACTION!副編集長。2009年に朝日新聞社入社。京都、高知の両総局を経て、東京・名古屋の経済部で通信、自動車、小売りなどの企業を取材。2021年にSDGs ACTION!編集部に加わり、2022年11月から副編集長。
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