荒天に耐え移送準備に総力 ライチョウ復活作戦【5】

国の特別天然記念物・ライチョウは、本州中部の高山にのみ生息する「氷河期からの生き残り」です。近年、生息数が激減し、絶滅の恐れが高まっています。環境省は2019年から中央アルプス(長野県)で、前代未聞の「繁殖個体群復活作戦」をスタートしました。当初から取材を続ける山岳ジャーナリストのリポートです。

1959年生まれ。信州大学農学部を卒業後86年、朝日新聞に入社。初任地の富山支局で山岳取材をスタートし、南極や北極、ヒマラヤなど海外取材を多数経験。2022年1月、退社してフリーランスに。長野市在住。日本山岳会、日本ヒマラヤ協会に所属。

1975年生まれ。2003年、朝日新聞社に写真記者として入社。東京、大阪、札幌を経て2021年9月から映像報道部次長。サッカー南アフリカW杯や東京五輪のほか、イラク・シリアで紛争や難民取材などを経験。中央アルプスでのライチョウ復活事業では何度も山に入り、辛抱強くライチョウを追いかけた。
3家族の移送を決定
2020年、環境省が中央アルプスで進める「ライチョウ復活作戦」で、2018年に確認された飛来メスに動物園から提供された有精卵を抱卵させる試みは、孵化(ふか)直後に5羽のヒナが全滅するという最悪の事態となりました。
原因はニホンザルに巣を覗(のぞ)き込まれた母鳥がパニックとなり、ヒナが散り散りになったためでした。望みは、北アルプス・乗鞍岳からのライチョウ家族の移送作戦に託されました。
移送作戦は、卵の入れ替え作戦以上に手間も人手もかかります。予定の個体数を移送するためには、まず、ケージ保護してヒナを守らなければなりません。ライチョウのヒナは、孵化後1カ月の死亡率が高いことがわかっています。ヒナが孵化する7月上旬は、梅雨時と重なり、悪天候だと体が冷えて死亡してしまいます。また、自力で飛べないので、テンなどの天敵の被害に遭いやすいのです。
この二つの要因を取り除けばヒナの生存率がぐっと上がります。復活作戦の現場で指揮を執る信州大名誉教授の中村浩志さんが考案したのが、ケージ保護でした。木枠と金網で作ったケージで、夜間、ライチョウ家族を収容して守る。日中は、家族を外に出して人がつきっきりで見守り、天敵などを近づけなくする。手間と時間をかけて孵化したヒナたちを守り抜くのです。
今回、環境省は3家族を移送することを決めました。ケージ保護は、ヒナが孵化したらすぐに家族を収容する必要があるのですが、ハイマツの下に隠れている巣を見つけるのは困難を極めます。
ライチョウは、抱卵から育児までを母鳥のみが行い、オスは近くの岩場などに立って、なわばりに侵入する他のオスや天敵を警戒します。メスが巣から出るのは1日数回、高山植物を食べるときだけ。茶褐色の羽は保護色で見つけにくいのですが、このわずかなチャンスに、巣とメスの抱卵を確認することから作業が始まるのです。

つがいが保護予定地から200mに
抱卵が始まった2020年6月上旬、私はライチョウのつがいを確認するため、朝日新聞東京本社映像報道部の杉本康弘カメラマンと2人で乗鞍岳に行きました。乗鞍岳は、標高2700mの畳平まで車道があり、日帰りの取材が可能です。この時期はまだ除雪作業が畳平まで終わっておらず、2600mの大雪渓・肩の口バス停近くの駐車場に車を止め、アイゼンとピッケルの冬山装備で畳平より上にあるハイマツ林へと向かいました。
雪に覆われた急斜面を登ると、時折、「グワーッ、グワーッ」というオスの鳴き声が聞こえてきます。まだオープンしていない山小屋「肩の小屋」近くの雪が積もった車道から、杉本カメラマンと2人でハイマツ林を観察しましたが、なかなかライチョウを見つけることができません。
1時間ほどたった時、杉本カメラマンが「いたー!左の谷の上をオスが飛びました」と叫びました。あわてて指示する方向を双眼鏡で確認すると、黒い羽、白い腹、目の上に赤い肉冠があるオスが岩の上に止まりました。



車道とハイマツ林は高さ約2mの石垣のような法面(のりめん)で隔てられています。杉本カメラマンは、忍び足で法面に近づき、オスいる岩場を望遠レンズで撮影し始めました。
私も近くにメスがいないか、双眼鏡で探しました。ライチョウを驚かせないよう、身をかがめて慎重に観察を続けると、ハイマツ林からメスが姿を見せ、盛んに高山植物をついばんでいます。私は「間違いなく近くに巣があり、抱卵している」と杉本カメラマンに声をかけました。
保護ケージへの収容は基本的に人が付き添って誘導していきます。巣からケージまで遠いと時間もかかり、悪天候だとヒナが死ぬ恐れさえあります。幸い、ケージ保護の予定地は、この場所から200mほど西の平坦(へいたん)地。誘導しやすい場所と感じました。
後日、中村さんにつがいの発見場所、メスの採餌場所を伝えました。最終的にケージ保護した3家族のうち、私たちが見つけた家族も含まれていたようでした。
信州大山岳会部員3人も応援
ケージ保護は7月上旬から始まりました。この時期、乗鞍岳周辺は悪天候が続き、暴風雨となることも多く、活動は厳しい条件が続きました。中村さんのほか、環境省職員やライチョウサポーターズたちが連日、ずぶぬれになってライチョウの母子を守りました。早朝から日暮れまで、つきっきりでライチョウ家族の世話をする体力と忍耐が求められる作業です。
7月上旬から約1週間、信州大山岳会の現役部員3人がケージ保護のアルバイトをしました。参加したのは、いずれも2年生の河内皓亮さん、大島龍太さん、北野なつこさんです。ケージ保護のメンバーを募っていた中村さんから「悪天候の高山でも、問題なく活動できる山岳部員を紹介してほしい」と頼まれ、同会OBの私が後輩たちに声をかけました。


信州大山岳会はOBに「登山界のアカデミー賞」と呼ばれるフランスの「ピオレドール(黄金のピッケル)」の受賞者が複数おり、日本の登山界をリードする存在です。長野県外出身の3人は「実力のある山岳会で登山を思う存分に楽しみたい」と信大に入学しました。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大のため、新年度早々に大学側が課外活動の自粛を決定。テント泊をする登山は「3密」の典型的なスポーツなので、合宿はおろか、個人山行もできない状態でした。
山への憧れが募るなか、ケージ保護のアルバイトを知り、3人は「登山経験を生かし、少しでもライチョウの保護に貢献したい」と考えました。肩の小屋に宿泊しながら、ライチョウ親子の「お散歩」を見守ったり、餌の高山植物を採取したりして早朝から休みなしで作業を続けました。
期間中は連日、暴風雨に見舞われ、レインフェアを着込んでも体温が奪われる状況。しかし、3人とも山岳会で鍛えた経験から「厳冬期の合宿に比べたら、これくらいの天候なら問題はない」。ただ、70歳を超えた中村さんが、ケージの中でかがんで泥だらけになりながらライチョウの世話をする姿に、感じ入っていたようです。



作業4日目の早朝、中村さんは3人に「朝食までに乗鞍岳山頂を往復して帰ってきなさい」と声をかけました。雨に加えて強風で視界もほとんどない悪条件でしたが、3人は喜んで登山道を駆け上がっていきました。中村さんは「ライチョウもケージに閉じこもるとストレスがたまる。登山ができない3人も同じ状況」と笑いました。
長雨などの悪天候にもかかわらず、中村さんたちが連日つきっきりで世話をした乗鞍岳の3ケージで、3家族は順調に育ちました。
受け入れ先はケージ設置着々
一方、受け入れ先の中央アルプスでも、3家族を収容する保護ケージの建設準備が始まりました。設置場所は、木曽駒ヶ岳山頂直下にある頂上山荘近くのハイマツ林。7月22日、環境省の職員たちが作業していると、近くにある高山植物のお花畑にニホンザルの群れが現れました。子どもを背負った母ザルもおり、全体で30匹以上。高山植物を夢中になって食べています。
6月初旬に、ニホンザルの出現で孵化直後のヒナが全滅したばかり。環境省信越自然環境事務所の有山義昭・野生生物課長は「サルはライチョウの餌となる高山植物を食べており、餌をめぐる競合関係が心配だ。木曽駒ヶ岳周辺はライチョウの放鳥予定地でもあり、サルの生息状況の調査が必要だ」と警戒心を強めました。
さらに、復活大作戦の前に大きな壁が立ちはだかりました。後は、ライチョウ家族を乗鞍岳から木曽駒ケ岳に移送するばかりとなったのですが、両方が同時に晴れていないとヘリコプターが飛べないのです。にもかかわらず、7月以降は悪天候続き。ただ待つしかなく、時間ばかりが過ぎていきます。場合によっては、今回の作戦が中止となる可能性さえ出てきました。