緊張の16分、3家族をヘリで初空輸 ライチョウ復活作戦【6】

国の特別天然記念物・ライチョウは、本州中部の高山にのみ生息する「氷河期からの生き残り」です。近年、生息数が激減し、絶滅の恐れが高まっています。環境省は2019年から中央アルプス(長野県)で、前代未聞の「繁殖個体群復活作戦」をスタートしました。今回は、いよいよ孵化(ふか)したヒナたちと母鳥を移送する段なのですが……。当初から取材を続ける山岳ジャーナリストのリポートです。

1959年生まれ。信州大学農学部を卒業後86年、朝日新聞に入社。初任地の富山支局で山岳取材をスタートし、南極や北極、ヒマラヤなど海外取材を多数経験。2022年1月、退社してフリーランスに。長野市在住。日本山岳会、日本ヒマラヤ協会に所属。

1975年生まれ。2003年、朝日新聞社に写真記者として入社。東京、大阪、札幌を経て2021年9月から映像報道部次長。サッカー南アフリカW杯や東京五輪のほか、イラク・シリアで紛争や難民取材などを経験。中央アルプスでのライチョウ復活事業では何度も山に入り、辛抱強くライチョウを追いかけた。
連日の悪天候で仕切り直し
2020年7月、北アルプスや中央アルプスの山岳地帯は、悪天候が続きました。中央アルプス・木曽駒ケ岳に移送するライチョウの3家族をケージ保護していた北アルプス・乗鞍岳も連日の雨で、ライチョウ家族を十分な時間、ケージ外に出すことができませんでした。
この年、復活作戦は、二つの取り組みにチャレンジしました。一つは、飛来メスが産んだ無精卵と動物園から運んだ有精卵を入れ替え、孵化(ふか)したヒナたちをケージで保護する。もう一つは、乗鞍岳から3家族をヘリコプターで移送し、まとまった数による「創始個体群」を確立させる、でした。
ところが、無精卵と有精卵の入れ替えは、孵化にこそ成功したものの、直後にサルの群れが現れ、驚いた母鳥から離れてしまったヒナが凍死して全滅。作戦の成功は、乗鞍岳からの3家族の移送のみに託された形となっていました。
ヘリが山岳地帯を飛ぶときは、高山特有の気流の乱れや雲などの影響があり、通常の飛行よりもかなり条件が厳しくなります。
離陸場所は乗鞍岳の「肩の小屋」、着陸場所は中央アルプス・木曽駒ヶ岳山頂直下の頂上山荘です。いずれも3000m近い高所で、天候急変の恐れがあります。ヘリの飛行時間は約15分ですが、有視界飛行のため、離陸場所と着陸場所が雲に覆われていない好天が必要条件となります。
環境省は、予備日を含めて7月23~26日のいずれかにライチョウ家族を移送する計画を立てました。私と朝日新聞東京本社映像報道部の杉本康弘カメラマンは、22日に木曽駒ヶ岳山頂に近い天狗荘に宿泊し、23日早朝のヘリのフライトに備えました。報道関係者は、朝日新聞やテレビ局など4社でした。
天狗荘から頂上山荘までは約30分。しかし、23日は朝から雨となりました。雨具を着込んで頂上山荘まで行き待機しましたが結局、フライトは翌日に延期されました。
翌24日になっても好天の兆しは見えません。午後になり、頂上山荘で環境省信越自然環境事務所野生生物課の有山義昭課長が報道陣に説明しました。「25日も26日も天気の回復が見込めないので、今回のヘリ移送は延期します。今後の天気予報を踏まえると7月中の移送はなく、最短でも8月2日を予定しています」。沈痛な表情でした。

登山者から拍手と歓声
環境省職員も報道陣も仕切り直しとなり、とりあえず下山しました。ですが、その後もなかなか好天に恵まれず、環境省からの連絡は二転三転。結局、8月1日にフライトすることになりました。7月31日に私と杉本カメラマンは宝剣山荘に宿泊し、8月1日のヘリ飛行に備えました。
当日。雲はありましたが、早朝から晴れました。ヘリの運航は、山岳地帯のフライトで実績のある東邦航空が担当します。着陸場所は、頂上山荘近くの登山道の交差地点。木曽駒ケ岳を目指す登山者が、ひっきりなしに通過していきます。10m四方程度の平坦(へいたん)地で、「こんな狭い場所に着陸できるのだろうか」と不安になりました。
午前10時前、環境省の鈴木規慈専門官が登山者に呼びかけました。「まもなく乗鞍岳からライチョウの家族がヘリコプターで到着します。着陸地点はヘリのダウンウォッシュ(吹き下ろし)による強風で非常に危険です。ヘリが着陸するまでキャンプ地で待機してください」
100人近い登山者たちを安全な場所に誘導して強風への対処方法を説明し、一人ひとりにしおりや小型クリアファイルなどの「ライチョウグッズ」を配りました。

午前10時18分、轟音(ごうおん)とともにヘリが上空にやってきました。着陸するとライチョウ家族を入れた段ボール箱が三つ運び出され、中村浩志・信州大名誉教授と環境省の小林篤専門官が降りてきました。この間、わずか数分。すぐに、ヘリは飛び去りました。
作業を見守った鈴木専門官は、座ってヘリの着陸を見守った登山者に「ご協力していただき、ありがとうございました」と頭を下げました。
その瞬間、登山者たちから盛大な拍手とともに、「おめでとうございます!」「よかった!」などの歓声が上がりました。私は「ライチョウの保護には大勢の人たちの協力が必要なのだ」と改めて感じ、胸が熱くなりました。
乗鞍岳からの飛行時間は16分でしたが、着陸するとすぐに木曽駒ヶ岳周辺はガス(霧)に包まれました。天候もギリギリのタイミングでようやく味方になってくれました。本当に現地でのライチョウの保護活動は、ハラハラドキドキの連続です。

親子別々に洗濯ネット活用
これまで、飼育する動物園などの施設間を車で運んだケースはありましたが、ヘリでライチョウを移送するのは初めてです。ローターの振動がヒナたちに悪影響を及ぼさないかといったいくつもの不安がありました。
今回、母鳥とヒナは100円ショップなどで売っている洗濯ネットで別々にくるまれて段ボール箱に入れられました。洗濯ネットを使うのは中村さんのアイデアで、こうするとライチョウたちはおとなしくなり暴れることがないので、移送中も傷つかないのです。捕獲して個体識別用の足輪を着ける時も、ネットを活用します。


ライチョウをヘリで運んだ初めての例になり、移送作戦は成功しました。ライチョウの保護活動は、こうした小さな試みの積み重ねで、一つ一つの技術を確立していきます。パズルのピースを埋めていくような作業の連続なのです。

さっそく頂上山荘横に用意されたケージにライチョウ親子を移します。着陸から約30分で3家族19羽(母鳥3羽、ヒナ16羽)を三つのケージに収容することができました。3家族は、約1週間、ケージで保護して中央アルプスの自然環境に慣れさせました。


ついに放鳥 ところが……
8月7日、木曽駒ケ岳の新しい環境に慣れたころを見計らって、ライチョウ家族を放鳥しました。この日は時折、強風が吹く雨模様の悪天候。ケージから外に出すと、少し離れたハイマツ林で、1羽の母鳥がヒナの抱雛(ほうすう)を始めました。
抱雛とは、母鳥がおなかの下にヒナを入れて温める行動です。6羽いるヒナはかなり大きくなっており、もう若鳥と言ってもいいサイズです。母鳥は羽を大きく広げないとヒナ全てを包み込めません。
雨が強くなり、夏なのに気温がぐんぐん下がってきます。母鳥は30分たっても抱雛をやめず、雨に打たれながら羽を広げてヒナを温め続けています。
見かねたケージ保護のスタッフが優しく母鳥を追い立たせ、「もう遠くへ行っていいんだよ」とつぶやきました。家族は、ガスに包まれたハイマツ林の中へと入っていき、姿が見えなくなりました。
放鳥後もヒナたちは10月ごろまで母鳥と一緒に過ごします。果たして天敵の被害を受けず、厳しい自然条件を乗り越えて無事に生き抜くことができるでしょうか。