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12.5兆円と600兆円 日米の格差、原因は? 藤田康人のウェルビーイング解体新書【6】

12.5兆円と600兆円 日米の格差、原因は? 藤田康人のウェルビーイング解体新書【6】
インテグレート代表取締役CEO/藤田康人

著者_藤田康人さん
藤田康人(ふじた・やすと)
株式会社インテグレート代表取締役CEO。1964年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部を卒業後、味の素に入社。ザイロフィンファーイースト社(現ダニスコジャパン)の設立に参画してキシリトール・ブームを仕掛け、製品市場をゼロから2000億円規模へと成長させた。2007年5月、IMC(統合型マーケティング)プランニングを実践するマーケティングエージェンシー「インテグレート」を設立。著書に『カスタマーセントリック思考』『THE REAL MARKETING―売れ続ける仕組みの本質』(いずれも宣伝会議)など。

政治から研究の分野まで、世界中のあらゆる人々の注目が今、ウェルビーイングに集まっています。

SDGsの大きな潮流の中でコロナ禍を経て、人々の幸せに対する価値観や生き方、暮らし方が大きく変わったことは、このコラムの中でも何度もお話ししてきました。

マーケターの立場から、私は今こそすべての企業がウェルビーイングの視点で既存ビジネスを見直し、新規領域へ参入する絶好のチャンスだと考えています。今のこのタイミングは、新しいビジネスが生まれる環境がそろっていると言えるからです。

巨大化するアメリカのウェルネス産業

では実際に、ウェルビーイングに関連するビジネスは現在、どのような状況なのでしょうか。

ウェルビーイングの概念は、体と心、そして社会との関係性という広範囲をカバーしています。そのため、そもそも「ウェルビーイングビジネス市場」といっても、その実情を明確に推計することはとても難しいのです。

そんななか、実態が顕在化していてわかりやすいのは、アメリカのウェルネス産業です。

対象となるのは、「ウェルネスツーリズム」や「フィジカルアクティビティー」、「予防医療・公衆衛生関連」といった、いわゆる「健康産業まわり」になります。

ウェルネス領域の調査研究を進める米NPO「GLOBAL WELLNESS INSTITUTE」の調査によると、その市場規模は2022年時点で約4.4兆ドル。日本円にすると約600兆円になります。

同様の枠組みでみたときの同年の日本の市場規模は約12.5兆円(予測)ですから、この領域ではアメリカがかなり先行しているということができるでしょう。

さらにアメリカでは今、睡眠・マインドフルネス・瞑想(めいそう)に関するテクノロジー領域を指す意味で使われていた「トランステック」という言葉が「ウェルビーイング・テクノロジー」へと名前を変え、産業としての規模を拡大しようとしています。

2020年には、ウェルビーイング分野へのスタートアップに対する投資が1兆円を突破。企業向け遠隔メンタルヘルスケア、瞑想アプリ、ビデオ診療など、投資を受けた企業は350社を超え、5年前より2割以上増えています。アメリカのウェルビーイングビジネスは、すでに成長モードに入っているといえるかもしれません。

巨大化するアメリカのウェルネス産業ですが、世界の「ウェルビーイング市場」のすべてを占めるのかといわれると、さすがにそうではなく、一部に過ぎないでしょう。世界中の人たちのウェルビーイングを実現するためのアイデアは、既存のウェルネス産業という枠組みを超え、いくらでも出てくることになるはずだからです。

たとえば、私たちを心から楽しませてくれるエンターテインメント産業、家族や友人との大切な時間に満足感を与えてくれる外食産業などは、ウェルビーイング産業と言っていいと思います。

そういった周辺の産業を加えると、世界規模でのウェルビーイング市場は、750兆円規模にも広がるのではないかとも言われています。ウェルビーイングビジネスの領域は、これからさらにどんどん広がっていくことになるでしょう。

背景のひとつに「負の歴史」?

正確な比較は難しいとはいえ、600兆円と12.5兆円という日米のウェルネス領域での市場規模の差は、人口(米国・約3億3000万人、日本・約1億2500万人)を考慮しても、あまりにも大きく広がっています。

では、日本とアメリカの市場環境には、どんな違いがあるのでしょうか?

アメリカでウェルビーイングビジネスが急成長する背景のひとつに、アメリカにおける偏見と差別の歴史があると考えられます。「負」の側面を持つ歴史を背負っているアメリカ社会は、差別や不平等といった問題にとても敏感で、社会的に弱者とされる人々の救済にも積極的です。

その姿勢は、メンタルヘルスの領域でも同様です。1999年には世界で初めてのメンタルヘルス会議を開催し、2008年には「メンタルヘルス・パリティ法」という、精神疾患と身体疾患の保険の取り扱いの不平等をなくす法律を施行しました。

アメリカではウェルビーイングが注目されるはるか昔から、メンタルヘルスという心の問題を社会として黙殺することなく、むしろ解決すべき要件としてさまざまな取り組みが進められてきたのです。

保険制度の問題点 かえって普及のきっかけに

アメリカと日本では決定的な違いがもうひとつあります。保険制度です。

日本は「国民皆保険」が制度として確立している国です。保険証があれば、誰でも、どこでも、いつでも、保険医療を受けることができます。

一方、アメリカは民間保険中心の国です。公的医療保険としてあるのは、高齢者や障害者を対象とした「メディケア」と、低所得者向けの「メディケイド」の2つ。それ以外の人たちは、企業が提供する民間の医療保険に加入しているケースが一般的です。

従業員200人以上の企業には医療保険の提供が義務付けられているため、アメリカ国民の約7割が民間保険に加入しているといいます。ただし、どんな内容の保険になるかは、勤めている企業次第。医療保険の内容が、働く人たちの会社選びの重要な選択肢のひとつになっています。

裏を返せば、アメリカの企業は、質の高い従業員を確保するためには条件のよい医療保険を提供することが採用戦略上の重要なテーマになっています。一方で、手厚い内容の保険になればなるほど、当然ながら企業が負担する保険料は大きくなります。

このような「民間保険を中心に成り立っている医療制度」が、実はアメリカでウェルビーイングビジネスが先行する大きな理由のひとつになっているのです。

高齢化社会にともなう医療費の増大は、日本でも大きな問題とされています。しかし世界の中でみると、1人当たりの年間の保険医療支出は、日本は上位10カ国にも入りません。

一方、支出額が群を抜いて多いのがアメリカです。例えば、アメリカの中でも医療費が高いニューヨークのマンハッタン地区の場合、虫垂炎で入院・手術したとすると1日の入院費が100万円を超えることも少なくないといいます。

保険医療が高額になると、自己負担分を支払う個人も、保険負担部分を支払う企業も、そして保険請求に対して保険適用分を支払わなければいけない保険事業者も、みんなが困ってしまいます。

三者いずれも医療費の抑制が重要になってきますが、その中で特に深刻なのが企業です。民間医療保険の掛け金は年々増加の一途をたどっていますが、その増加分の多くを負担しているのは、雇用主である企業だからです。

そこで企業が注目したのが、従業員が心身の健康を保つための遠隔メンタルヘルスケア、瞑想アプリ、ビデオ診療など、さまざまな「ウェルビーイング・ソリューション」です。

増え続ける医療費を抑制するために、そもそも従業員が病気にならないよう心身の健康を保つための工夫が必要とされ、そこに需要が生まれ、ビジネスが生まれる。これが今、アメリカでウェルビーイングビジネスが急成長している土壌になっているのです。

実際、アメリカでは、Google、インテル、Meta(Facebook)などの先進企業を中心に、多くの企業がストレスケアだけでなく生産性向上を目的としてマインドフルネスプログラムを導入しています。

では、保険制度などのビジネス環境がアメリカとは違う日本では今後、ウェルビーイングビジネスはどのように市場が形成されていくのでしょうか。そして、どんな領域が有望なのでしょうか。

この話はまた、別の機会にお伝えしたいと思います。


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