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〈わの1票@62年後の夏〉戦争にならぬよう投票

2007年07月25日

 1枚の写真がある。空襲後の青森市で、行方がわからなくなった家族や親類の遺体を捜す人々。焼け跡にいるセーラー服姿の少女はこの時、14歳だった。

写真

焼け跡で遺体を捜すセーラー服姿の女学生(写真中央右)=青森空襲を記録する会提供

 花田哲子さん。今年で76歳になった。写真は、花田さんが伯父の遺体を捜していた時に撮影された。「62年たっても、いまだに空襲の夢を見るんですよ」。花田さんはそう言って、当時を振り返る。

 45年7月28日、数十機の米軍爆撃機B29が青森市を襲った。同市の市民団体「青森空襲を記録する会」によると、確認されているだけで、1000人以上が犠牲になった。

 現在の古川2丁目に住んでいた花田さんは、家族と共に近くの防空壕に逃げ込んだ。中では、赤ん坊の声。「泣かせるな。敵機に聞こえる」。兵隊が母親に叫んでいた。花田さんがそこを出た直後、その防空壕を爆弾が直撃した。

 さらに、花田さんの記憶をたどろう。

 古川跨線橋(こせんきょう)に差しかかった時、男の子の手を引き、赤ん坊をおぶった女性から「子どもを連れて逃げて下さい」と懇願された。背中の赤ん坊からは煙が出ていた。よく見ると、首がなかった。

 跨線橋から振り返った青森市は、まさに火の海だった。「あそこを通ると今でも涙が出るの。生きていれば、今頃はあの子たちにも孫がいただろうって」

 花田さんは戦後、小中学生に空襲の体験を語る活動を28年間続けてきた。同じ悲劇を繰り返さないためには、自分の記憶を語り継ぐべきだと考えるからだ。

 自衛隊の海外派遣、論議になりそうな憲法9条の改正。「何だか、また戦争が始まりそうな気がする」。最近の世の中の動きに、そんな胸騒ぎを感じる。

 ――あなたの1票をどうしますか。

 「戦争をしたい人なんていないと思うの。今も昔も、戦争は上に立つ人が起こすもの。だから、そうならないように投票します」

 伯父の遺体は、空襲の4日後、自宅の敷地内で見つかった。「熱かったろうねえ」。そう言った時、炭化した遺体の鼻からとつとつと鼻血が流れた。あの夏の出来事から、もうすぐ62年を迎える。

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