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〈いま、何が 09奈良・衆院選:3〉首長 保守地盤から反旗

2009年8月13日

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 自民党が長年、厚い支持基盤を誇ってきた県南部では、衆院選のたびに各市町村長が自民候補の「選対本部長」「後援会長」として名を連ね、時には選挙カーに乗って応援した。そんな自民支持の「首長連合」にも異変が起きている。

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 45年――。自民の奥野誠亮氏(96)、信亮氏(65)の父子がほぼ半世紀、県内で衆院の議席を守り続けた原動力のひとつが、首長たちの力だった。

 文相、法相などを歴任し03年に引退した誠亮氏が現役のころ、「3区の市町のほぼすべての首長が、(各自治体で組織された)奥野会の会長だった。選挙になると首長が先頭に立って動いてくれた」(服部恵竜・自民党県連幹事長)。

 その首長が最近、次々と自民党に反旗を翻している。

 「(町長選で、私を)つぶしにかかってきた奥野はんとは、縁を切る」

 6月の広陵町長選直前まで「広陵奥野会」会長だった平岡仁町長はこう言い切る。

 平岡町長のような「奥野離れ」は、広陵町にとどまらない。「次の衆院選で、奥野氏全面支援を約束するのは大和高田、御所、葛城の3市長と、ほかに2町長くらい」(服部幹事長)だという。

 発端は08年6月、奥野氏の地元・御所市長選だった。

 選挙戦は、奥野後援会に属した2人の一騎打ち。結果は、信亮氏が肩入れした候補が当選したが、民主党が支援した元県議が1016票差に迫る善戦を演じた。05年の衆院選時、御所市では、信亮氏が民主候補の得票(5297票)のほぼ2倍(1万1309票)を得ており、1千票余差という結果は奥野氏の影響力の低下を印象づけた。

 2月の王寺町長選では、民主推薦の新顔が、自民推薦の新顔に64票差で勝利。6月には広陵町で、民主の支援を受けた平岡町長が、奥野会が支援した自民系新顔を451票差でかわした。

 いずれも、分裂した保守の一方が民主と合流し、小差で勝利するパターンだ。無党派層の多い「奈良府民(大阪で働く奈良県民)」の新興住宅地で支持を広げる民主が、保守分裂を機に、農村や自治会、地元企業など保守地盤を切り崩す構図でもある。

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 4区でも、07年10月の橿原市長選で、自民の国会議員、県議・市議らが応援していた現職を、民主系の新顔が破った。各市町村長らが参加した4区の自民候補の合同選対会議に、最も有権者の多い橿原市長が不在という異例の事態につながった。

 ある首長はこう漏らす。「今回の衆院選も自民の応援はするが、本当は勝つべきではないのかもしれない。一度負け、守旧派などを切り離し、本来の自民を再構築したほうがいい」

 首長の存在が大きいのは、自治会など地域の投票行動にも影響を与えるからだ。

 かつて主に自民支持だった王寺町の千葉忠春町議(73)は、2月の町長選で民主系候補を支援して以来、今では後援組織をあげて3区の民主候補にてこ入れしている。

 「以前は町長が自治会単位で自民への投票を要請していた。自治会は町から補助金をもらっており、圧力と感じたものだ」。町長選前の今年初め、町議に従って民主系支持を打ち出す自治会長は町内約50人のうち2人ほどだったが、今や約10人が民主支持。また半数は、自民支援を取りやめたという。

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