現在位置:
  1. 2009総選挙
  2. 地方ニュース
  3. 奈良
  4. 記事

主な候補者こんな人 奈良1区・2区

2009年8月20日

印刷印刷用画面を開く

 30日の投票に向け真夏の舌戦がスタートした衆院選。県内の4選挙区に立候補した主な候補者の横顔を2回に分けて紹介する。

 (届け出順、年齢は投票日現在。〈 〉内の政党は推薦・支持)

 <1区>

◆心身鍛え自信強固 馬淵澄夫(まぶちすみお)氏(49)=民前

 政治家を志したのは、小学校6年生の時。故・田中角栄首相にあこがれ、迷わず彼が歩んだのと同じ土木、ゼネコンの道を進んできた。本会議で登壇すると必ず、「かつて田中角栄は〜」のフレーズを発言に潜ませてきた。そして今、自らこう言い切る。

 「田中角栄にあこがれた馬淵澄夫少年が今、角栄の作り上げた企業・団体献金、派閥・利権政治の仕組みをひっくり返し、彼のためのレクイエムを奏でようとしている」

 強烈な自信。そして集中力。支えるのは、趣味のボディービルで鍛えた強固な心身だ。子どもの頃は「ぼーっとしたタイプだった」というが、「トレーニングで集中力が高まった」。今は早朝や夜にほぼ毎日、バーベルやダンベルを持ち上げる。県外に出張したときも、宿泊先に近いジムを探し仕事を終えた後に向かう。「エネルギーが余っちゃうから」と豪快に笑う。

 「表現者」であることにこだわる。小学生のときからつけている日記のほか、ネットを使った支援者らへのメールマガジンは1500号を超えた。「書くことは怒りを沈める手立てだったり、物事の見方を整理して反省したりするきっかけになる」

 1男5女の父。メールマガジンにも家族の話題がたびたび登場している。

◆信条ぶれずに復党 森岡正宏(もりおかまさひろ)氏(66)=自元〈公〉

 「郵政造反組」として自民党を離れたが、09年5月、復党が認められた。

 「ラッキーだった」と謙遜(けんそん)するが、「やっぱり、ここまで努力してきた結果だった」とも思う。

 05年の総選挙に無所属で立候補し、落選した。以来4年、ほぼ毎朝、7時前から駅頭に立った。それこそ「雨の日も、雪の日も……。出張時以外は」欠かさなかった。

 「握りなさい」

 寒い朝、見知らぬ人が温かい缶コーヒーを差し出してくれた。「あんな寄せ集めの民主党に負けたらあかんぞ」「無所属でもがんばれ」

 絵が趣味。今、取り組むのは20号の油絵「カサブランカ」。花言葉は威厳だ。

 「国のために命をささげ、靖国神社に眠る人たちに内閣総理大臣がお参りもできない、こんな情けないことで独立国といえるのか」

 戦前、国家神道に弾圧された歴史を持つ公明党関係者の前でも、自説は曲げない。奥野誠亮・元法相(96)の秘書になって以来36年。もともと政治に興味はなかったという元会社員が、国家の威厳を唱える「骨太」の政治家へと成長した。

 「頑固といわれようと、渡り歩く政治家にはなりたくない」

 「ぶれない」が信条だ。

◆子の未来考え決断 井上良子(いのうえよしこ)氏(45)=共新

 赤旗記者、共産党国会議員団県事務所長など、党関連の仕事はおおかた経験してきた。だが、一昨年の秋、沢田博党県委員長から「総選挙に出てほしい」と言われたときは「それ以外は何でもします」と思ってしまった。

 入党は18歳のとき。高卒後に就職した写真現像所で、事務職での採用のはずが配置されたのは現場。社会の矛盾を感じ、友人に誘われて民主青年同盟に参加したのが、初めての政治とのかかわりだった。その後グラフィック・デザインが学べる専門学校に通いデザイン事務所に勤めたが、同盟から誘いを受け、7年間、専従で働いた。

 30歳から3年間は赤旗記者に。家屋買収をめぐる一連の不正事件での三郷町長リコール問題や、林業を営む吉野郡の人の暮らしを取材した。

 立候補を迷ったのは、2人の娘が中1と小4で「子どもとの関係」を心配したから。だが逆にその子たちの未来を考えたとき、「政治が今のままでいいのか」と決断した。

 自宅で話をする時間が少なくなった分、下の娘はよく置き手紙をするように。広告の裏に書かれた「ママファンクラブ会員1号」はうれしくて、戸棚にはってある。朝早く出かけるとき、玄関に「今日も頑張ってね」と書いてある。それが何より力になる。

<2区>

◆組織の責任に信念 高市早苗(たかいちさなえ)氏(48)=自前〈公〉

 小泉旋風と「刺客」ブームに乗って前回返り咲き、当選4回ながら、内閣府特命担当大臣を務めた。科学技術政策から少子化対策まで担当が19分野にも及び、「自分でもよく生きているな、と思うくらい働いた」と振り返る。

 政治の世界を志すようになったのは24歳。故松下幸之助氏が設立した「松下政経塾」に入って1年たったころだ。「90年代には長期不況、大変動期がくるから、国政の場で働けるように準備をしてくれ」。日本経済が絶好調のなかで、こう発する氏の言葉にショックを受けた。その言葉を信じ、目を経済から国政の場へと転じた。

 国政の最大の役割は「国民の生命と財産、国家の主権と名誉を守り抜くことである」と語る。「組織として責任ある姿」にこだわりがある。解散前、両院議員総会の開催を求める署名をしたのも、そのためだ。「別々にマニフェストを出すという声があった。色んな意見を持っていても、最後に打ち出す時には一本化していなければならない」

 金属的な大音響や強いビートが特徴のヘビーメタルのファン。「悲しい時に聴き楽しい気分で寝るとストレスが解消する」。自民前職で調理師免許を持つ夫の山本拓氏(福井2区)の手料理を食べるのが幸せなひと時だという。

◆体験から平和願う 西ふみ子(にしふみこ)氏(74)=共新

 太平洋戦争の末期。岩手県釜石市で艦砲射撃を受けた母は左足に被弾した。治療らしい治療も受けられないまま、膿(うみ)とウジとに悩まされながら目の前で息を引き取った。平和への強い思いは、この戦争体験が原点となっている。

 岩手大を出たあと、小学校と中学校で教壇に立った。しかし親の敷いたレールに乗っていることへの反発などもあり、大学時代に知り合った友人のいる神戸に移り住んだ。働きながら大学まで進んだその友人から「あなたは現場で鍛えなあかん」と忠告され、ケミカルシューズ製造工場で働くようになった。

 当時の労働現場は過酷で、首切りや女性に対する差別が日常的だった。共産党に入り、労働条件の改善を目指し労働組合を組織、執行委員長になった。それで解雇されたが、8年間の裁判闘争の末、解雇撤回を勝ち取った。

 結婚し、出産した後の70年代半ばに生駒市に転居。87年には共産公認で市議選に初当選、4期務めた。07年の知事選に共産推薦で立候補し、約18万票を獲得した。今回の立候補について一人娘に相談したところ、「元気で頑張ってくれるのが一番」と背中を押された。「知事選のときも日を追うごとに元気になった。今回もわくわくしています」と目を輝かせる。

◆税への知識生きる 滝実(たきまこと)氏(70)=民前〈国〉

 国会の合間に地元に戻って街頭に立ち、解散後は1日に30カ所でマイクを握ることも。直立でよどみなく語り、熱が入って予定時間をオーバーすることもしばしば。おかげで、真っ黒に日焼けした。

 旧自治省の官僚時代に、滋賀、三重、奈良に出向し、奈良では総務部長、副知事を務めた。最初に出向した滋賀県税務課での体験が印象的だ。滞納者の家に通い、飼い犬を手なずけ、柱の立派さをほめそやし、話の糸口を探った。その後の活動につながる「訪問技術」は、実はこの頃から培われたものだ。

 本省では税務局長も務めた税制のプロ。地方消費税の創設に携わった際、官僚として出来ることの限界を実感した。「どんな税制を組むかは、本来は政治判断だ」と転身を決意。96年に衆院選で初当選を果たした。

 郵政民営化法案の採決では、自民党の意思決定の仕方に疑問を感じ「造反」。新党日本に移り、今回は民主公認で2区での雪辱を目指す。「主義主張は変わっていない。市町村を主体にする地方分権の考え方などは、もともと民主党に近い」。過去3度戦った民主の中村哲治参院議員とは二人三脚。ともに党広報車に乗り、街頭に並んで立つ。

 「最近はやる暇がない」というそば打ちが趣味。

検索フォーム