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福島1区・2区 主な候補者の横顔

2009年8月20日

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(敬称略。届け出順。年齢は投票日現在)

◆1区

●はっきりまっすぐ元球児 亀岡偉民(53) 自民・前

 5度目の挑戦で初当選してから4年がたった。国会は「考えていたのとは全く違った」という。長い将来を見据えた議論ができると思っていたら、法案づくりなど「その日の出来事に追われる毎日」。多忙な中でも優先順位をつけ、インフラ整備と幼児教育を最優先としてきた。

 今地元で一番進めたいのは福島、伊達、相馬をつなぐインフラ整備。都市間のネットワークを拡大、企業誘致や交流人口の増加、観光振興による地方経済の活性化を描く。

 子どもの頃の夢は野球選手。高校時代は江川卓氏とバッテリーを組み、甲子園で活躍した。大学時代はスポーツに励む子どもを支援したいと、実業家を目指したこともある。

 スポーツに彩られた人生の転機は、養父の故・亀岡高夫衆院議員との出会い。「郷土の発展なくして国の繁栄はなし」。この信条を亡くなる瞬間まで言い続けた高夫氏の姿に感銘を受け「こういう政治が日本にとって必要だと思った」。亀岡政治を継ごう、と政治家を志した。

 最初は「正義のために働くんだ」とがむしゃらだったというが、今は「みんなに育てて頂いた」と振り返る。「丸いものを上から見たら四角だったと分かった、というところが出てきた。おやじ(高夫氏)の『限りなく中道を行く』いう言葉の意味がよく分かるようになった」

 自己分析は「いいものはいい、悪いものは悪い、とはっきり言うタイプ」「応用力がなくまっすぐ」。スポーツとクラシック音楽鑑賞が趣味で、子どもへのスポーツ指導が大好き。「野球なんか教えてくれって言われたら、すぐ飛んでいっちゃうんです」と声を弾ませる。

 癒やしの存在は、妻と1男2女の家族。支持者回りも家族ぐるみで展開、「家族にものすごく感謝しています」と話す。

●普段は無口、選挙で燃える 山田裕(54) 共産・新

 「この4年間は弱肉強食を極限まで追求する論理で政治が進められた。国民の暮らしが犠牲にされている」。落ち着いた口調で自公政権を批判、「財界や大企業中心の政治の転換」と「憲法9条を生かした平和外交」を訴える。

 選挙区を回る中で、介護、農業、雇用など、様々な問題から追いつめられた人々に出会ってきたという。「首をくくろうか、と言った人も一人や二人じゃない。政治の犠牲者だと思う」。現場で広がる危機を見てきたとの自負がある。

 政治との接点は学生時代。差別、貧困、平和などの問題を前に「世の中の矛盾に対し、自分はどう向き合うべきか」と悩んだ。そんな時、マルクス・レーニン主義を学び「それまでのように漂流せず、羅針盤を持った生き方になった」と感じた。20歳で共産党に入党、党職員として働いてきた。

 今回の選挙では、県内では同党唯一の小選挙区候補者として前線に立つ。二大政党のはざまで臨む選挙だが「風は自分で起こさなくてはいけない。共産党、共産党って持ち上げてくれる人はどこにもいませんから」と奮起する。

 趣味は読書と音楽鑑賞。音楽の話になると、政治を語る時の厳しい表情がゆるむ。好きなジャンルはジャズ。学生時代はビッグバンドに所属し、ウッドベースの演奏を楽しんだ。今は、車で走りながら好きなナンバーをかける。

 衆院選への立候補は03、05年に続いて3回目。本来は無口で、あまり表に出たくない性格というが「選挙だから、そうも言ってられない。昔から知っている人のなかには、『大変だね』と声をかけてくれる人もいます」と笑う。「選挙になれば燃える」と宣言、気持ちを切り替え、マイクを握る。

●応援団仕込みの大声で演説 石原洋三郎(36) 民主・新

 祖父は県知事、父は衆院議員の政治家一家の出身。幼い頃、選挙カーの周りで遊んでいたという思い出もある一方、父は酪農も営んでおり、牛の餌やりや水やりをよく手伝った。「政治家をやってみたいと思うこともあったが、酪農をやりたいと思うこともあった」。国政に行ったら重視したい分野も、農業などの第1次産業だ。

 大学卒業後、電機メーカーに就職。定年まで勤め上げることも考えたが、経済の停滞や少子高齢化など、先行きの厳しい日本を変えたいと思い立った。当時、衆院議員に挑戦していた兄の信市郎・現県議との連携も視野に、05年に32歳で福島市議に初当選。今回、「国民生活をよくするには、究極的には政権交代しかない。その一翼で頑張りたい」と国政を目指す。

 友人評による長所は「がんこなこと」。一昨年秋に立候補予定者となって以来、雨の日も晴れの日も、朝の街頭演説を続けている。演説の声が人一倍大きいのは、高校時代所属した応援団で鍛えた成果だ。

 支持者からは最近、「昔は優しい顔をしていたが、せっぱ詰まってきつい表情になっている」と指摘され、はっとしたという。多くの人に会おうと、「次から次、と行きがちだが、焦らず一人ひとりと話をしていきたい」と自省する。

 好きなタレントを聞かれると戸惑った上で、ポール・ニューマン、里見浩太朗など渋い選択。野球では同世代のヒーロー、イチローや松井秀喜も応援する。尊敬する政治家は徳川家康。長く続いた戦乱に終止符を打ち、太平の時代の基礎を築いたことを評価する。

 この2年間、長女(4)、長男(3)と遊ぶ時間もなかなかとれない。帰宅後、自宅で飼うドジョウや金魚を観賞、ほっと一息ついている。

◆2区

●まじめな政策通、実績自信 根本匠(58) 自民・前

 過去5回の選挙は負けなしだが、今吹く風は、強いアゲンスト。試練を前に「逆風であればあるほど燃えてくる。逆風の中から、風穴を開けて突っ切りたい」と語気を強める。

 政権選択が焦点となりつつある今回の選挙で「政権が変わればいいというものではない。うすっぺらな政権選択よりも、政治家選択。力のある政治家を選んでほしい」と訴える。

 県立安積高、東大を卒業し、建設官僚を経て政治の道へ。厚生政務次官、小泉内閣の内閣府副大臣、5期目で安倍内閣の首相補佐官を歴任。今春、臓器移植法の改正を巡っては、15歳未満の子どもからも、家族の承諾を得て臓器提供の道を開くD案を提案。「政治家としてやりがいを感じた」と振り返る。

 「わたしは官僚をリードし、政策を作り上げてきた。政治家が力をつければ官僚は動かせる」という言葉に、5期16年の自信がのぞく。ここ数年の政治は「政策より政局で、極めて内向きになっている」と批判。自身も支えた安倍、福田の政権投げだしについては「おわびするしかない。安倍さんは5年やれると思ったが、年金記録漏れの逆風に突かれた」。

 「政策通」の評価の一方で、有権者からは「まじめでおもしろみに欠ける」と揶揄(やゆ)される。この評を本人は、「全国の政治家と比べても、やってきた自信はある。でも自慢話は好きじゃないから」とかわす。

 妻と1男1女。7月末の集いでは、法科大学院で学ぶ長男からの手紙に涙して、周囲を「根本さんが泣くなんて、初めて見た」と驚かせた。本人は「政治家になった時は小さかった息子も、大きくなったなあと……。でも、泣いていませんよ」。

 東京から郡山に向かう新幹線の中が心休まるひととき。「唯一、1人の時間だから」

●「嫁入り」皆の代弁者志す 太田和美(30) 民主・前

 民主党の渡部恒三最高顧問が、英仏百年戦争でフランスを勝利に導いた女性戦士になぞらえ「民主党のジャンヌ・ダルク」と評した。千葉7区の衆院補選で風をつかんで最年少国会議員となり、偽メール問題で失われていた党勢を回復させた勇ましさを見せたのは06年春。それから3年余り、選挙期間中の今月28日に30歳になる。

 小沢一郎・前党代表の意向で生まれ育った千葉を離れ、祖父母の故郷・福島へ来た。腰を据え、ゼロから長期選挙に取り組むのは初めての経験だ。選挙運動を通して「地方はしがらみが強い」と感じている。

 昨秋、郡山駅に降り立った第一印象は「予想以上に地域が疲弊している」だった。「一度も民主が議席を取ったことのない厳しい選挙区。民主に議席を与えてくれることで日本の政治が変わる。その象徴的な選挙区になる」と話す。

 三姉妹の末妹。千葉の県立高校を卒業後、教材販売会社員の営業を経て、不動産会社を興した。建築機械リース業を営む父親が政治家の後援者で、小さいときから政治に関心はあった。だが、県議への立候補を最初に促された時は何度も断った。「自分が政治家なんて、考えたこともなかったから」

 それでも25歳で政治の道へ。「国民の声を政治は反映していない。皆の代弁者になりたい」と決意した。

 長所は「こうと決めたらやり通す力と度胸」と自己分析する。福島に来て、好きな酒を断った。得意の自転車遊説では、1日60キロを走破したことも。

 「福島にお嫁に来ました」がキャッチフレーズだが、結婚相手は今のところ、いないという。「選挙が終わったら、掲げた政策を実現するための活動に没頭し、その後に『婚活』します」

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