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鳥取2区・主な候補者の横顔

2009年8月21日

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(届け出順。氏名は原則として日常使用名。年齢は投票日現在の満年齢。カッコ内数字は当選回数。[比]は比例区重複候補者。〈 〉内政党は推薦・支持)

◆未来につながる政治を 湯原俊二氏(46) 民新 [比] 〈国〉

 「今、地方の農家が農業で食べていけないというのは、どういうことなのでしょうか。現在の農政に強い疑問を持っています」

 米子市内で葉たばこやニンジンを生産する農家に生まれた。小中学生の夏休みは収穫などの農作業をよく手伝ったという。当時、総理大臣に就任したのは田中角栄氏。今太閤ともてはやされ、ロッキード事件では刑事訴追された。「権力って何だろう」。政治を志すようになったきっかけだったという。

 早稲田大学を86年に卒業して相沢英之衆院議員の秘書になった。相沢氏の国会活動を支えるうちに、国の政策は国会の議論ではなく、自民党の各部会で決まっていくことを知った。政策スタッフとして働くことに魅力を感じると同時に、自民党の利益誘導体質に疑問がわき、「自分には合わない」とも思った。

 米子市議を経て95年4月に県議会議員に当選。自民党からの誘いもあったが、「未来からの風でありたい」という思いを掲げた当時の民主党に賛同し、準備段階から入党。県連代表も一時期務めた。

 総選挙に立候補する意志を固めて昨年9月、県議を辞職。朝から晩まで街頭に立った。靴4足を履きつぶして2区全域を歩き、そこに暮らす人々の声に耳を傾けてきた。「自然体、地道、愚直という言葉が好きになった」。この間の自分の変化をそう分析し、「地道に政策だけを訴えてきました」と笑う。

 座右の銘は「緑肥の思いで政治を」。「政治は私利私欲のためではなく、公の利益のためにある。現在のためだけではなく、未来につながる政治をしたい」と話す。

 35歳の妻裕子さんとの間に5歳と4歳の男児がいる。家に帰って子どもたちと体を使って遊ぶのが何よりの楽しみ。「親はこういう思いを持って接してくれていたんだと改めてありがたさを知った。次の世代へ確かなものを残したい」

(高井和道)

◆現場で県民支えた自負 赤沢亮正氏(48) 自前(1) [比] 〈公〉

 前回選挙への立候補を決めたのは党県連の公募最終日。「周りは誰も勝つと思ってなかったらしいけど、負けると思ったことはない。楽天的なんです」と自分の性格を分析。今回も「客観的に状況が悪くても、やらなければならないことは出来る性格」と自信をのぞかせる。

 国会では農林水産委員会に所属。委員会にはほぼ毎回出席し、農業への思いは人一倍強い。耕作放棄地対策は「これまで議論してきたことがようやく実現されつつある」と胸を張り、民主党の掲げる所得補償制度を「絵に描いた餅」と切って捨てる。

 昨年9月の自民党総裁選では石破農水相の推薦人に名を連ね、選対本部の事務局次長も務めた。「石破総裁、石破総理を目指している」と公言してはばからない。

 スキーは大学1年で基礎検定1級を取得した実力。ゴルフも好きだが、衆院議員1期目の4年間は、一度もクラブに触れなかったという。時間があれば書店に立ち寄るというほどの読書好き。分野を問わず乱読してきたが、近年は仕事に関する本ばかり読んでいると残念がる。

 トレードマークは「この4年間ですごく増えた」という赤いネクタイ。米子市内の小学校に通う一人息子も「赤沢の赤」と言って、靴など身の回りの物は「赤」い品を身につけたがる。そんな息子が何よりの励みで、「将来は一緒に家庭菜園をやりたい」と笑顔を見せる。

 郵政選挙の追い風に乗って当選したという自覚もあり、有権者と共にあろうと思い続けた4年間だった。雹害(ひょうがい)にあった農家、拿捕(だほ)された水産業者……。いつも現場に立って苦しむ県民を支えてきたという自負がある。逆風の中での選挙だが「政党半分、候補者半分」と言い、候補者半分に賭けることができるのも、その自負があるからだ。「2期目への昇任試験のようなもの。及第点をもらってしっかり仕事を続けたい」

(中村瞬)

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