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岡山3区・4区・5区 主な候補者こんな人

2009年8月21日

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(届け出順)

【3区】

◆弁護士ゆえ、政策実現 西村啓聡氏(33) 民主・新

 公示の8日前、突然の立候補表明で岡山3区の有権者を驚かせた。民主党県連の副代表に就任したのは、その前日。東京・町田市から津山市へ住民票を移したのは公示5日前という慌ただしさ。そのため、3区で自らに投票する権利は持たない。

 東京生まれ。東大法学部、慶大法科大学院を出て、07年12月に弁護士登録。第二東京弁護士会に所属する。新銀行東京住民訴訟や沖縄返還密約情報公開訴訟などを担当しながら、今年1月の民主党の公募に応じたのが、政治との最初の出合いだった。

 「政策は法律にしなければ実現できない。官僚と渡り合うにも法律の知識が必要だ。私のような法律家が政治家になるのは意義のあること」。政治を志した動機をきっぱり言い切った。

 立候補を打診してくれた小沢代表代行から「1日50回、辻立ちをやれ」と言われた。選挙カーを降りて握手するのも駆け足だ。連日、時間との戦いが続く。「歴史的転換点になるか否かが問われている。政権交代の絶好機だ。(3区の候補者の中で)政権交代ができるのは私だけ」

◆専門は医療、津山密着 阿部俊子氏(50) 自民・前

 岡山3区とは、4年前まで全く縁はなかった。当時、郵政民営化に反対した自民前職の対立候補として、党本部が擁立を決めたのが公示の10日前。小選挙区では敗れたが、比例中国ブロックの名簿単独1位で復活、初当選した。今回も名簿順位は優遇されたが、正念場の戦いが続く。

 政治家を目指した原点は短大の看護実習時に見た光景。お年寄りが質の低いケアを受けていた。「制度を変えなければ」。短大卒業後に看護師、東京医科歯科大大学院助教授などを経て日本看護協会副会長。前回選挙でも県看護連盟の全面支援を受けた。

 この4年間は専門分野の医療・介護を中心に「社会保障制度の確立を」「いのち・くらしが脅かされている」と訴えてきた。週のうち4日は地元に密着し、ミニ集会や国政報告会、町内会のイベントなどに顔を出した。この2年間は1年のうち250日は選挙区に滞在していた。

 初当選の約1年後には津山市内に新居を構え、両親を仙台から呼び寄せた。「津山に、岡山3区に根を張らなければ、有権者の生の声は聞けません」

◆「信念の人」、16人統率 平沼赳夫氏(70) 無所属・前

 「信念の人」。自身も、支持者も一致している。郵政解散があった4年前、民営化法案に反対して党本部から公認の対立候補を立てられた。自民県連会長でありながら無所属で立ち、約10万票を得て9回連続当選を果たした。党の処分は「離党勧告」。復党の機会もあったが、誓約書の提出を断固として拒んだ。

 養父は平沼騏一郎元首相。会社勤めの後、衆議院議員秘書を経て80年に3度目の挑戦で初当選。運輸相、経済産業相などを務めた。「まっとうな日本を創る」と主張し、自主憲法の制定を掲げる。拉致議連の会長も務める。

 06年12月から脳梗塞(こうそく)のため5カ月間、政治活動を控えざるを得なかった。が、その間も、前回総選挙で郵政民営化に反対して落選した元議員らを物心両面で支援してきた。そのメンバーを中心に全国の同志16人を束ねて保守系無所属「平沼グループ」で総選挙に臨んだ。政界再編も視野に入れながら、北は青森から南は熊本まで同志の応援に走り回る日々だ。

 「政治家・平沼赳夫の集大成の第一歩」。後援会幹部は前回を超える得票にかける。

【4区】

◆家族総出、父の背追う 橋本岳氏(35) 自民・前

 7月21日の選挙事務所開きで「母や妻、そして兄弟たち家族総出で取り組むこの選挙戦……。比例復活の当選はもうありえません」と、「背水の陣」に触れた。故橋本龍太郎元首相の次男で、元厚生相の祖父龍伍氏から続く世襲3世。大手シンクタンク勤務を経て、父が引退した05年の前回、「橋本家の血を絶やすな」と主張する後援会に押される形で立候補し、比例中国ブロックで復活当選した。

 尊敬する父の「政治は弱者のためにある」の言が信条。世襲批判には「父の背を見ながら子どもの頃から政治を志してきた。前回、急に立候補したわけではない」と反論する。とはいえ、高齢化した父の代の後援会組織は継承し、倉敷青年会議所や妻栄里子さん(35)の子育て仲間など若い支持者との融合を図る。

 国会では医療・介護・難病対策や子育て対策などに取り組み、社会保障、生活保障の分野に「今後、最も力を入れたい」という。後援会長の中谷庄吾・中谷興運社長(44)は「倉敷青年会議所では縁の下で懸命に汗をかいていた。彼の奥ゆかしさにファンは多い」とエールを送る。

◆「庶民目線」格差正す 柚木道義氏(37) 民主・前

 05年の前回は、小泉旋風で自民が大勝する中で、約10万2千票を集めて初当選。再び対決する橋本氏を横目に「自民党は3分の1が世襲。安倍、福田、麻生と歴代の世襲首相がここまで政治を軽くした」と主張する。

 初の立候補は03年の前々回。書籍販売会社員から党の公募に合格し、故橋本龍太郎元首相に挑んで敗れた。「負けた翌朝、雨の倉敷駅前で演説していた。これは本物だと思った」と後援会長の松田忠和・松田病院長(60)は述懐する。

 それ以来、「毎日名刺200枚を配り終わるまで家に帰らない」が自らに課した掟(おきて)。前回、初当選した後も、東京と倉敷を往復しながら週の半分を地元での活動に充てる。「10万人以上の人との触れ合いの中で私は磨かれ、今、政治家として仕事を頂いている」と、ポリシーの「庶民目線の政治」を貫く。

 国会では厚生労働委に所属。医療現場で取材しながら45回質問に立った。「年金、医療、介護、雇用、子育てなど、小泉政治のもとで広がった格差の是正を政権交代で」と訴える。

【5区】

 ◆小選挙区に初の挑戦 加藤勝信氏(53) 自民・前

 最近の演説で頻繁に口にする言葉がある。「今回は『加藤勝信』と書いてください」。そこには二つの意味がある。

 岡山5区は、義父の加藤六月元農水相が中選挙区時代に地盤とした地域と一部重なる。この地で加藤と言えば「六月」。その名を何度も投票用紙に記してきた有権者に、今度は自分の名を書いてほしいとの願いがにじむ。

 国会議員を務めた2期は、いずれも比例単独での当選だった。「今までは自民党への票で当選してきた。投票用紙に名前を書いてもらって議員になったわけじゃない」。よくそう話す。自らの名が記された票を積み上げる、初めての小選挙区の選挙戦。そんな事情が、やはり「勝信と書いて」の言葉になる。

 16年勤めた大蔵省を辞め、政治家の道に足を踏み出したのが95年。03年の初当選後は、介護職員の処遇改善や、障害のある子どものための特別支援教育の充実などに取り組んできた。「苦しんでいる人の声は、本当はなかなか政治家まで届かないと、身をもって知った」。安心できる地域社会を。演説では、その思いも必ず口にする。

 ◆子の未来明るく、信条 花咲宏基氏(43) 民主・新

 総社市で7月末に開いたミニ集会で、相手陣営の話なのに、うれしそうに切り出した。「実は来週、笠岡に麻生さんがいらっしゃいます」

 前回の05年は、今回は比例単独に回った自民の村田吉隆氏に約5万票差で完敗。「首相が岡山5区に応援に来るなんて、前回なら考えられなかった。背中が見えているんです」。そう力を込めた。

 金光学園から慶応大に進み、リクルートに入社。IT関連会社の設立にかかわるなど様々な経歴を経て、大学の応援指導部の先輩だった民主の長島昭久氏の公設秘書に。04年3月、党の公募に合格した。

 集会や街頭の演説では、「子どもが生まれたことが政治を志すきっかけだった」と必ず話す。次の世代にこれ以上借金を残したくない、税金は子どもたちの未来のために使いたい。前回も今回も、訴えの根本は変わらない。

 広い5区を走り回って演説や集会を繰り返し、前回は遠く及ばなかった議席を再び目指す。落選後からずっと乗っている軽ワゴン車の走行距離メーターの表示は、この総選挙の直前、15万キロを超えた。

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