朝日新聞社「吉田調書」報道
報道と人権委員会(PRC)の見解全文(2)

見解全文(1)から続く>

 3 命令に違反した「撤退」はあったのか

 (1)1面記事は前文で「所員の9割にあたる約650人が(中略)待機命令に違反し、10キロ南の福島第二原発へ撤退していた」とし、1面本文では「道路は震災で傷んでいた上、第二原発に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、第一原発へ戻るにも時間がかかった。9割の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ」とし、2面本文でも「待機命令に反して所員の9割が第二原発へ撤退」と記述している。

 (2)「撤退」という表現を用いた理由について、取材記者たちと担当次長は、概略、以下のように説明している。

 吉田氏や東京電力は、「退避」という言葉を使っているが、第一原発所内やその近辺への退避と、10キロ離れた第二原発への退避は、全く意味が違う。第一原発所内やその近辺への退避は、状況が変わればすぐ戻れるが、第二原発に退避すると、簡単には戻れない。防護服の着脱にも時間を要する。また、第一に残ったのは69人にすぎず、9割にあたる約650人が移動している。緊急時対策本部を第一から第二に移す用意もしていたことなども踏まえて、「撤退」という言葉を使った。移動した所員を批判する意図は全くなかった。

 (3)「退避」と「撤退」では、読者の受け止め方はかなり違う。「退避」は退いて危険を避けるという意味で、戻る可能性もあることを含むが、「撤退」はそこを撤去して、退くという意味と受け止めるであろう。

 約650人が第二原発に移ったと言っても、第一原発には吉田氏たち69人が残っており、本部機能はまだ第一原発にあった。そして、いったん第二原発に移動した所員らの相当数が正午以降に第一原発に戻っている。

 「命令違反」に「撤退」が重なる横見出しは、通常の言語感覚からみて、否定的印象をことさら強めており、読者に所員の行動への非難を感じさせるものとなっている。

 4 欠落した発言内容

 (1)本件記事には「所長命令に違反 原発撤退」の横見出しに関わる吉田氏の証言のうち、割愛された部分がある。前述の「伝言ゲーム」について述べた部分(〈1〉)と、「よく考えれば2F(第二原発)に行った方がはるかに正しいと思った」と述べた部分(〈2〉)である。

 これらについて、取材記者たちと担当次長らは、意図的に掲載しなかったわけではないとし、連動していた朝日新聞デジタルには、いずれの部分も載っていると説明している。

 (2)仮に掲載していれば、それだけ読者の判断材料も増え、記事の印象も随分、違ったものになっていただろう。「所長命令に違反 原発撤退」との主見出しに対しても、組み日当日、社内で疑問が広がった可能性もある。

 朝日新聞社の社是である朝日新聞綱領には「真実を公正敏速に報道し」とある。さらに、朝日新聞綱領に基づき、具体的な記者倫理を定めた朝日新聞記者行動基準は「基本姿勢」の【独立と公正】の項目で、「独立性や中立性に疑問を持たれるような行動をとらない。公正で正確な報道に努め」と求めている。〈1〉は指示が的確に伝わらなかったとの吉田氏の認識を〈2〉は指示が適切ではなかったという吉田氏の反省を、それぞれ示しており、読者に公正で正確な情報を与える使命に照らすと、掲載すべきであった。記事は、公正性、正確性への配慮を欠いていた。

 なお、朝日新聞デジタルの特集サイトへのアクセス数は後述のとおり多かったが、朝日新聞本紙の読者数にははるかに及ばない。

 5 2面の記事について


福島第一原発の原子炉のイメージ

 (1)2面では「線量上昇せず 待機命令」との見出しの下、記事本文で吉田氏が第二原発への退避ではなく、第一原発構内などの線量が低いエリアへの待機「命令」に切り替えたいきさつについて、以下のように記述している。

 「2号機格納容器の爆発が疑われる事態だった。 計器を確認させると、格納容器の上部側の圧力は残っていた。吉田氏は『(格納容器が)爆発したということはないだろうな』と思ったが、圧力計が壊れている可能性は残るため、『より安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高い』と考えた」

 「吉田氏は一方で、構内や緊急時対策室内の放射線量はほとんど上昇していないという事実を重くみた。様々な情報を総合し、格納容器は壊れていないと判断。現場へすぐに引き返せない第二原発への撤退ではなく、第一原発構内かその付近の比較的線量の低い場所に待機して様子を見ることを決断し、命令した」

 「吉田氏が驚いたのは、第二原発に離れた中にGMと呼ばれる幹部がいたことだ」

 (2)吉田調書(2011年7月29日聴取)には、次のような記述がある。

 「本店本部とのやりとりで、退避させますよと。そのときにドライウェル圧力がまだ残っているのに格納容器が爆発するわけないとか言っているんですけれども、格納容器の圧力計なんか信用できるか、安全側に考えるんだと。(中略)シビアな側に現場としては考えて退避するんだということで、バスを用意させて退避させたりしたわけです」

 また、「本店側としては、まだ格納容器の圧(力)、ドライウェルの圧(力)が残っているんだからという意見をおっしゃる方もおられたということですか」という問いに答えた次のような記述がある。

 「はい。私も瞬間そう思いました。私自身も、ドライウェルの圧力が残っているから、サプチェン(サプレッションチェンバの圧力)ゼロでも爆発したということはないだろうなとは思ったんですけれども、(爆発)音がしたというからね。(中略)音がしたということと、ゼロ、この2点は大きいと思ったんです。だから、これをより安全側に判断すれば、それなりのブレーク(破損)して、放射能が出てくる可能性が高いので、一回退避させようと言って、2F(第二原発)まで退避させようとバスを手配したんです」

 さらに、2011年11月6日聴取の調書でも、「(東電)本店からすると、ドライウェルの圧力があるんだから問題ないだろうと。それは遠くにいるから思うんであって、(爆発の)音を聞いて、サプチャンが(圧力)ゼロになったら、危ないと思うのは当たり前でしょう」などと同趣旨のことを述べている。

 このように、吉田氏は当時、格納容器が爆発していないと「瞬間そう思いました」ということであり、その後は一貫して、格納容器の爆発を疑って、所員を退避させたと語っている。

 (3)取材記者たちは、上記の記事について、吉田調書のほか、構内や緊急時対策室内の放射線量は爆発音の後でもほとんど上昇していないという事実、東電本店が2号機の格納容器が壊れていないと判断したことを主な根拠として、記事のように記述したと述べている。

 (4)緊急時対策室内の放射線量が爆発音の後でも極端に上昇しなかったこと、また、東電本店が2号機の格納容器は壊れていない、と判断したことは認められる。しかし、吉田調書からは、本件記事とは逆に、吉田氏は本店が格納容器が壊れていないと判断した根拠としたドライウェルの圧力計の値をあまり信用しておらず、サプレッションチェンバの圧力がゼロになっていることで、「かなり危うい」と判断していたことがうかがえる。さらに、記事にあるGMが第二原発に離れたことを知って「驚いた」事実を示す吉田氏の言葉は調書にはない。

 以上からすれば、2面における吉田氏の判断過程に関する記述は、吉田氏の「第一原発の所内かその近辺にとどまれ」という「命令」から逆算した記者の推測にとどまるものと考えられる。

 仮に推測を記述するとしても、記事としては、吉田氏が述べていることと、記者の推測を峻別(しゅんべつ)して記述し、読者に誤解が生じないようにすべきである。そして、推測を交えたストーリー展開が許される場合があるとしても、それは経験則上そうであることが推認できる場合でなければならない。前記の記事はそのような場合にあたるとはいえず、むしろ、吉田氏の語ったことと相違している。


報道陣の質問に答える吉田昌郎・元所長(中央)=2011年11月、福島県大熊町

 6 朝日新聞デジタル

 インターネット版の朝日新聞デジタルは朝日新聞と連動する形で、19日午後6時にツイッターで「特報 吉田調書を朝日新聞が入手しました。明日の朝刊で詳報します」と伝え、特集サイトでは連載企画の「吉田調書」のプロローグを公開した。取材記者の1人が担当した。収容枠に新聞のような制約がないこともあって、長文の連載企画となり、6月9日までに合計9本をリリースした。5月20日午前6時にアップされた第1章1節「フクシマ・フィフティーの真相」では、新聞記事には割愛され、掲載されなかった前述の証言部分も、原文のまま、引用された。本文中の一部に、「命令に反して」、「撤退」、「命令違反の離脱行動」という表現がある。また、5で指摘した問題点もある。これらは訂正されるべきである。しかし、その他はニュース仕立てではなく、読み物的な企画でもあり、見出しなどに問題となる表記はない。

 なお、朝日新聞デジタルの特集サイトには19日からの1週間で、アクセス数が109万あった。

 7 総合英語ニュースサイト

 朝日新聞の総合英語ニュースサイトであるAJWは、本件5月20日付記事の見出しを「90% of TEPCO workers defied orders, fled Fukushima plant」にして、20日夕方に発信した。直訳すれば、「東電の所員の9割は命令を無視して、福島原発から逃げた」との表現となった。公然と反抗するなどを意味する「defy」の過去形を使った。「所長命令に違反 原発撤退」の見出しと記事から、この英単語を選択した。訳したのは長年翻訳作業にあたってきた社員で、AJWの次長もこれを了解した。

 また、5月20日付記事は国外の主要紙、通信社などが取り上げ、そこでも、「Panicked Workers Fled Fukushima Plant in 2011 Despite Orders」(ニューヨーク・タイムズ紙)とされる等、東電の所員が命令を無視して逃げたとの情報が広まった。

 8 20日付報道の総括

 本件は公開されていない「吉田調書」を独自に入手しての報道であり、大きな意義を持つスクープ記事だった。記事の根幹部分は1、2面で横見出しとなった「所長命令に違反 原発撤退」「葬られた命令違反」に沿う内容となっているところ、そのような事実は、取材で裏付けられた客観的な事実としては認めることはできなかった。さらに、取材記者の推測が事実のように記載されている部分もあった。取材は尽くされておらず、公正性と正確性に問題があったといわざるを得ない。

■第3 本件報道に至るまで

 1 特別報道部

 (1)朝日新聞社の特別報道部は記者クラブでの取材に頼らない、独自の調査報道を目指して設置された。前身の特別報道チームは2006年4月、東京編集局長直属の部門として発足。政治や経済、社会などの各部記者とは異なり、政治面、社会面といった固有の紙面を持たないために、日常的に一定の出稿量を求められることはない。09年に特別報道センター、11年10月から特別報道部となった。現在は部長と3人の次長を含め、総員で20人を超す。さまざまな経歴を持つ記者たちが集まっている。

 11年3月の東日本大震災後は、原発事故関連の取材、報道にも力を入れ、朝刊3面で連載中の「プロメテウスの罠(わな)」は12年度の日本新聞協会賞を受けた。また、現地での手抜き除染を取り上げた特ダネが13年度の日本新聞協会賞を受賞し2年連続の栄誉となった。

 (2)本件5月20日付報道の中心となった取材記者2人は、震災時、原発取材にあたり、その後の異動で特報部の次長や、特報部の取材チームへの応援記者として活躍していた。また、20日付報道の担当次長も、手抜き除染の取材チームを率いるなど、特報部内での実績を重ねていた。特報部長も、かつて自身が新聞協会賞を受賞したことがあり、調査報道の経験も長かった。

 2 調書入手と事前作業

 (1)東京電力福島第一原発の事故をめぐり、政府事故調査・検証委員会は772人から聴取を行ったが、聴取結果書の原本は内閣官房で保管され、非公開だった。吉田氏は11年7月から同11月にかけて延べ30時間近い聴取を受けた。

 取材記者の1人(当時経済部所属)は、吉田調書全文の写しを昨年、独自に入手した。分量はA4判で約400ページあった。記者は原発事故発生当時から取材に携わり、専門知識もあったが、この分野に詳しい別の取材記者(朝日新聞デジタルの専門記者であるデジタル委員で、報道局員を兼ねていた。以下「デジタル委員」)とともに、分析を進めた。2人は事故発生直後から一緒に取材にあたり、連載記事のほか、東京電力のテレビ会議映像記録に関する複数の共同著作物などもあった。

 9割の所員が第二原発に移動したことはすでに知られている。一方、吉田氏が東電のテレビ会議で、構内の線量の低いエリアに退避すること等を指示したことは、前述のとおり柏崎刈羽メモに記録されており、朝日新聞はすでに11年5月13日付朝刊において、東京電力の内部資料の記述として報じている。2人も共著の「福島原発事故 タイムライン 2011―2012」(岩波書店)で引用している。このように所員の退避行動が記録されている吉田氏の指示どおりでないことは既知の事実であるとみることができる。取材記者の1人は、吉田調書のニュース価値がこの指示にあると考えた理由について、「吉田調書での生の言葉を読んで初めて柏崎刈羽メモの意味が分かった」と述べている。もう1人は「『撤退問題』も含めて、この問題にこだわってきた。一時待機の命令はこれまで報じられていなかった」と、吉田調書のこの部分を初報として取り上げた理由を説明している。

 2人はごく少数の上司らに吉田調書入手の事実を伝えたが、情報源秘匿を理由に現物は見せなかった。

 (2)吉田調書を入手した取材記者は今年1月に特報部に異動した。これを受けて特報部長は3月ごろ、次長の1人を吉田調書に関する取材・報道の担当デスクに指名した。特報部長は2人の取材記者を原発問題に詳しい記者として評価していた。担当次長についても特報部での2年間の実績を買っており、政治部経験も長いことから、吉田調書を始めとして聴取結果書の全面公開を政府に求めていく紙面展開をするには適任であると考えた。この3人のチームならば、大きな判断ミスはないと信用していた。特報部長は吉田調書の閲覧を特に求めなかった。

 担当次長はデジタル委員とはかつて特報部の同僚だったが、調書を入手した取材記者とは初めての仕事だった。このため、担当次長によると、信頼感のあったデジタル委員をキャップ格にし、取材記者からの原稿はデジタル委員があらかじめ目通しすることを原則にしたという。

 担当次長は吉田調書を瞥見(べっけん)したが、専門用語が多く、分量もあったため、精読はせず、取材記者らが作成した抜粋と資料をもとに2人から説明を受けた。

 吉田調書は朝日新聞の紙面で特ダネ記事として報道する一方、同時に、朝日新聞デジタルでも特集サイトでの連載企画を行う方向で、編集、デジタルの両部門で調整が進んだ。朝日新聞デジタルの企画記事は、デジタル委員が原稿の準備を進めた。

 5月12日、調書を入手した取材記者は担当次長に、初報の原稿案を示した。その前文には「吉田氏の命令に違反して、第一原発にいた9割に当たる約650人が約10キロ南に離れた第二原発まで離脱し」と書かれていた。本文には「命令違反撤退」とも記載されていて、この段階から「命令違反」「撤退」のキーワードが使われていた。

 3 記事作成作業と他部による事前チェック

 (1)5月14日ごろ、記事を紙面に組み込む日が同19日とほぼ固まった。編集部門の出稿責任者であるGE、特報部長、担当次長、デジタル委員らの協議で、朝日新聞デジタルと連携した紙面とすることが確認された。新聞記事も、初報だけでなく、続報を3、4回、出稿していくことも決まった。GEは「間違いなく一級の特ダネだと思った」と述べている。GEは担当次長に吉田調書の閲覧を求めたが、担当次長は情報源が明らかになるので避けたいと述べたため、それ以上要求しなかった。

 東京の編集部門は、毎週2回、水曜日と金曜日に、紙面企画会議を開く。特ダネも含めた大きな記事や連載企画などはここに提案され、掲載の可否や扱い、組み日などを論議する。しかし、本件は、高度の秘匿性を理由に、あえてこの会議に諮らず、原稿は組み日当日に出稿することとされた。

 担当次長と2人の取材記者は、紙面化に向けて協議を重ねた。担当次長によると、14~17日の間に、取材記者、デジタル委員との原稿のやりとりは少なくとも5回にのぼった。議論になったのは、東電の所員が「逃げた」の表現であり、結局、削ることになったという。

 (2)記事には、原発の専門的な用語が多い。担当次長は科学医療部と政治部に初報の事前チェックと、続報への取材協力を求めた。記事組み込みの前日となる5月18日午後3時に、科学医療部次長、同部記者、政治部記者らが集まった席で、紙面用とデジタル用の予定原稿が示された。打ち合わせは約3時間半にわたった。担当次長の趣旨説明の後、その場でデジタル用、紙面用の順に予定原稿を約1時間かけて読み、意見交換をした。科学医療部の参加者からは「所長命令にどの程度強制力があるのか、位置づけがはっきりしない」「『違反』と言っていいのか」「『指示に反して』や、『意に反して』ではどうか」といった質問や代替案が出た。担当次長は「そこはすでにいろいろ議論した上で、こうなった。所長命令があったことは複数の東電内部資料で裏付けられている。周りに多くの人がいて聞いていることは明らか。『違反』も『反して』も変わらない」などと説明した。

 出席者からは、デジタル用予定原稿にあった「伝言ゲームのあれのところで」という吉田氏の発言に関する質問も出た。これはどういう意味か、650人が移動するには相当なバス台数が必要なはずで、なぜ全部が第二原発に行ったのか。特報部側からは「そこは努力しているがわかっていない」「今後の課題」などとの答えがあった。

 18日の打ち合わせで、吉田調書のコピーは示されなかった。取材記者らが打ち直したファイルは閲覧可能と伝えられたが、分量が多いのに記事に該当する部分が特定されておらず、結局、出席者は当該部分を読むことはなかった。

 本件記事について、特報部は法的な視点からの見解、いわゆるリーガルコメントは求めなかった。担当次長は「固有名詞が出てくるのは吉田氏だけであり、特に必要とは考えなかった」としている。

見解全文(3)へ続く>

(朝日新聞 2014年11月13日 朝刊特設B面 東京本社)