朝日新聞社「吉田調書」報道
報道と人権委員会(PRC)の見解全文(3)

見解全文(2)から続く>

 4 20日付紙面の組み込みとその過程における社内からの疑問

 (1)5月19日、記事の組み込み日を迎えた。午後3時半から報道・編成局長室で開かれた当日組みの紙面を検討する会議(デスク会)には、その日の紙面の責任者である当番編集長のほか、出稿各部の次長、編集センターの各面担当次長らが出席した。テレビ回線をつなぎ大阪、西部、名古屋の各本社の当番編集長らも参加した。

 冒頭、GEが発言した。一級の特ダネ記事が出稿されること、朝日新聞デジタルと連携した紙面になること、午後6時にツイッターで特ダネ記事を予告し、同時に朝日新聞デジタルでは吉田調書のプロローグが展開されることを説明し、協力を求めた。デスク会では、本紙用デジタル用とも予定原稿は示されていない。

 担当次長は、「吉田調書は一級の歴史的資料」であるとし、福島第一原発が危機に直面した3月15日に、所員の9割が福島第二原発まで撤退したのは所長の待機命令に背く形であり、GM(グループマネジャー)と呼ばれる幹部クラスまで撤退していた事実は衝撃である、などと説明した。

 デスク会かその後のやりとりで、大阪本社側は「『命令』ではなく、『指示』ではないか」との質問をした。これに対して、担当次長は「他にも支える取材資料があり、間違いない」という趣旨の回答をした。

 東京の当番編集長はデスク会後、「調書を見せてほしい」と担当次長に要請した。しかし、秘密保持や調書自体が多量であることなどを理由に断られた。

 見出しとレイアウトを担当する編集センターの1面担当の総合面デスクは、デスク会と前後して当番編集長と話し合い、見出しを大きく構える紙面とすることで一致した。

 午後6時すぎ、ツイッター予告とデジタルの特集サイトでの「吉田調書」のプロローグ公開が予定通り行われた。編集部門内は初めての試みに、ある種の興奮状態にあった。

 (2)大阪本社では午後5時半以降、見出しをつける編集センターの総合面デスクと編集者の間で、「『命令』より『指示』という表現が適切ではないか」「命令を無視して逃げたというより、命令の内容が十分伝わらなかったのでは」「待機命令を聞いていることの裏はとれているのか」「吉田氏は『命令』『撤退』という言葉は使っていないが、大丈夫か」などの指摘が次々と交わされた。午後8時すぎ、大阪の総合面デスクは東京の総合面デスクへの内線電話で、これらの疑問点を告げた。

 東京本社の総合面デスクは特報部に照会した上で、「命令」については調書以外に裏付ける資料がある、「違反」は「命令とは違う場所に移動したのだから命令違反と言える」、「撤退」については「すぐに戻れない状態であり退避でなく撤退」と回答した。大阪では、大阪紙面のみ「所長指示通らず原発退避」という見出しも検討した。しかし、最終的には東京の見出しに追随した。ただ、東京が2面に掲載した東京電力のコメントを、大阪の独自判断で、1面に引き上げた。

 午後10時ごろ、東京本社では、遠隔地に配る紙面の大刷りを見ていた特報部員が「現場は混乱していたのでは。現場の声を入れた方がいいのでは」などとの指摘を取材記者2人にした。しかし、受け入れられなかった。

 午後11時ごろ、記事の語句や表現、言い回しなどをチェックする校閲センター員の1人は「命令違反」の横見出しが、所員を責めているように読めるので「書き換えるべきではないか」と、編集センターの担当者に提起した。しかし、担当者から「第二、第三のスクープがある。今日は書いてないこともあるようだ」と言われた。

 東京本社の1面最終紙面は、本記の前文をベースにして、「所長命令に違反 原発撤退」の横見出し、「福島第一 所員の9割」の縦見出しとなり、当番編集長も了承した。

 5 続報と社内賞

 取材チームからは、「吉田調書」の原稿が20日以降も出稿された。朝刊1面の見出しだけを挙げる。「ドライベント、3号機準備 震災3日後 大量被曝の恐れ」(21日付)▽「吉田氏、非常冷却で誤対応 『私の反省点。思い込みがあった』」(23日付)▽「事故調、調書の開示想定 吉田氏ら全772人分」(24日付)――と続いた。その間、他のメディアの追随はなかった。

 一方、朝日新聞デジタルの「吉田調書」の特集サイトは、20日午前6時から、プロローグに次ぐ2本目の企画となる「フクシマ・フィフティーの真相」を掲載した。6月9日までに計9本が掲載された。最初の1週間で109万のアクセスがあった。

 非公開の「吉田調書」を入手した報道と、連動しての朝日新聞デジタルの企画に、5月21日、担当役員による編集担当賞とデジタル担当賞が贈られた。

 6 問題点

 取材から紙面組みまでの過程に関し、いくつかの問題点を指摘できる。

 第1に、秘密保護を優先するあまり、吉田調書を読み込んだのは2人の取材記者にとどまり、社内でその内容が共有されることがなかった。報道の漏洩(ろうえい)防止や情報源の秘匿に注意を払うことは、記者として当然のことである。とりわけ、政府が非公開としている吉田調書を入手したのであるから、2人の取材記者が細心の注意を払ったことは十分に理解できる。それでも、現場での出稿責任を一義的に負うことになる担当次長は読むべきだったし、遅くとも記事の紙面化が具体的となった時点では、紙面に最終的に責任を持つGE、上司である特報部長そして当日の当番編集長は少なくとも記事に関連する調書部分を精読すべきであった。

 専門的な知識、用語の多いテーマであることから、記事内容や見出しの適否を検討するには、担当記者以外の専門的知識を有する記者にも、2、3日の余裕を持って閲覧させるべきであり、部長、担当次長もそのように指示すべきであった。少なくとも、初報記事の関連部分は開示すべきであった。

 さらに、特報部が科学医療部、政治部と打ち合わせた18日の会議には、朝日新聞デジタルの特集サイト用のプロローグ部分の予定原稿及び2本目の「フクシマ・フィフティーの真相」の予定原稿が示されていた。後者には、その後に引用されなかったことが問題となる証言部分が載っていた。しかし、19日当日の紙面作りの過程において、デジタル紙面の予定原稿は編集者や他の記者たちに示されなかった。20日付紙面に対応する吉田調書の記載部分やデジタルの2本目の予定原稿が社内で一定程度、共有されていたら、見出しと記事内容は異なったものとなった可能性がある。朝日新聞デジタルでは4月ごろから複数のスタッフも加わって、予定原稿づくりの作業が進められていた。しかし、本紙の編集センターでは、組み込み日当日になっても秘密保持を理由として情報の共有がなされていなかった。行き過ぎというほかない。

 第2に、19日時点でも、見出しや記事内容について多くの疑義が社内の各方面から出されていた。しかし、これらの問題提起はほとんど取り上げられることなく終わった。担当次長は、大阪本社からのデスク会前後での指摘は認識しているが、他からの指摘は認識していないと述べている。紙面の最終責任者はGEであり、当日の責任者は当番編集長だが、これら責任者には伝わっていない。なぜなのか、その原因を点検する必要がある。

 第3に、自信と過度の信頼も影響している。吉田調書を入手し検討した取材記者たちは福島原発事故の取材に関しては自負があり、2人だけでの仕事にこだわり、他からの意見を受け付けない姿勢がみられた。その結果、専門性の陥穽(かんせい)にはまった。担当次長も局内で高い評価を受けていた。GE、部長らは、そうした取材記者2人と担当次長の3人のチームを過度に信頼し、任せきりの状態だった。部長とGEがその役割を的確に果たさなかったというほかない。

■第4 本件報道後の対応

 1 社外からの指摘

 (1)東電社長の国会証言

 5月21日、衆院経済産業委員会に参考人として出席した東京電力の広瀬直己社長は、朝日新聞の報道に関連した質疑で、「吉田の指示を直接聞いた人間から改めてその点を確認し、ヒアリングをいたしましたところ、吉田の指示は、線量の少ない1F(福島第一原発)の敷地内がもしなければ、2F(福島第二原発)も避難先として検討せよという指示だったというふうに申しております」と、吉田氏の命令は1Fにとどまるよう強く指示した内容ではなく、2Fを避難先として容認する二段構えの指示だったと説明し、命令違反との報道内容を否定した。

 (2)門田隆将氏のブログ、週刊誌及びネットメディア

 5月31日、吉田氏に対するインタビューを著書にまとめたことがあるノンフィクション作家の門田隆将氏は、ブログに「お粗末な朝日新聞『吉田調書』のキャンペーン記事」と題し、「記事を読んでも、所員が『自分の命令に違反』して『撤退した』とは、吉田氏は発言していない」、「意図的に捻(ね)じ曲げられた」報道で、「(所員たちを)貶(おとし)める内容の記事」と批判する文章を載せた。

 6月9日発売の週刊ポスト6月20日号は、「朝日新聞『吉田調書』スクープは従軍慰安婦虚報と同じだ」「韓国メディアは日本版『セウォル号事件』と報道」との見出しで、門田氏投稿による特集記事を、同月10日発売の写真週刊誌FLASH6月24日号も門田氏の見解を中心に、東京電力の見方などを取り上げて、朝日のスクープはウソとする特集記事をそれぞれ組んだ。

 6月中において、朝日新聞記事を取り上げたネットメディアは少なくとも十数件あった。そして、その約半数が報道内容を否定的にとらえていた。

 (3)通信社及び新聞

 7月中旬、共同通信は連載企画「全電源喪失の記憶 証言 福島第一原発 最終章」の配信を始めた。実名による証言を中心とした第二原発への退避の状況についての詳報であった。吉田氏の待機命令を認識していた所員は一人も登場せず、「命令違反 撤退」を否定する内容となっていた。

 8月18日、産経新聞の朝刊は、吉田調書を入手したとして「『全面撤退』明確に否定」「命令違反の撤退なし」と報じた。吉田氏は「『伝言ゲーム』による指示の混乱について語ってはいるが、所員らが自身の命令に反して撤退したとの認識は示していない」との見方を示した。命令違反を否定する元所員の談話も掲載した。

 8月30日、読売新聞は朝刊で、吉田氏の聴取記録が明らかになったとし、「第二原発へ避難正しい」との見出しと記事で報じた。

 8月31日、毎日新聞の朝刊も、共同通信が入手した吉田調書から全容がわかったとし、「吉田調書『全面撤退』否定」の見出しで取り上げた。社会面では、朝日新聞の報道に「悔しい」と話す元東電社員を紹介した。

 2 朝日新聞社の対応

 (1)抗議書

 6月上旬、週刊誌から相次いで取材申し込みがあった。担当次長、広報部長、編集部門で危機管理を担当するゼネラルマネジャー(以下「GM」)の部下であるゼネラルマネジャー補佐(以下「GM補佐」)らの集まる会議が開かれ、対策を協議した。担当次長は「少なくとも外形的には命令違反の行為があったことは間違いない」と主張し、この論理で対処していくこととなった。

 朝日新聞社は、前記週刊誌2誌に対し、広報部長名で訂正と謝罪記事の掲載を求め、「誠実な対応をとらない場合は、法的措置をとることも検討します」とする「抗議書」を送り、10日付と11日付朝刊にそのことを伝える記事を掲載した。

 また、8月、産経新聞と同紙に寄稿した門田氏に対しても、同趣旨の抗議書を送った。

 (2)所員の取材

 担当次長は記事掲載翌日の21日、原発取材経験のある部員からの指摘を受けて、現場にいた所員に取材する必要があると考え、取材記者たちに指示した。

 しかし、朝日新聞の報道に対する反発もみられ、取材の協力は得られなかった。結局、命令を聞いたという人物の取材はできなかった。

 (3)7月紙面計画

 6月下旬、朝日新聞の編集部門は今年度の新聞協会賞の編集部門(企画)に、朝日新聞デジタルとの連動に重点を置いて、「吉田調書」報道をエントリーすることを内々で決めた。応募の締め切りは7月3日だった。

 この新聞協会賞も意識して、紙面全般の責任者であるGEは吉田調書報道の目的を読者に改めて説明する紙面を計画した。6月27、28両日、特報部の担当次長のほか、社会部次長、デジタル編集部次長らが集まって協議した。7月2日組み(3日付)で、「吉田調書」報道の目的が「原発事故の真相を明らかにし、原発政策の今後を考える議論の材料を提供すること」「第一原発を離れた一人ひとりの行動の是非を問うことではない」ことを伝える一方、外形的事実があったとして、「命令違反」や「撤退」の初報を補足説明する内容の記事を中心とする予定だった。

 しかし、予定原稿には「命令違反」であることを補強する取材事実はなかった。GEは、掲載しても、「命令違反はやはりなかった」という批判を免れることはできないと判断し、編集部門トップの取締役編集担当らとも協議した上で、7月1日、掲載を見送った。GMもそのころには、記事に対する疑念を感じていたが、現場の判断を優先して動くことはなかった。

 (4)9月紙面計画

 朝日新聞は8月5、6日と、いわゆる慰安婦問題の特集記事を掲載した。7月はその準備に追われたが、掲載後も他メディアからの批判も含めて反響は多く、編集担当も含めた危機管理担当の役員たちと編集幹部はその対応にも追われた。

 8月18日、前記のとおり産経新聞が吉田調書を入手したと報道したことを重く受け止め、編集担当やGEの指示で8月21日、GM補佐が初めて、吉田調書の開示を受け、読み込んだ。また、事態は深刻であると考え、編成局長補佐の1人を吉田調書報道の担当補佐(以下「担当補佐」)とした。

 25日、GE、特報部長らが吉田調書のうち初報の記事内容に該当する部分と関連の東電内部資料を初めて読み、その上で紙面計画を協議した。初報から3カ月余が経過していた。早ければ30日ごろの組み予定で、特報部が1面と総合面、特設面を使った予定原稿を作ることになった。そして、報道・編成局長室がその内容をチェックすることを決めた。

 紙面計画は、初報には見出しも含めて誤りはないとの基本姿勢だった。吉田調書と東電の内部資料で裏付けられた事実を時系列で正確に表し、とくに吉田調書の該当箇所は全文を掲載することとした。「命令」「違反」「撤退」の定義を示し、福島原発事故のような大事故において、混乱により人的対応がとれなくなる危うさのあることを示すことを狙いとした。

 その後、前述のとおり読売新聞、毎日新聞と他メディアからの批判報道が続き、紙面計画は9月2日組みに延期された。

 9月2日、編集担当と危機管理担当の複数の役員、GEらが原稿を読み意見交換し、再延期を決めた。この夜、8月29日付で掲載予定だった池上彰氏のコラムの掲載を一時見合わせていたことが報道され、大きな問題となり、GMらは対応にあたっていた。

 (5)最終判断

 担当補佐は、特報部作成の予定原稿は外形的な事実はあるということを前提としているが、その内容は他メディアの批判に対する反論となっておらず、読者の理解も到底得られないのではないか、と考えた。GEとも諮った上で、担当補佐は9月2日午後、編集部門の主要各部の統括デスク(筆頭次長)を集めて予定原稿一式を渡し、翌3日、意見を聞いた。

 「現場にいた人たちの取材がない」「強い言葉を選んだ結果、実態からずれてしまっているのに、この予定原稿の内容はそのことに応えていない」「批判の核心は『命令に違反した』と表現した点にあり、そこに応えない記述をいくら詳細に展開しても、批判はおさまらない」

 各部の統括デスクの意見は、ほとんどが厳しい内容だった。

 5日、特報部長は、統括デスクらの意見集約の報告を受けて、GEと担当補佐に対し、「予定原稿は説得力がなく、取材による裏付けもない」と述べ、朝日新聞が運営する総合英語ニュースサイトAJWでさえも「逃げる」と英訳したことを挙げ、「結果として650人の名誉を傷つけてしまった」と総括し、初報については「おわびするしかないと考える」と述べた。これを境として、記事を訂正もしくは取り消す方向での検討が始まった。

 担当補佐の下に新たに検討チームが編成され、取材担当記者と担当次長はこのチームから外された。

 このころ、政府の吉田調書の公開は9月15日からの週と予測されており、これより前での紙面化を目指した。しかし、公開日が11日と早まり、公開前の紙面化は困難となった。編集担当、GE、担当補佐、GM補佐らは、危機管理担当の役員らとも連絡を取り合いながら、対応策を協議した。全社的な危機管理態勢となった。

 訂正か、取消しか、なかなか決まらなかった。10日夜から11日未明にかけて、編集担当ら編集幹部の協議で、初報は「所長命令に違反 原発撤退」の1面横見出し部分と「所員の9割」の縦見出し部分が、記事の根幹部分にあたるが、その根幹部分が誤りである以上、記事は取り消さざるを得ないと判断した。そして、記事を取り消すという方針を危機管理に関係していた複数の役員に報告して、了承を得た。

 11日正午、報道・編成局は臨時部長会を開いた。その会議において、担当補佐は「これまでは、誤っていても本質は別の点だという取材側の論理で反論してきた。その結果、『問題のすり替え』との反発を招いてきた。読者の目線でこの記事を判断すれば、根幹が誤っており、語句の訂正では対応できない。取り消さざるを得ない」と説明した。

 検討チームは10日から、政治部次長を統括デスクにして、経緯報告をまとめる作業を行っていた。その報告は、12日付の2面で展開された。

 特報部長は、10日担当次長らに対して、11日取材記者たちに対し記事には問題があったことを紙面で公表することを伝えた。

 (6)社長会見

 木村伊量朝日新聞社長は、政府による吉田調書の公開日である9月11日、記者会見を行い、5月20日付記事を取り消し、読者と東京電力の関係者に謝罪した。その中で、「『命令に違反 撤退』という記述と見出しは、多くの所員らが所長の命令を知りながら第一原発から逃げ出したような印象を与える間違った表現のため、記事を削除した」とし、「調書を読み解く過程での評価を誤り、十分なチェックが働かなかったことなどが原因と判断した」と説明した。

 朝日新聞は13日付朝刊1面で、「吉田調書報道巡り 抗議撤回しおわび」「本社、作家・雑誌・新聞社に」の見出しで、抗議書を送っていた作家の門田隆将氏、週刊ポスト、写真週刊誌のFLASH、産経新聞社に、おわびの意思を伝えたことを報じた。

 さらに、17日付朝刊社会面では「東京電力と関係者の皆様に改めておわびします」「『吉田調書』報道で本社」の見出しで、朝日新聞社が改めて東電と関係者におわびしたことを伝えた。

 3 問題点

 本件での朝日新聞の事後対応については、いくつかの問題点を指摘できる。

 第1に、読者の視点(読者がどう感じたか)についての想像力の欠如と危機意識の希薄さがある。いかに専門性が高く、経験豊かな記者でも、報道を誤る危険は常にある。人は過ちをもたらした思考から容易には逃れることはできない。迅速にこれをただすという機能は当事者である取材チームには働かない。門田氏のブログも含めた複数のネットメディアの指摘と二つの週刊誌から批判を受けた時点で、これを軽視せず、危機管理態勢に入り、取材チーム以外の人員が吉田調書を引き取って読み、読者の視点から検証すべきであった。編集部門において、あるいは第三者による、醒(さ)めた曇りのない目で見ることができ、客観的に判断することができる危機対応体制を構築する必要があると思われる。

 新聞社の重大な危機のほとんどは、編集部門に起因する。だが、直接担当するGM補佐は1人であり、しかも、他の多数の役割も兼任している。そのため、外からの批判に対する判断は、第一次的には現場である各部に任されていた。編集部門の要望を受けて、抗議文を送り続けた広報部のあり方も含めて、体制を見直すべきだろう。

 第2に、速やかな事後対応が必要だったのに怠った。7月紙面計画があり、進行していた紙面化が実現していれば、読者から一定の理解が得られ、その後共同通信、産経、読売、毎日の各紙と続く批判報道やネット上での非難にある程度の抑制効果が生じ、最終的には見出しと記事の取消しは免れなかったであろうが、方向転換するきっかけにはなり得たという見方がある。他方、予定されていた記事の内容は説得力がなく、掲載すれば非難はより高まったはずであり、根幹部分である「命令違反 撤退」を補強する取材ができなかった以上、その時点で見出しと記事を取り消し、所員の名誉を傷つけたことを率直に謝罪すべきであった、という見方がある。後者の見方からは、掲載を見送ったことは適切であったということになる。いずれの観点に立つにしろ、無為に時が過ぎ、9月11日に至ったのは、遅きに失したというべきである。

 第3に、記事掲載後も情報源の秘匿を重視するあまり、また危機意識の希薄さも加わり、吉田調書の社内における開示、情報共有が遅れた。8月21日に至り、GM補佐が開示を受け、読み込んだ。それ以降、社内論議が急速に進展した事実をみると、情報共有が遅れたことが悔やまれる。

 以上の事後対応に関しては、上層部の責任が大きい。

 なお、9月11日の社長会見の直前まで、記事を訂正するか、取り消すか決まらなかった中で、同11日組みの紙面づくりも始まっていた。記者会見直前の数日における全社的な危機対応は、遅きに失したとはいえ、評価できる。担当次長と担当記者たちにも、本件記事の見直しが伝えられており、その点では相応の手順が踏まれたともいえよう。

■第5 本見解の公表について

 当委員会は、本見解を申立人である朝日新聞社に通知するとともに、朝日新聞社に対して、朝日新聞等において適切な方法で公表することを求める。

(朝日新聞 2014年11月13日 朝刊特設C面 東京本社)