開催日 2014年11月26日(水) 18:30~20:30 開催場所 朝日新聞東京本社 出席者 国広正さん、五味祐子さん、 東京本社勤務の朝日新聞社員18人 |
【司会】 時間となりましたので始めさせていただきます。本日は、お忙しい中「信頼回復と再生のための委員会」にお集まりいただきましてありがとうございます。本日、再生委員会委員の国広正委員と補佐役の五味祐子弁護士にお越しいただきました。大まかな趣旨ですが、国広委員は第一回の委員会で朝日新聞存在意義を語らずに再生を語ることはできないという発言をなさいました。それに伴う形で、朝日新聞社が誰に対して新聞を届けているのか、誰に情報発信しているのか、読者をどのように考えているのか、皆さんと意見交換する場を持たせていただきました。なお国広委員は危機管理の専門家であるのでその点もテーマにしていきたいとも思っています。ただ、これに限らずテーマは自由に広げて話していければと思います。よろしくお願いします。
【国広】 今日はよろしくお願いします。信頼回復と再生のための委員会の社外委員としてこれまで3回委員会がありました。社員集会とか若手の会合とか、いくつかの集会にも参加していますが、どちらかというと傍聴が多いので、今回は私の意見を述べて皆さんに叩いていただき、双方向で議論ができれば私も皆さんも認識が深まると思います。ぜひ批判的なご意見もいただきながら何か議論の中で把握できるものがあればと思っています。
では事前にお渡ししている危機管理に関するメモ(※国広委員討論会資料1.pdf)と読者概念に関するメモ(※国広委員討論会資料2.pdf)に基づいて、私の考えを説明し、それについてご意見をいただきます。またそれに限定せず、ネット社会になっていく中で紙の新聞はどうなのかなど、営業的な問題、経営的な問題なども自由に話したいと思っています。
お手元のメモは、朝日新聞の読者概念図です。信頼回復再生委員会では、「読者」という言葉がたくさん出てきます。いろんな意味で使われていると思いますが、外から見ていると(現在の)読者、あるいは購読していたけれどやめた人を読者としていると思うんですけど、それでよいのかということなんです。同心円の絵を見ていただくと、1番真ん中にコア層があります。これは何十年も朝日新聞をとっている人。よっぽどの事がないと抜けないところ。今回、ここから抜けているかもしれません。次はリベラル層。その外が無党派層、その次に保守層の1、2。保守層にもいろいろあって、議論が成り立つ保守層、頑強な保守層とか。ヘイトスピーチ層は、もう暴力の人たちみたいな感じです。乱暴に図示するとこういうふうに分かれるのだろうと。
そしてこの「読者」と太丸で囲っているところで言うと、コア層が読者でいて、リベラルのかなりの部分の人が買ってくれている、無党派層も買ってくれている、保守層はなかなかない…。実際はもうちょっと広がっているのでしょうが、ただ朝日新聞が読者と言うとき、コア層を念頭に置いている気がしますが、外から見ていて、それでよいのだろうかという疑問があります。なぜかというと、私は30年朝日新聞とっていて、昔は朝日新聞が好きだったんです。ところがここ数年はあまり好きでなくなっているんです。あえてチャレンジングに言うと、セクトのビラみたいな記事だよねと。主義主張で喜ぶ人は喜ぶけど、サークルの外にいる人から見ると全く説得力がない、共感持てない記事がとても多い、そのように感じるようになりました。今回の吉田調書の問題も慰安婦の問題もそうです。信頼回復しようと言っているが、「読者」のサークルにいたけれど今回の問題でそこから出て行った人を戻そうということばかりにこだわりすぎています。例えば保守層など、意見は違うけど朝日新聞の言う事も一理あるねと、反対説の人にも論争する意味合いでのある種の信頼感がないといけないと思うんです。この前の志賀さんの発言に「嘘つき新聞」とあったが、論争する相手として認められていないということが、とても深刻な問題ではないでしょうか。今でも吉田調書を取り消す必要はなく、記事は正しかったという意見があると聞きますし、コア層にもそういう人たちが多いと思います。そういう人たちの中だけで、「お互い悪くなかったよね」「ちょっと筆がいきすぎただけ」「権力の陰謀だ」とまとまっていてはダメだと思います。それが私の読者概念です。
先ほどのペーパーに戻ると、朝日新聞の記事、特に国民的論議の対象となるような政治的対立軸のある事項には、固定的な読者・コア層を中心とする閉ざされたサークルの中の相互承認、相互納得的な記事が多く、サークルの外に対する働きかけという認識が不足していると感じます。サークルの中だとファクトによって説得する必要がなく、もともと「原発はイヤだね」とか、そういう人たちなので、ファクトに対する詰めが少々甘くても承認してくれる。そうなると事実の検証が甘くなって、ストーリーに合う事実のつまみ食い、PRCのいうところのストーリーに仕立てになっているのではないかと感じます。それはある意味、使命感、価値観なんだけれども、間違っている思い込みでもあって、論としての思い込みとファクトとしての認定は違うはずなのに、そこがごっちゃになっているのです。ジャーナリストの倫理という部分の、ファクトに対して謙虚であるということの牽制が働かなくなって、走っています。吉田調書問題というのは、一つの傾向の中の当然の結果で、偶発的ではないと私は思っています。
それからもうひとつ、これは危機管理にも結びついていると思うんです。今回の危機管理の失敗は認識していると思いますが、では危機管理とは何なのでしょう。まず企業の危機管理を分類すると、①外から危害を受けるもの。台風・地震もそうだが、暴力や名誉毀損など。②企業の内部で発生した不祥事の危機管理。不正行為、製品リコール、誤報もリコールの一種だと考えます。こう見ると、外からの危機なり攻撃に対する危機管理と、我々の内にある間違いから発生して信頼がなくなっているクライシス、この2つがあります。そしてクライシスマネジメントの基本方針というのは、①か②で全然違うと思います。
①の外からの危害だと、原則として当方に非がないので、外から襲いかかってくる危機をどう回避して最小化するのかが危機管理の原理原則となるはずなんです。ところが今回は②の危機管理だと思います。②は内部に発生した不祥事だから、原則として当方に多かれ少なかれ非があるわけです。この場合の危機は、自ら発生させた危機により社会的信用を失っている事態です。そうだとすると、自ら引き起こした内なる問題点を自己認識して、それを克服し、そのプロセスを外に対して説明する事によってしか、その危機の原因となっている社会の信頼喪失から回復できないと思います。
では慰安婦報道の訂正はどちらなのか、と言うと本来②だったと思うんです。しかし朝日新聞においては、従来から「誤報は存在しない」というスタンスを前提としていたため、朝日の幹部が考える危機管理とは、要するに外からの攻撃、誹謗中傷に対応する危機管理でした。確かに、①の危機管理は必要なことです。特に暴力や阪神支局の事件もありましたから。しかし、今回の危機管理の間違いは、そっちの(①の)マインドに引きずられたまま、8月5日の記事の訂正に入ってしまったということです。この結果、8月5日の記事は①と②の危機管理がごっちゃになっていて、内なる問題点を自ら認識して、自らの手で克服して説明する事でしか失われた信頼は回復できないのに、その視点がないか薄いから「俺たちは間違ってないんだ。ただ一部間違いがある。慰安婦問題自体は存在するんだ」となったのです。それはその通りですが、ここでの危機管理は間違った部分のごめんなさいをやって、まずはそこで自己検証しなければいけないのに、ごたごたになっています。だから「謝罪がない」「潔くない」「言い訳がましい」となりました。池上氏の「ななめ読み」の冒頭にあるように、「過ちがあったなら訂正するのは当然」「それは遅きに失した」「率直に認める」「潔くないのではないか」というのは、実は②の危機管理ができていないよねという、当たり前の話だったんです。しかし、経営陣は決定的に危機管理の認識がズレていたと思います。②の視点を欠くので、池上さんからの批判は②の視点なのに①の視点と考え、「池上、お前もか」みたいなマインドになってしまって、痛恨のミスをおかした。これも決して不思議なミスではないと思います。
結局、危機管理でもコア読者だけを見ているため、それ以外の人の「耳に痛い忠告」が「敵の攻撃」に見えてしまう。朝日のいう図の太線で囲った「読者」概念の外にいる人…ある程度意見は違うかも知れないけど、そこは民主主義で、左もあれば右もある、リベラルも保守もある、という状況でやっていかなければいけないはずなのに、「読者」の中でしかものを見てないのです。この読者概念の未整理、あるいは縮こまった読者概念が、危機管理のミスを発生させた根本的原因と繋がっているのではないかと思います。
従ってマインドリセット、あるいは読者概念を再定義する必要性というのは、今回の危機的状況は慰安婦問題、吉田調書問題、池上さんコラム問題の3つの問題に危機管理の不在という4つめの問題が加わって、今の状態になっていることから生じています。これらの問題の背後に共通しているのは、閉ざされたサークル的なマインドが真因として横たわっていることだと思います。
従って真因を徹底的に自己検証することが大事です。自分が「読者」と言っているときはこのサークルのどこを想定しているのかを明確に意識しないとすれ違います。ある人はコア層を見ながら、またある人はサークル外まで見る、そういうことにならないようにする必要があるのではないかと思いました。
仮にプロ野球で朝日新聞社を阪神球団とすると、読者目線という場合は阪神ファンを考えています。そうではなく、巨人ファンも含めたプロ野球ファン、あるいはプロ野球の事はよく知らないけど、これからファンになるかも知れない人まで見据えないといけないのに、どうも阪神ファンだけを見ているのではないでしょうか。そのような印象を持っているというところです。
偏見もあるかもしれませんが、私が主観的に感じている事を述べました。それに関して、反論含めて自由に議論していただきたいし、この問題提起以外の経営や営業の問題を含めてご意見いただければと思います。
【社員】 閉ざされたサークルのお話、非常に興味深く拝聴しました。一連の対応でいつも感じていますが、検証報道について、PRCもそうですが、すべて新聞紙上で回答しようとしていますよね。それは読者の方しか見ていないというか…信頼回復というのは社会全体に対する信頼回復だと思いますので、会見を開いて説明するべきです。紙面に謝罪が無なかったと批判されましたが、会見して相手とやりとりしている段階でお詫びすることもあると思います。今回、不祥事がいろいろあっても、今のところ一回しか会見は開かれていません。PRCの時も私もデスク会で「会見開かないのか」と聞いたのですが、「今後予定があるので、今回は開かない」という説明でした。でも、今に至るまで経験は一回しか開かれていない。これ自体が、社会を向いていない証拠かなと思うんです。
もう一つ、がっかりしたことがあります。編集の現場に読者の視点を入れろという議論があります。これには賛成する部分はあるのですが、それなら経営陣が社外取締役を入れて、社外の目を入れるべきでした。ボードが外部の人を受け入れて、外の視点を入れる工夫をした上で、やっぱり現場へ下ろすべきじゃないかと思うんです。今回の役員人事を見ると、選ばれたのは生え抜きの社員だけです。今回の人事では大きな変革をしなければいけなかったのに、それができなかったということに、非常に危機感を持っています。信頼回復委員会にお願いしたいのは、ぜひそういう声をボードに伝えてほしいということです。
【国広】 そうなんですね。全部紙面上で…。でも朝日を読んでいない人からの信頼をどうやって回復するのでしょう。紙面でやるのは大事だけれど、会見も大事です。自分たちが企業や政治家をやっつけるのは得意なんだけど、自分たちが会見することには、非常に恐怖心があるように見えます。再生委員会についても、できるだけ透明化してくださいということで紙面に出して、議事録も出していますが、タイムラグがありすぎると感じています。会社としてまだディフェンシブかなという感じがします。
【社員】 うちは非上場企業だから株主によるプレッシャーも事実上ないんですよね。唯一プレッシャーをかけるのは組合ですけど、そんなに強い組織ではないので、結局ボードに対するパブリックプレッシャーは殆どありません。
池上さんコラム一時不掲載問題は、編集現場が経営陣にいちいち原稿を見せるなんていう話は本来はありえないはずなのに、誰か見せた人がいるということですよね。そういうカルチャーが生まれた原因は分析すべきだと思います。
あともう一つ、3つの問題がある中で、それぞれ原因があるはずで、それぞれの原因についてきちっと分析して対策も立てないといけません。また外から何か新しい事をやったと映っても、実質的な意味がない改革では仕方ありません。注意していただきたいと思います。
【国広】 自分で言うのも変だけど、委員会3つあってわかりにくいんですよね。
【社員】 そうそう。3つあること自体がおかしいと思うんです。
【国広】 原因分析を誰がやるのか…第三者委員会がやるのか、我々がやるのか、ごたごたなんです。PRCのこの前の報告書というのは、誤報であったかどうか極めて厳格に見ています。しかし、なぜそういう事態が起こったのかという真因の分析は―PRCという組織の性格上―朝日新聞にボールが返されていると思います。今、朝日新聞の中で真因を自分なりに究明して、どうするのかというデザインを出す責務は、恐らく再生委員会にあると思います。第三者委員会に言われてやる…もちろん指摘は受けるし、見解は受けるけれども、じゃあどうするのかというのは外から言われる話ではなくて、再生委員会でやるんだと思います。そのために社内委員がいると思うんですけど、社外委員は何だというのはまたよくわからない。3つの委員会があることが、危機管理の混乱を示していると思います。
【社員】 このような問題の時に、普通の企業なら記者会見を開くとお考えですか?
【国広】 会見するでしょうね。
【社員】 ちょっと感覚的に言いますが、要は自滅していっているだけの感じがするので、誰に迷惑かけたというわけでもないのに会見して何を言うんだろう…というか、しらける感じするんです。
【国広】 確かに。例えば銀行不祥事の際、皆さんはたたいたと思うんです。「なんで頭取が出てこないのだ」「おかしいじゃないか」と。ところがやっぱり、今回社長が出ても言うことはないと思います。社長に会って話してないからわからないですけど。
【社員】 「やめろ」とか「特別顧問って何だ」とかは思うんですけど、対外的に何を言うかは…。
【国広】 そうですね。狭いサークルに閉じこもるのではなく、単に紙面上ではなく、会見をして対外的に方向性を示すべきだと思います。ただ、言うべきものがあることが前提ですけど、多分何かを言える状況にないのかもしれません。
【社員】 そういうことと、「読者」をもっと広げていってというのは原稿書く上ではなるほどなと思います。うちの新聞がこういうことしていきますみたいなこと、お題目だけアピールすることは、外から見たらしらける気がするんです。「勝手にやったらいいよ」としか思えないというか…。
時代に追いついていないと最近言われました。取材が甘いというか、ファクトに迫ってないというか、アタマで考えているからかなって思うんです。そういう新聞を変えていくのはすごく地道だけど、もうそれしかないのかなと思います。こんな風に変わるので読んでください、っていうことももちろん大事ですけど、なんか自滅しているだけのアホな組織がこんな風になるということは、アピールにはならない気がします。実際改革案もないと思いますし、あったとしてもそれを会見して言うのか…。何か損害与えたり、何か被害及ぼした方にすいませんと会見するのとは違うような…。
【国広】 これは僕の考え方なんですけど、政府の弾圧を受けてつぶされるわけでもなく、自分で勝手に転けているんです。ただ僕は、最近記事が面白くないし嫌なんだけれども、やっぱり朝日新聞というのは存在してくれなきゃ困ると思うから、委員を引き受けました。若い人はあまり使わない言葉かもしれないけど、リベラルの立場でしっかりとスタンスを示すことが日本の国ためには必要だと思います。ただ俺たちはリベラルだから、論が正しいから、ファクトに甘くてもよいんだというところが、問題の本質だと思うんです。だとすれば、やっぱり論が正しいかも知れないし、1つの明確な論だし、それがファクトでしっかり裏付けられることで論を立てていくように生まれ変わってもらわないと困るんです。そのためには広めのステークホルダーを見ながらやらなきゃいけない。「自分たちは変わったんだよ」と積極アピールしていかないと、このまま死んでしまう。でも死んでもらっては困るんです。そのためにこの危機的状況を脱出してほしいし、社外委員としてそのお手伝いをしています。朝日を守るんじゃなくて、変わってもらうために、悪いと思っていることは言いますよ、というのが僕の立場なんです。
【社員】 ご指摘は全くその通りだなと思います。読者も危機管理も、この会社の中では閉ざされたサークルのカルチャーで醸成されている気がします。編集各部でもほかの部門でも、部によってカルチャーは違うし、そのときの上司や中間管理職が誰か、その属性によっても風景とかカルチャーは全然違うんですけど、それが「読者」と言ったとき、極端に「社内読者」を見て書いているんじゃないのという場面があるわけです。それは本当にばかばかしい話で、しかしそれが人事に結びつき、さらに次の人事を招く…。そういうことが20~30年と、80年代頃から、そういう変質があったんじゃないかと思います。全体を見たとき、そういう空気にあることは多くの人は否定しないと思うんです。なかなかメカニカルに対応するのは難しい問題ですけれど、避けては通れない病巣だと思っています。
【国広】 今あった「社内読者」という言葉は、すごく本質を捕まえていると思います。投書する人と社内読者は非常にマインドとして近い、いわゆるコアの中のコアでしょう。「読者」というとき、どうもそこを見ていないか。サークルの中の人は「そうだよ」と言っているけど、それでは社外に対する説得力がないと感じます。
あと偉い人たちは、みんな口をそろえて「うちの会社は自由だ」って言うんですけど、どうですか。みんな言いたい事を言うし、他紙に比べればと。
【社員】 恐らくライバル紙に比べると、言うことは自由だと思うんですが、ただ本当に思っている事を言ったら、その人間は重用されずにドロップアウトさせられてしまう。言う自由はあるが、言ったからには…。そういう感じになるので、言わない方が得だと言うことで、結果的に物言わぬ人が偉くなります。元々そうではなかった人も、偉くなるためにそうなって、組織の末端の方まで、モノを言う人は結果的に損をするというマインドが広まっていると思います。
ただ、私もこの会社に自分が入ったのは、自由にものを言える会社らしいということが最大の魅力だったのですが、実態はそういった部分があって吉田調書にしても、いろんな声が挙がったのに、それが大きな声になって決定的に止めるような形にはなりませんでした。体張ってでも止めるとか、大きなアクションにならなかったのは、みんなどこかで引いてしまうからです。これ以上やると、もう一線越えるとやっぱりまずい、というような自己規制が働いて、止めなきゃダメなシーンでも機能しない。今回、ボードメンバーの中ですら、結果的に止める機能が働きませんでした。社長が言ったことだけで決まるなら、ボードは必要なくて、社長一人でよい。
これだけの不祥事が起きてダメージを受けたにもかかわらず、変わるんだというようなメッセージが社内に全く伝わってきません。だから社内では、極めて沈んだ感じが続いているんです。対外的にどうかというより、社員自らが今回を機に世の中に認められる存在に変わっていくんだと、ある意味変革のきっかけにしなければいけないのに、完全にみすみす逃してしまっているのが非常に深刻だと思います。社長人事をめぐっては、そのチャンスを失ってしまいました。我々としてはこの再生委員会が最後の機会です。結果的に中途半端な形になってしまったら、ただでさえ業界全体が落ちている中で、スピードが加速して下降していきます。それに危機感を覚えているところです。
【社員】 人事発表の時に出張していました。出張先で同僚に聞いたら、「特別顧問って書いてある」と。「抗議するなら会社に帰る」と言ったら、「そんな雰囲気ではない」と。池上さんコラム一時不掲載の時にTwitterでつぶやいた人が何人かいました。他の会社ならつぶやけないと思うと、その意味ではまだ良かったとは思ったのですけど、多少言っても変わらない気がします。本当におかしいと思ったとき誰に言ったらいいのかわからないし、問題は共有されてないし、みんなでどうにかしようという感じは全然ない気がするんです。
【社員】 他の企業が起こした不祥事に対しては報道機関として厳しく「社長出てこい」とやっているわけです。それが完全に逆の立場になって、今までやってきた事がそのまま返ってきて、本当に情けない話です。これはもう単純に、記者会見でたたかれるからとか、しゃべる事がないとか以前に、それでも出ていかないといけないと思います。9月の記者会見もはっきり言ってマイナス効果しかなかったと思うんですが、その後も週刊文春に今回の社長人事を巡っての詳細を書かれました。結果的に広告費でみれば何十億、何百億円くらいのマイナスのネガティブキャンペーンを打たれているんです。それをリカバリーするような、我々はこれだけ変わるんだというもの、ニュースになるようなインパクトのあるアクションを打ち出さなければダメだと思うんです。
その意味で言うと、社長の決め方一つ取ってみても、これまでの企業にないような決め方…社内選挙するとかマニュフェストみたいなものを出してきちっとやるとか、そういったことがあれば、対外的にどうかという以前に、社員一人ひとりが改革しようという意識に変わると思うんです。そうなってくるといろんな変革が起きると思うんです。今は社内自体が暗くなって、危機管理の意味では火事の火が消えていないのに、なかなか進めないのが今の正直な気持ちです。まず火を消さないと、今火がついているのに新しい何かを作っても、どんどん延焼して状況は収まらないんじゃないかと。
そういう意味では、再生委員会が最終的な何かを出す以前に、今の状況に対してのアピールというか、対外的にメッセージを出すのも一つの方法じゃないでしょうか。取締役会でなぜこうなったか、ほとんどの社員が疑問に感じているのに、その疑問が何も解消されないまま状況がどんどん進んでいくところに危機感を持っています。
【五味】 疑問が解消されてないとは具体的にはどういうことですか。
【社員】 新しい役員も今のボードメンバーから選ばれています。今回の問題は、ボードメンバーの判断による結果責任が大きな問題です。その責任の所在を解明せずに、またその中から社長を選ぶ…。新しく社長になる方、会長になる方が今回の問題でどういう役割を果たして、社長・会長としての適性があるのか、はっきりしていません。新しい会社のリーダーになるからには社員からの信任が得られていないと、改革をするにしても、それは実効性のないものになってしまう気がするんです。今の新しい役員の正当性、どれだけ社員全体から信任を得られているのか、非常に疑問を感じますね。
【国広】 新社長のメッセージがまだ出ていません。まだ社長になっていないから出すべきではないと思っているのかもしれないけど、出してもいいような気がします。
【社員】 そう思います。通常の社長交代と全く状況が異なるわけですから。
【社員】 社長が内定した段階で、社長会見とか普通しますよね。いつやるのかも知りませんし、いつどういうタイミングで姿勢を打ち出すのでしょう…。トヨタ自動車など、業績がよい会社でも社外取締役がいます。次の株主総会で、新聞社の取締役は新聞業に携わった経験がないとなれない規定があるので、定款を変更して素地をつくるとか、道筋をつけていただきたい。
【社員】 「読者」の話に戻りますが、国広さんが示している読者の丸すら、私は違うんじゃないかなと思っています。仕事でお客さんを回ると、驚くほど新聞は読まれていないし、厳しい声がどんどん来ます。普通はそういう声を基にどういう商品をつくっていくかというやりとりをするんですけど、今の朝日新聞にはそういう機能が全くありません。自分頭の中だけで考える「読者」だけを想定して新聞を作っています。販売局はあるけれども、新聞買ってくれませんかと言うのはASAの人で、うちの社員ではありません。国広さんの図にある「読者」すら想定していない印象を持っています。
【社員】 同意します。これは編集の問題だけでありません。全部門が何十年と同じモデルの中でずっとやってきて、状況が変わってきているのに、その変化に対応して何かやろうというのがありません。「これじゃ売れない」というものがそのまま商品化されて、異を唱えても、説明もないまま通ってしまう。今回の事は、別に編集だけではないんですよ。この会社のやってきたことの限界を図らずも露呈したと思います。今回の状況を全ての部署が深刻にとらえて、変革する機会にしなければ本当にまずいと感じています。
【司会】 今の発言について、販売や広告の方からもお話あれば。
【社員】 販売店にもいたことありますが、国広さんの図のようなとらえ方もありますが、教育に熱心な層で分かれることもありますので、政治的保守にも読者層は広がっていると思います。先ほど国広さんがおっしゃった通り、朝日新聞はおかしいのではないかと販売現場で言われることが多いですね。一連の問題が起こる前から集団的自衛権の問題だったり、秘密保護法だったり、非常にとがったキャンペーン報道が多いのではないかと言われる事が多かったように思います。本来、そういうことが販売でわかった時は、編集に伝えなければいけなかったと、自分の反省を含めてそう思っています。私は8月末まで編集局で記者もやっていたのですが、総局に行って思ったのは、総局だと反戦的なコア層へ向けた記事が載りやすいんです。そういう記事を書くことが求められるのかと、ビジネスから編集の現場に行って感じました。その辺はおかしいと思うこともあります。
【国広】 社内読者と、外の読者でも声の大きい応援団に引っ張られちゃう。応援団に引きずられて、より多数の読者を減らしてしまう面がある感じがします。多数派に迎合するのがよいというわけではないけど、何かバランスを欠いているような感じはします。
【社員】 意見は違っても、朝日新聞のロジックはしっかりしていると言ってくれる人は読んでくれます。
【国広】 敵ながらあっぱれみたいな。それが乏しい。
【社員】 そうかなという感じはしています。会社の問題なので自分も当事者としてとらえなければいけないので、今まで言ってこなかったことを反省しています。
【国広】 営業の現場からいきなりこの3つの問題が出てきたのではありません。10年くらい前から、記事がビラみたいな感じだと、変だと、そういう声は多分、営業現場では結構聞いていたと思います。社に上げる方法がないんですかね、それとも無視されるのでしょうか。
【社員】 両方だと思います。
【社員】 社会部・経済部などがありますが、自分の専門分野に他の人を入れないというのが、社内の雰囲気としてあります。編集に営業が口を出さないというのは美徳ではあるんですが、やっぱり意見を伝えるのはあってもよいと思います。
【社員】 転職して8年前に入社してきたんですが、通常こうした大きな案件に関しては、発表前に、記事を発表したらどういう事が起きるかきちんと協議すべきだったと思うんです。意見を集約することがなかったため、危機管理をどうしなきゃいけないのかと後手後手でバタバタしてしまったというのが大きな問題だと思います。
【国広】 おっしゃる通りですね。慰安婦報道を訂正する事は急に決めた話ではないですよね。大きなインパクトだし、大きな反発を受けるだろうということは、出した瞬間に危機が始まるということは、数カ月の時間的余裕を持ってわかっていたはずなんです。出した後、ぼこぼこにされて、原発吉田調書記事もぼこぼこにされて、池上問題も起こって、それでえい!って3つも委員会を作ったのが、多分、実際のところだと思うんです。
先ほどの危機管理の話をすると、どういう検証記事を出すのか、まず自分たちは間違っていましたと、訂正しますと強く打ち出さないといけないのに、いきなり「慰安婦問題を直視しよう」と書いてしまった。その話はその話だが、今やるべきは間違っていましたと率直に認めるということです。慰安婦問題自体がなかったような論調はいかんし、しっかり歴史的に見ていかないといけないんだけど、そういう論争をする前に間違いを認めなさいというところです。危機管理を事前に十分に…。売上は落ちるかも知れない、でも例えば社長は直ちに辞任する事とセットで、そこで再生委員会をつくって委ねるとか…。そうしていたら少なくとも池上問題は起こらなかったんです。「危機管理が下手」というレベルじゃないんですよ、「危機管理不在」「自ら危機の拡大に余念がない」なんです。
【社員】 いただいた読者概念図についてするっと腹に落ちなかったのは、おそらく今回の問題では読者すら不在だったからです。一般常識で謝るべきところで謝れない。ボードなのか社員なのか「社」なのか、一般常識がなくなっている事が問題ではないでしょうか。読者すら見ていない。一般常識もない。
【国広】 なるほど。これ以前の問題だというのはありますね。
【社員】 多分、社会的にもそうなんじゃないかな、というのが私の認識です。
【国広】 社員集会などでも幹部の方がおっしゃっていましたけど、自分たちは誤りを訂正するんだから立派な事をやっているという思いがあり、何で褒められないんだろうという感じがうかがえたんですけど、感じません?
【社員】 入社以来ずっと外向けの対策が弱い会社だと思ってきました。外向けにアクションも弱いし、自分が外からどう見られているかの認識も非常に弱い。組織としても弱いし、自戒込めて言えば社員一人ひとりも、自分の行動が外からどう見られているだろうと振り返る意識が薄かったと思います。そこが朝日は傲慢だと言われるポイントではないか、反省すべきところではないかと感じました。そういう意味で、自分では謝る必要がないと思っていても、謝った方がよいと言われたら謝らないといけないと思います。
【国広】 そういう専門家のアドバイザーみたいなのは全く関与していないと思います。
【社員】 そういう専門家がヘッドクォーターに必要なのではなくて、やはり一人ひとりが変わるべきです。大きな危機が起たときだけコンサルタントの力を借りるということでよいと思います。そのとき意識するのはステークホルダーであって、「読者」というのはまた違います。でも「読者」の定義の必要だと思いました。
【社員】 特別顧問も結構偉そう、偉いような感じがすると普通は思うんです。多分小学生に聞いてもそうだと思います。これだけ時間があったにもかかわらず、危機管理をしなければいけないと言っていたにもかかわらず、出てきた人事がこれかと…。違和感あるよね、というのが一般常識だと思うんですけど、社員も残念だと思いました。外向けにもチャンスだったのに、自らこけちゃった。危機管理しなきゃいけないと言っていたのに、ボードはまだまだ…。我々もそれを下から突き上げていかなきゃいけないと思います。
【国広】 「特別顧問に残る」という話を聞いたときには、椅子からずり落ちました。問いただしたら、特別顧問は名前だけで実権は何もないと。だからそんな大したものではないというのが答えなんです。そういくことではなく、外からどう見えるかが大事なのだけれども。ここで重要なのは、木村さんがどういう人物でどういう功績があったか、ということではないんです。おそらく立派な人なんだろうと思います。でも、危機における立派な社長の役割というのは、「城を救うために潔く身を引く」ことなんです。
【社員】 社長を辞めると前年所得を考えて「充て職」的なのをやると聞いたことあります。平時ならそれでもいいけど、今いつも通りやるって、事の重大性がわかっていないのでは。
【社員】 今までは顧問になっていたのでは?
【国広】 社長は特別顧問で、普通の役員は顧問だと聞きました。
【社員】 その辺が平時と同じような感覚なんです。いつも通りやって何が悪いんですかという。世間からどう見られるかということの重大性がわかっていない。
【社員】 私、普通の顧問は嫌だから特別顧問になると聞きました。
【社員】 本人がそう言ったのかもしれませんが、それを是正する機能がボードにないなら、新しい体制も会社運営する資格があるとは言えないはずです。
【社員】 せめて社長の一言を載せろとデスクは言ったらしいですけど、それも出てきませんでした。経営の一線を退く、と言う言葉がやっと入ったが、最初はそれすらなかったと聞きました。
【社員】 結局、また編集出身の社長。今回は社会部出身で、社内的には画期的かもしれないけど、外から見たらわかりにくい。
【社員】 この前、特別顧問発表の後に行われた社内研修に木村社長が出てきて、挨拶していました。「特別顧問就任後、私は許される範囲内で見守っていたい」「ピンチをチャンスに変えていくたくましさを持て」と。ちょっと厳しい言い方をすれば、反省しているようには思えません。
【社員】 辞めて見守ればよいですよね。
【社員】 皆さんの話聞いていて思ったのは、他者の視点をどう取り入れていくかを心がけなければいけないということです。グローブ編集部では、特集面は原稿をみんなで読み合う輪読会をやるんです。基本は、自分を棚に上げて言い合う。いろんな意見が出て、もう「この野郎!」と思う。でもその中で、社内読者でもいい視点があり、それを取り入れて紙面をよくしていく。皆さんの話を聞いていて、輪読会をもっと社内に広げて、社外にも広げればさらにいいものできるはずだと思うんです。他者の視点を社内全体で取り入れる…経営なら社外取締役です。
【国広】 「たしゃ」の「しゃ」は、者でもあるし、他の新聞「社」でもあるんですね。
【社員】 社内読者のキーワードでいえば、私は震災後に、原発報道の最前線に立っていました。その当時、デスクが「ここを直せ」とよく言われていました。それはだいたい東電や経済産業省の言い分でした。編集局として不都合なところだったのかもしれません。「読者はこれを求めてない」と言われるとなかなか反論できない。「お前が言ってる読者は誰だ」と言ったこともありましたけど、それはおそらく編集局なんです。もっと狭い範囲で言えば編集局長だったり…。社内だけを見て、忖度してものを作ってきたからこうなっている。じゃあ昔はどうだったのか。どこにモデルあるかわからないが、連綿と続くこういう体質を思い切って考えていけばいいという感じがしますね。
【社員】 読者層モデル図は、これが違うかどうかではなく、今回は当てはまると思います。いろんな部署ごとで読者やお客様に対するモデル図は違うと思います。
今回のピンチをチャンスにという意味で言うと、内部に対して内部の改革の部分、外に発していく部分、2つを同時にやっていかないといけません。社長人事は外に発するチャンスだったのに、うまく使えなかったのかなと思います。でも、古市さんも言っていましたが、世の中からしたらどうでもいい話です。目玉人事がないと世の中には全く刺さらないし、何やっても文句は言われるわけです。それより本当に改革する姿勢を、この話題に関心のない人にも改革が伝わるように出していくことが大事です。関心のない人たちには、朝日新聞が誤報、誤報とテレビで流れたのを観て、ネガティブイメージが定着したと思います。そこに対しての外向き戦略として、それを払拭するようなことはやってもよいと思います。
8月5日の紙面は、子供が悪い事をやったのに謝らなくて「僕だけじゃなくて○○ちゃんもやっている」というような紙面で恥ずかしいなと思いました。マインドリセットが必要だと思います。かつての不祥事でジャーナリスト学校ができてどう機能したのか、その検証があったのかわかりませんが、その上で今回の特大の問題はどうしたらマインドリセットできるのかを本当に考えなきゃいけないと思いました。
【五味】 今のお話を聞いて、ちょっとひと言。慰安婦報道で謝らなかったことについて皆さんは「それはおかしいでしょう」とおっしゃいます。一般常識から外れているという意見が多数だと思うのですが、上層部はそうしなかったわけですよね。その意識は乖離しているのか、それとも社内は結構"謝罪をしなくていいんじゃない派"が多いのか。その話を聞く層によって違ったりするが、どうとらえてよいのか今ひとつつかめません。そのあたりを皆さんにお聞きしたい。
【社員】 法務部にもいて、危機管理の一翼を担っていたことへの自戒を込めて申し上げます。7年半トラブルを見てきて、必ずしもボードではなく全体にそういう雰囲気があった気がします。慰安婦問題もそうだが、吉田調書問題は結構深刻だと思っています。要は資料の読み込みを間違えているんです。外から指摘があったけど、いや正しいんだという、筋立てありきで作っちゃったというところだと思うんですが…。批判を受け止める余裕、度量が上にも現場で書いている記者にもないというか、全体的にそういう雰囲気があると思っています。下も上もそうなので、どこにもブレーキがない。
【五味】 批判を受ける余裕がないというのは、批判を受け慣れていないんですか。それとも、自分が正しいんだとなってしまうのですか。
【社員】 自分が正しいんだという思い込みみたいなものでしょうか。
【国広】 実はこのミーティングは私が希望したんです。再生委員には決まった役割があるわけではなく、全く手探りなんです。2つの委員会が事実認定をして、報告を受けて、改革案を社内の手で作るけど、社外の監視の目も入れる。この3つ目の我々の委員会は、社員集会もやるし、若手討論会もやる。でも社外委員として単に監視するだけなのか、それとも飾りなのかがわからない中で、自分はこう思うというのをとりあえずぶつけてみましょうと。
ではそんな社外委員に皆さんは何を期待するのかを聞いてみたい。もちろんその通り動けるかどうか、わからないですけど。ものすごく大きな問題をはらんでいるし、解決されない問題とか、体質の問題とか、経営の問題、社員一人ひとりの問題とかいろいろあると思うけど、生き残ってくれないと困るし…。そのために、逆に言えば、ここまでこけたからには、こけなきゃできないこともあると思います。そこのあたり、こういう考え方もあるよとか、これってできないのみたいなご意見が、もしあれば。
【社員】 せっかく社外の方の目から見られる機会なので、読者の定義も、朝日新聞からみた定義と、ジャーナリズム全体における読者というか、社内にいると見えにくい点を取り入れられればいいと思います。
【社員】 今日は前向きな話をしたいと思って来ました。朝日新聞社は一民間企業で、朝日新聞は一つの商品なんですよね。その商品のお客様…例えば反朝日の人も、デジタルの記事とか読んで強い反応を示してくださる「お客様」なんですよね。みんながみんな「左」なわけではありません。
私自身も社論と全然違うことを思っているし、社員一人ひとりの個人で見ると非常に魅力的で面白い方々ばかりです。個人のパーソナリティは世の中で見られている朝日と全然違うのに、なぜ紙面はこうなってしまうのか。それって誰が決めているのかと思います。
空気だとしたら破った方がよいですし、社長が決めているんだと言うのであれば、社長ってそんなに強い信念があったのかと思うし、紙面の雰囲気と一人ひとりと話している感覚が全然違うのが不思議です。
記者Twitterも、個人でやってると言っているけど、社名はうたっています。それなら記者だけでなくてもよくて、全員がやったっていいと思います。記者だけというものの変なヒエラルキーがあると思います。
【国広】 Twitterは記者しかやっちゃダメなんですか。
【社員】 社が認めているのは記者だけだと思います。ビジネス部門の人から申請がないだけかも知れないですけど。変だなあと思うし、もっと一人ひとりを推していくというか、朝日新聞なるものをどこかで壊さないといけないのに。
普通の企業なら、みんなに商品を使ってもらいたいと思うでしょう。お客さんが「左」の人ばかりだったら、客層はだんだん狭くなってしまう。もっと遠くの人にも読んでほしいし、買ってほしい。そういう広げ方をしていかないといけない。
普通に考えて、一つの商品に135年も寄りかかっているのも変な話だと思います。編集者の数だけ媒体を作れると思うので、朝日新聞に寄りかかりすぎな気もしますし、一人ひとりが想像力不足なんだと思うんです。
8月5日の紙面を見たときに、これを作った人はきっと2ちゃんねるとか、Twitterとか、世の中の人が結構見ているものを見た事がないんだろうと思うほど、不思議に感じた。朝日新聞なるものはこうだと決めつけられるのは忸怩たる思いですけど、そういう人はみんな狭い部屋に入れて一日中Twitterとかを見る時間を作った方がよいと思います。それって取材力不足だと思うんです。こっちの方の話を書くときに、反対の話を聞かないで書くのは取材力不足で想像力不足。躊躇しろと言うことではないけど、書かないのも一つの勇気ですし、朝日新聞の一記者として「刺し違えても」という自覚が一人ひとりにあるのか本当に疑問です。本当にリベラルでいいのということから議論してもいい。それで議論が破綻するようだったら、いろんな言論を持った記者がいて、自由に書くこともいいと思います。ハフィントンポストは13人の編集者でやっているのに、1つの商品を2000人でずっとやっているのは、会社として怠慢だと思っているので、何か新しいことを考えたいと思っています。今新聞業界はパラダイムシフトが起きているので、これを機に新聞業界を脱出して、1カ月4000円とかそういうことに縛られずもっと自由にやってもいいかもしれません。
【国広】 古市さんも言っているけど、ビジネスモデル問題をおじさんたちだけでやっているのはどうかと思います。それから、再生プランを年内目標に出そうとしているけど、現実的なプランまでは出せないと思うんです。皆さんがいろいろ出すプランを受け入れる受け皿みたいなものじゃないとダメです。まだ成果物のイメージが明確にわいていませんけど。それがイエスかノーかではなくて、再生委員会のプランは、枠の中にいろんなものがこれから入れられるようなモノじゃないといけないと思っています。
【社員】 私も7つくらい提案したが、いろんな人から前向きな意見はあったと思います。
【社員】 再生委員会の委員発というと、それはそれで社員の怠慢な気がします。社員は新しいことをやろうとか、変わっていこうというのに、お墨付きをいただけると嬉しいと思うんです。
【国広】 お墨付きというほど偉くも何ともないけど、この1、2カ月で「再生策はこれだ!」みたいなものができるわけはないので、将来に向けた入れ物、受け皿をつくれればと漠然と思っています。
【社員】 今の話、全くその通りだとは思うんです。ネガティブに言うと、この会社はそれぞれ優秀な方が多いと思うんですが、不毛な競争もあって、いろんな才能を殺している、殺し続けた20年、30年だと思います。今言われたように、パラダイムシフトが起きている時というのは、そういう人たちを活かすチャンスでもあるんですよね。いま死んでいる社員を活かす場を作れればと思うんです。責任を与えて、そして職分を与えて、いろんな場面を与える事ができるし、ステージに上がってもいいんだよという場面を作れると思うんです。サイバー空間は無限にあるし、いろんな形でできると思います。いくらでもできるけど、いざやろうと思うと、なかなか繋がらないんです。20年間失ったコミュニケーションをどうやって取り戻すか、とても大きなテーマだと思います。2000人のリソース、ビジネスを含めると4000人のリソースを生かし切っていないことが大変な問題だと思うんです。
【国広】 何かポスターありましたよね。朝日新聞を突破するポスター、あれは誰が作った標語で、何をやろうとしているんですか?
【社員】 ボードが作った構造改革プランの表紙です。
【国広】 あの問題と今回の問題って関係ないんですよね。あれはまだ生きているんですか。
【社員】 延期というかとペンディングになっています。こういう状況なので。
【社員】 全体の構造改革は生きているのではないですか?
【国広】 構造改革と今回の問題って関係ないんですよね。構造改革と再生の問題は、別の道を走っている話だと思う。それをどう一本にするのか、これから考えてもらうという整理をすればいいのかなと思います。
【社員】 定款の変更など、いろいろ要すると思うんですが、やはり社外取締役を複数入れるのは絶対必要だと思っています。今まさに経営状態は危機で、構造改革とも繋がるんですが、今回の問題に限らず新聞業界として危機にあります。新たな事業をどう興していくのか、事業を興したことがある、頭を下げる事ができる経営者が、経営力を強化する意味でも必要です。また会社が変わっていく態度を示すためにも社外取締役は必要だろうと思います。現場から声を上げてもボードメンバーには届かないことがあるので、社外の力を借りるにはどうしたらよいのか、今後朝日新聞社という会社がどうやれば生き残れるかアドバイスをいただきたいなと強く思います。
【社員】 才能を殺しちゃっている話がありましたが、会社の将来を考えた上で年次構成の問題あって、若手や中堅では力が発揮できない構造があるんですよね。例えば40歳なら昔は管理職になっていましたが、上が詰まっているから今は管理職になれない。新しい事業もじいさんが仕切っている。じいさんの会社になっているというのがある。どこかで提案あったが年次クォータ制の導入とか、未来に向かってどうしたらよいのか提言していただきたいと思います。
【国広】 総局の4年、5年生と話してなるほどと思ったのは、幹部の人たちは「俺たちもう30年やってきた、君たちにはわからないかも知れないけど」と言うけど、若い人は「我々は、これから30年この会社で生きていかなきゃいけないんだよ」と言う。そこからすると、今までのモデルで30年大丈夫ということはないのは確かなので、これから30年やっていく人の意見をどう入れるのかが、ものすごく大事な気がします。
【社員】 今の会社の年次構成を考えた場合、年功序列を維持すると、本当に新しい会社になれないと思うんです。あとやっぱり経営陣の問題。この間の新社長発表のときに、この会社って変わらないんだなと周りと話しました。今回の事態は経営陣が総退陣する気持ちでないと変わらないのに、翌日の新聞で辞める人の論文が1面に載っている。なんだこれはと思いました。
経営陣が今回の問題について責任をちゃんと取らないと、生まれ変われないし、社員もあきらめてしまう。私は再生委員会に再生案も出しているし、部会でも提案しているんです。それがどこまで反映されるか、ちょっと不信感も出てきています。
【国広】 再生委員会ってそんなに信頼されているんですか。
【社員】 再生委員会しか、やっぱり社外の方に言っていただくしかないのかなと思います。
【社員】 今日ここへ来て思ったのは、皆さんこの前の人事も知って、もう生まれ変われないんじゃないかとの、あきらめがかなり支配してきている。そう思うと、社長人事はすごく重要でした。でももう逃してしまった。じゃあ次になにをしたらいいか、その装置をどう作るか、プランに盛り込まないといけない。その1つが、やっぱり社外から人を入れる。その後どうしたらいいか考えてみて、そこで止まってしまったんですけど。
【社員】 多分、社長人事は社外メッセージしか機能がなくて、そのチャンスを失ったのは事実ですよね。変な話だけど、今度新しく社外の方をボードに入れたら、なにかバラ色の人生が待っているかと言えば、自分はそうは思えません。社外から人を入れたら、組織を変えたら、では変わらないと思います。空気を変える仕掛けがほしいと思うんです。
【社員】 今までの不祥事企業を見ると、大事なのはやっぱりトップを代えることですよね。
【社員】 朝日新聞のカルチャーに染まってない人がいいですよね。
【社員】 外から持ってくるのが一番いいけど、そう言いつつジャーナリズムへの理解が必要だと思うので、そこをどうクリアするかでしょう。
【国広】 定款で制限されているけど、社外取締役のような経営的な外の視点は今後いると思うんです。それと編集にも外の視点は必要で、たとえば産経新聞から一人呼んで編集会議にいてもらう。それはチャレンジを受けても耐えられるものなのか、客観性があるのかを見ていく意味合いにおいて、産経でも文春でも外国メディアでも構わない。経営にはしっかり社外がいて、編集の中でも社外の目という、違う視点で空気読まない人をどう入れるかが大事な気がします。
空気を読まない人を、一番最後の紙面会議に一人というのも必要だけど、全国で空気を作っている皆さんも変わらなければいけません。踊るなら、みんなで踊らないといけないという気がします。
【社員】 今の紙の編集は4本社体制がとられていで、大阪と東京で、社会面なんかは全然違う紙面で、地方版も各県ごとに違います。デジタルの場合は、そういった記事は全部同じプラットフォームに載っていて、地域と関係なしに、面白いかどうか、「読みで」があるかどうかで読まれるか読まれないかが決まってくるんです。以前いた大阪であった経験ですが、例えば東京から出てきた原稿を大阪の紙面にそのまま載せるのはまかりならんと編集局長室が言ってきて、記事の構成パーツで識者談話だけでも差し替えろ、みたいな指令が現場に来て、意味もなく差し替える。それは読者を全然見ていなくて、何があるかというと組織の分離。大阪では、大阪の組織のプレゼンスを社内で示さなければいけないという論理が先行しています。社内読者というのは善意でよいものを作るためならいいけど、社内の組織の論理で物事が決まっている側面が実際にあるんですよね。それをどう変えたらいいのか。例えば部制を廃止するなんて、何の効果もありませんでした。中途半端に新しい組織をつくったり、形を変えたりしただけでは同じ事のくり返しで意味がありません。
週刊誌で話題になった社長のブログ。読者をはじめ多くの方から「今回の記事は朝日新聞の信頼を高めた」「理不尽な圧力に負けるな、応援します」というような激励をいただいていると、そこでは分析しているんです。お客様オフィスに非難が殺到していたときに、社長にはおおむね世間は支持していると書いている。世間がどうなっているのか全く正しく把握していない。正しい情報がボードに伝わっていない。
何が言いたいかというと、今のデジタルでは記事の一本一本がどう評価されているかリアルにわかるから、そういったテクノロジーをつかって、いろんな社内の提案テーマをきちんと正しく評価してほしい。世間を把握する、世間に求められるのは何なのか分析する、常設の機関を作ってほしいと思います。ガス抜きの諮問機関なら、つくっても効果はありません。
今はメディアなしでも世論が作れてしまう。今は個人がもうメディアになって、世論を形成する力になっています。そういう環境の変化に、我々はあまりにも鈍感だと思います。
地方のニュースについては、読者目線とか地元の読者を大事にするとか、詭弁的なところもある。デジタルのテクノロジーから得られるデータを最大限につかって、きちんとやるべきでしょう。片手間ではなく。そういう方法があると考えています。
【社員】 再生委員は期待されているのかというと、やっぱりある種の期待があると思います。今まで現場の発言をもとに組織が変わったり、新しい事が始まったり、世代交代が進んだりしたことがない会社なので。閉塞感があって、落ちるところまで落ちた状態から、何か変わるかも知れないと期待して、提言なり意見を再生委員会に送っていると思いますので。そういう意味では、再生プランを出すときに、ボトムアップで何かが変わったという前例をつくることを意識してほしいと思っています。現場からの意見が会社をきちんとよくする、商品をよくする前例になればいいなと思います。
【国広】 こういう委員会は飾りの場合、ガス抜きの場合、本当に権限を持つ場合があります。飾りは嫌だし、ガス抜きは嫌だと思っているので、そこは何とか飾りでもガス抜きでもなく、今後のステップなりそういう装置になればよいと思っています。
【社員】 皆さんからアイデアがいろいろ出てきて、そろそろ先ほど国広さんが話されていた器みたいなイメージで、論点が例えば8個あるなら自分もどこかに属して活動したいと思っています。例えば広告局員なら企業とのコミュニケーションではプロだと思っているでしょうし、広報で失敗したのをそのチームに入ってブランディングをやろうだとか、記者だったら記事のチェック体制についてチームをつくってやろうとか、みんなも。このままでいくと、選ばれた事務局の社員と社外の方だけでつくったという形になってしまって、みんなで一生懸命送ったメールもガス抜きのように見られてしまいます。もう一度みんなから手を挙げてもらって、全社一丸となって、人事部が反対なら非公式にチームを作ればよいと思います。全員参加型、やる気のある人たちが中心となっていくような受け皿をつくったらいい。
【社員】 賛成します。今回はうちの会社の問題なので、みんなが何かにかかわっていかなきゃいけないと思います。論点ができているので、もう本当に枠だけつくってもらって、やりたい人が手を挙げるのがいいんじゃないかなと思います。批判するだけなら簡単です。我々はまだまだこの会社で飯を食って暮らしていかなきゃいけませんので。
【国広】 批判は大事だし、真因の分析は厳しくしなければいけないけど、「だからどうするのか」につなげないといけない。批判の対象と自分があって、自分が安全地帯から石を投げるという話では決してない。いくつかの論点が出てきたなら、参加すること大事な気がします。
【社員】 特別顧問の話、みんながっかりしているんです。なぜそれが上に伝わらないんだろう。がっかりしていて閉塞感を感じているので、一社員でもできるんだという、かかわりづくりができるような装置というか、仕組みがほしいと思います。
【社員】 今、会社の状況は非常に厳しいので、多分みんな不安だと思います。でもあきらめてもないし、まだまだやれると思っているんですね。みんなは朝日新聞が好きなんだと思います。こういう状況でどんどん辞めるかといったら、社員は辞めていませんから。あきらめていないと国広さんに感じていただいて、ボトムアップ形式で我々の声が響くような形の何か、具体案は出せませんが枠組みを作っていただきたいのです。
【社員】 この会社は失敗を蓄積して学ぶようなことが弱い気がしています。不祥事があった場合、他社はどのような体制を整えるのか、国広さんからいろいろ教えていただければと思います。
【社員】 やはり新聞社なので、人の失敗に厳しいところがあると思います。その裏返しで、失敗は許されないような空気があって、何か失敗したら「あいつはできないやつ」みたいになってしまう。自由自由というけど、実は失敗してもいいみたいな空気はないと感じます。
【国広】 よく危機管理、コンプライアンスで言われている言葉があるんです。まず社内から「あってはならない」という言葉を追放するようにと。だって間違えるに決まっているからです。問題は間違えないことではなくて、致命傷になる前に早く是正していくという、そのプロセスがある企業が、本当に信頼されるんです。つまり「うちは絶対にリコールしない」自動車会社と「ちゃんとリコールする」自動車会社、どちらが信用されるか、安心して車に乗れるか。それと多分同じです。会社には、やはり秀才が多いと思います。96点と97点の勝負みたいなところがあります。でも、算数は20点だけど、社会科は99点みたいな、そんなところの勝負があってもよいかもしれません。
【社員】 今編集局では、訂正の出し方をどう変えていくかという議論があります。私も訂正はとにかく恥だとずっと思っていました。今の訂正記事を見て意味がわかるかというと、私にはわからない。別に大きい記事を書かなくてもよいが、補足説明をしっかりして、謝るか謝らないかちゃんと真摯に説明するところから始めると、意識が変わっていくのかなと思います。
【国広】 再生委員会の議論の中でも出ているけど、きちっと訂正欄を設けるみたいな事から始めないと。もちろん、だからいい加減でよいというわけではありません。無謬性を尊び、失敗しないのが大事で、そのためには何もやらないとなるから、結局大きな失敗をしてしまう。日本の一般企業にも多いですね。朝日新聞も超日本企業的なんです、ある意味。
【社員】 海外の新聞だったらコレクションの欄があって、訂正ではなく補足説明みたいな形をとっています。そういう欄でもよいかもしれません。読者と向き合う姿勢を示していくことが重要だと思いますので。
【社員】 質問です。過去の新聞を読んでみたら珊瑚事件の後に紙面審議会をつくったと書かれているんですけど、当時読んだら毎月一回やりますとあって、最近の記事を検索してみたら年4回に変わっていました。記事を審査している部署、記事審査室だったか、あれは何をやっているんですか。
【社員】 紙面審議会は、社外の人ですよね。
【社員】 社外の人たちの審議会で、そこの事務局が記事審査室。
【司会】 事務局は記事審査室。記事審リポートを毎日出しています。
【社員】 その時々のテーマがあって、今日はこの記事について審議してくださいということを事務局が示しています。
【司会】 長野虚偽メモの後は、紙面オンブズパーソンができました。
【社員】 組織図を見ると、記事審査室が編集担当に属しています。書いた人たちが審査したら、そもそもチェックできないと思うんですけど、なぜ広報担当に属してないのでしょうか。
【社員】 うちはあっています、というのが編集担当に来て、うちは間違っています、みたいなのが広報部に来るという感じ。
【司会】 再生委員会では、広報に来た意見をきちんと吸い上げることや、今おっしゃったように記事の審査であるとか紙面に対する意見というのが編集担当にぶら下がっているだけでよいのかということを、議論していただいています。
【社員】 瑣末かもしれないですが、素朴に疑問に思っているのは、吉田調書のようなあれだけの大きなスクープで何カ月も準備しているものを、担当記者以外は当日初めて紙面化してから知るということです。これが欠陥商品とわかったとき、なんだかんだでバタバタ取り替える事はできるだろうけど、当日夕方4時から会議を始めて、そこで読みこんだって、紙面は7時8時には固まるわけです。そこでやっぱりガラガラポンしようなんて怖くて誰もできません。こんな重要な問題を、その日、事件発生ものと同じような扱いをしてよいのでしょうか。これまでの調査報道の特ダネ紙面を見るたびに冷や冷やドキドキというか、議論はあったのか、ちゃんと精査したのかと思ってしまいます。担当している側からすると、漏れるから、では認めてはいけない話だと思います。情報共有は必要です。あの火事場のドタバタのようなつくり方、あり得ないつくり方をしていると思います。
【社員】 私は全然特ダネを書いた事ないので、どういうレベルでそうすべきか、よくわかりません。どのくらいのレベルからみんなで読み込むのか、判断できません。
いろんな事が公募できめる仕組みがほしいと思います。公募でやる気のある人が集まるような。今は個人的な指名ばかりで、チャンスがない感じがします。改革も含めて私ももっと意見を出していきたいし、具体的に動きたいので、公募でやればよいと思います。あと、人事と広報を強化するのは大事だと思います。ちゃんとした人がデスクになってほしいと思います。あとは、他の部局に編集から部長が来て、何も知らないのに偉そうだと言われています。知らない人が管理職につくことは別に悪いことではないけど、適材適所や年齢構成を考えるべきではないか。どういう人をどういう部署につけていくかという観点から人を育てていくのがあんまりない感じがするんです。
女性の働き方も場当たり的なままだし、長期的な展望をもって人材を育成することがあまりになさ過ぎるから、何もできない人が上に行くとか…。部門間の交流ももっとあってもいいし、決められた一つの道しかないような感じもしています。
【国広】 やっぱり、超伝統的大企業なんだろうね。
【社員】 本当にそういう感じです。セクショナリズムがすごい。政治部・経済部だけでもそう。
【社員】 全然違う仕事をしていて、転職してきたけど基本的に傍流な感じのところにいるから、いろんな部分で不思議な感じがします。同期の女性は、初めてうちの部署で育休を取って復帰したと最近言っていました。ああそうなんだ…と。
【社員】 本当にセクショナリズムは直した方がいいです。
【社員】 総局に行くと、デスクのポスト、ここは伝統的に社会部が持っているとか。
【社員】 三つ四つ部を渡り歩いていますが、他の部に行くと全然視点が違うんです。恐らく編集の外へ行くともっとそうでしょうけど。この発見があって、編集でもちゃんと異動しないといけないし、あるいは1年2年勉強してこいと思います。販売、広告の方と一緒に仕事をしないと、編集の常識は社会の非常識になっているというか…。
【国広】 そうすることが強さにつながると思うけど、大組織だから、今まで前例がないとか、人事的にこの人を動かしたら不満が出るとか、「できない理由、やらない理由」があっという間に20くらい出てくるんでしょうね。
【社員】 惰性だけで続いてしまうことも心配です。
【社員】 将来的にこの人が経営を担うという人には、ビジネス系の経験を積んでほしいですね。コスト意識を身につけるとか、時流を読むとか、経営者としてトータルで求められるビジネスセンスが全くないまま、いきなり役員につくのはやめてほしい。危機管理対応したことがない、商売をやったことがない、相手側の企業にアタマを下げたことがない、ビジネス経験がない人はビジネス系の人と会話が成り立ちません。本当に新卒と話しているような、ビジネスパーソンとしての一般的な常識のレベルから教えないといけない方もいらっしゃる。
【国広】 もちろん編集の問題か経営の問題かきれいに分かれる問題ではないけど、編集に干渉するわけではなく、かき混ぜて人を動かすことによって組織は活性化されていきます。引っかき回す仕組みを作るのは外部性がないとできないんです。いろんなしがらみが見えちゃうから、ある意味外からでないと、大きくは変えられません。当然反発や不満が出るところもあります。そこを突破する力を持つ経営者が必要なのかもしれないですね。
【社員】 サントリーとか資生堂、いってみれば、ガチガチの日本企業みたいなところですら、社外から人を入れています。だから古い企業、伝統的な企業だからできないという理屈は本来通らないはずです。新聞社は報道機関として独立性云々ということが確かにあります。ただ、トップに置くかどうかは別として、それこそ企画事業とか、デジタルとか、編集系ではないビジネス部門に関しては別に入れない理由はないと思うんです。明確にメッセージとして入れるようなことを、次のタイミングでやるのが必要かなと思います。
【国広】 だから牽制の意味合いも一方であるけど、また別の視点で、新しい時代の新しい経営の意味合いも。
【社員】 言ってみれば我々の経営自体が、もう行き詰まっているわけですから、その意味でもやる必要があります。紙の新聞発行はもう限界に来ているわけですから、トップとか編集担当は必ず社内から、というのは止めてもよいと思います。
【社員】 今回の件は、記事の結論ありきで物事が動いていたと思います。だからアタマをすげ替えればいいというより、根が深いと思うんです。また、うちの強みを、個人的にはちょっとはき違えているのではないかなと思います。
読者像の話にも通じると思うんですけど、うちの強みは、権力にかみついているとか、自民党の反対側にあるという点ではなく、リベラルな考え方やそういう場であることです。本来の強みとはこういうものではないか、を勉強し直す場があってもよいと思います。
経営についても、マーケティングや新規事業をやるときは、SWOT分析で強みとか弱みとか機会とか脅威とかを洗い出して戦略を練ります。経営に対しても紙面に対しても、分析していくべきだと思いました。
【国広】 経営の部分は、外から新しいセンスを入れるなど、人事面も含めて変えられることあると思います。逆に言えば、そこだけ見れば今回の事を機会に、動きにくいところが動くかもしれません。
これに対して、今回の3つの問題および危機管理の失敗は、社員一人ひとりの空気を変えないと直りません。吉田調書の記事は真剣に読んだし、吉田調書自体も真剣に読んだけど、あんな記事は変だと思います。明らかに論とファクトがごっちゃになっています。再稼働については両方の意見があると思います。だからといって事実をねじ曲げると、再稼働に反対の立場を突き崩す話にもなります。もちろん、その日にいきなり出されてもというのはあるけど、ではあれがしっかり3日前に出されていたらどうだったのか…。社の論調、空気、一人ひとりだとそうじゃないよと言うけど、大きな記事とか、特報部のスクープだと、そうなってしまうと。結局、変だと思っても流してしまう。あるいは変だと思わない人が突っ走るのをみんなで傍観するしかないとか…。その辺のマインドの問題があるような気がするんです。
【社員】 あのデスクだと記事大きく載せてくれるとか。総局に行ったときに、あるデスクは社会部から来て、そのデスクが「みんなの記事をなるべく大きく社会面に載せるのが僕の仕事。そのためにいろいろ相談してくれれば、大きく載せてやる」と。あのデスクは社会部に顔が利くから、あのデスクに頼むと記事が大きくなる、という話があって、あれ?と思ったんです。やっぱり読者を見ていないのではないかと、社内の論理があるんじゃないかと。ビジネスにいた側からすると違和感を持ちました。
【社員】 吉田調書に限っては、担当デスクは優秀な方だと思います。確かに声が大きくて、紙面に大きく載せる優秀なデスクです。変な話だけど、編集幹部も彼を評価しています。そこまで考えると、やっぱり忖度、空気が出てきて、言うには言うけどそれが大きな声にはなりません。異論がうねりにならなかった。その場に自分はいなかったけど、本当に言えたか自信はありません。編集側にいる身としては一人ひとり考えて、言うときは言わないといけないし、そこは例えば「編集局長室へ行って、ちょっと言おうぜ、一緒に」というくらいのうねりを作らないといけないと思います。
【国広】 トップがいけないというのは、危機管理の失敗とか、特別顧問とか、それはものすごくあるんです。では吉田調書の記事はトップが書けと言って書かせたのかといえば、多分そうではないんですよね。戦前、日本の戦争に突き進んでいるときに、じゃ政治家がいきなり戦争だと言っていたのかというと、青年将校が突っ走るのを止められなかったわけです。走るやつも問題だが、止められないのも問題だというところは両方ある気がします。
【社員】 やっぱり記事というのは、何らかの問題意識があって、それに基づいて事実を集めるということで、純粋なファクトを単に羅列しただけでは記事として成立しませんし、ファクトの選び方とか構成の仕方で、同じファクトを使っても受ける印象は違ってくることはいくらでもありますよね。これは問題意識とか、最初にこういう主張があってという部分は、確かにそこが中心になったらダメだけど、取材する行為はそれが源になります。権力へのチェックを働かせるとか、批判する事によって世間全体としてのチェックアンドバランスが働くような役割を担うという意識もあると思います。自分にもそういう意識は若干あります。それを両方に対応するような中立の立場でやれ、というとは難しい気がします。
【国広】 中立というわけではなく、世の中がガーっと行っている事柄に対するアンチテーゼも必要だというのはわかるんです。それは「論」として出すべきだと思います。でも事実のどれを拾うか、ある程度主観はあるけれども、枠をはみ出してこれだけ拾ってはまずいだろうという枠を、吉田調書報道に関して言えば僕は明確にはみ出していると思います。記者の倫理と言う言い方が適切かわからないけど、事実は取捨選択するものである、あるいは思い込みとか思いはあってもよい。でも、そこに自分の思いはこうだけど、ファクトからここまでは書けないよねというところで踏みとどまるのも記者として大事だと思いますし、そう書きたいのだったらそれを書くに足る基礎となる事実を見つけ出せというのがあると思います。使命感がファクトに優越している…もちろんファクトは選べるものだけれど、限度を超えて恣意的に選んでいると思います。少なくとも吉田調書とか一連の原発報道の中には「フェア」ではない記事が多い気がしています。
【社員】 陸山会事件のときの小沢一郎さんの報道のあり方とか、もっと前で言うとライブドア事件もそうだったと思います。社会から抹殺するような報道キャンペーンがよかったのか、あの後反省もないですよね。当然ああいう形になったから、最初から何か間違えていたわけではなく、ただ読者や時代のマインドと明らかな齟齬を生じている場面があったと思っています。
【社員】 そこは朝日新聞だけではなくて、報道各社に共通する問題ですよね。いわゆる飛ばし的な、ちょっと踏み越えて書き飛ばしたような記事。他紙は朝日以上にやっている面もあります。業界内で麻痺している部分があるんです。他社がやっているから構わないんじゃなくて、この複雑な世の中、情報が出回る世の中で報道機関として存在意義をどうキープし続けていくかというのは、メディア全体として共通する問題かなと思います。
今回の問題が起きなくても既存のマスメディアの報道の仕方に対する批判は、根強くあるわけです。他紙が朝日を批判していますが、多くの識者の方々は天につばするようなものじゃないかと思っているわけで、そこは別のフェーズで探求していくこと必要だと思います。
【社員】 私は、リベラルですらないから問題な気がしています。リベラルのような皮をかぶっただけで、芯がない。反権力ぶってるだけ。原発報道にしても、反権力ですとか言っているけど、そうではない。だからぶれまくる。
私が会社に入ったのは、一人でも不幸せな人が減る世の中になったらいいなと思ったからなんです。私たちが取材しなければわからなかったことを書いていこうよと。例えば10人しか該当しないことでも書いたらいいと思うんです。日本に1億3000万人いて10人しかいないということをちゃんと書けば別によいだけで、10人しかいないけど大事だとちゃんと書けばよいだけで、それをたくさんに見せようとするからおかしくなるんです。もっとちゃんと歩いて取材を深くやる事、それが足りないと思います。
【社員】 実際に吉田調書が出た時、私は「あ、特ダネだ」と思ったんです。あれって、ウェブで先につくっておいて、デジタルでも第1章、第2章と、「次もあります」みたいな感じで宣伝して、こういう特ダネ取りました!とやったんです。私、反省しているのは記事を見て「ああ、そうなんだ」と思っただけで、書いた人もわかるのに、吉田調書の原本を見せてくださいと言わなかったんです。記者だったら読みたいと思うじゃないですか。「政府が公開していないようなものを取ってきた。ちょっと見せてくださいよ」くらい言えばよかった。自分の中ではすごい反省点で、社内で吉田調書がおかしいと言い始めたのは、外から言われて、他紙に書かれて、国が公開してから。社内で持っている人がいるんだったら読みたいと思うのが普通だと思いますので、やっぱり怠慢だったと思います。
【社員】 編集センターは一応言ったんですよね。行き過ぎじゃないかと。違和感があると。ただPRC報告を見ると、編集局長室も原本を見せてくれと言ったのに、拒否されたままで終わってしまったと。ちょっとびっくりしました。
【社員】 PRCで確かデスクが、大阪編集局から問い合わせがあったのは覚えているけど、ほかについては覚えていないと言っていた、記憶にないと言っていた気がします。
【社員】 あれは驚愕でしたね。
【社員】 でも私、正直言って、それが事実じゃないかなと思うんです。そんなにちゃんと聞こえるほど誰も言ってなかったのかなと思うんです。なんかボソボソ言っていたかもしれないですけど。あのときちょっと見出しと書いてあることが乖離している気がして、「ちょっと変な気がします」って後から言ったけど、出た後で行っても仕方がないし、こそこそ言っても仕方がないですから。同期の間でも、大阪から「今まで言わなかったけど、これから変だと思ったら電話する」とか言ってきたり…。もっとかかわらないといけないという気は、みんなあると思います。
【国広】 いろいろな議論をありがとうございます。かなり示唆的なお話も聞けましたし、それを何らかの形で活かすような、あるいは装置化するというか、少しでも役に立てればと思っています。少しでも役に立てればと思っています。「結局あいつ、なまくらだった」と言われないように頑張りたいと思います。
問題提起をどうしていくか、どう再生委員会で形に持っていくか。でもその形というのは多分入れ物に過ぎないので、少なくともいろんなものが入るような「はい。これで終わり。じゃあ、みんな忘れて来年」じゃないようにする必要があると思います。今日の議論は非常に良かったと思います、ありがとうございました。
【司会】 本日はありがとうございました。事務局としてもあきらめていないという声や、参加していきたいという声を聞いて、事務仕事を頑張ろうと思いました。本当に今日はありがとうございました。
以上