「信頼回復と再生のための委員会」
第6回会合 主なやりとり

日時  2014年12月12日(金) 15:00~18:00
出席者 <社外委員>   江川紹子さん、国広正さん、志賀俊之さん、古市憲寿さん
    <社内委員>   飯田真也委員長、西村陽一委員長代理、藤井龍也、高田覚
    <オブザーバー> 五味祐子さん、渡辺雅隆、後藤尚雄、長典俊、池内清(以下、敬称略)


【司会】 第6回委員会を開催します。前回、古市委員がご欠席でしたので、改めて日程の確認をいたします。第三者委員会が慎重な審議を続けておりまして、今日の段階でも報告書がまとまっておりません。そのため、年末に委員会を追加開催いたします。はじめに、江川委員からメディアの将来像についてご報告がございます。

【江川】 当委員会は信頼回復と再生、2つの目標を掲げている。失った信頼を回復するには、訂正報道のやり方を含めて目に見える変化が大事だ。併せて組織の再生には、将来にわたって朝日新聞が人々に必要とされるメディアであるよう、考えていかねばならない。それらの対策はすぐに出せないが、現状を認識するのと、今後どういう方向に向かっていくのか、どういうやり方がいいのかを提案するのはよいことだろう。そういう観点から何人かにインタビューした。東洋経済オンラインの前編集長でNewsPicks編集長の佐々木紀彦さん、津田大介さん、その他ネットコミュニケーションのリーダー的存在の方も含めて何人かなどに話を聞いた。いろんな産業がどんどん前に進んで21世紀型になっているが新聞は未だ20世紀型、他産業は「平成」だが新聞業界は今も「昭和」。そういう自覚が必要だ。かつては金融業や官僚に向けられた批判が、今はメディアに向いている。メディアは批判する側から批判される側になった。またメディアの活動自体が透明化される時代になっている。
 メディアの情報を入手する消費者、受け手の要求もずいぶん変わってきている。単に、紙から離れていくという認識ではマズイ。ある方がとてもわかりやすい比喩をしていた。今までは板長にお任せの、コースの高級すし屋さんだった、高かったけれども、とびきりのネタをちゃんと仕入れてきて、板長がこういう順番に食べなさいと言って、客はその通り食べる。そういうのが今までの新聞だったけれども、人々は、特に若い人たちは好きなものを好きなだけ食べたい、となった。今日はまずカッパが食べたいとか、イクラをたくさん食べたいとか、そういうときに言い出しにくいし要求が通らないということで、回転寿司の方が好まれる。あるいは今までは団体旅行、誰もがこれだったら何となく満足するだろうという団体パックツアーをやっていたんだけれども、そうではなくて自分の好みの分野で、例えば田崎真也さんと一緒に行くフランスグルメの旅みたいな、そういうものを選ぶようになってきた。だんだんリテラシーも上がってきているので、変わってきている。情報にお金を払いたくない人が増えた。そういう状況の中で、朝日は誰に向けたどういうジャーナリズムを目指すのか。社内でもう少し話し合うことが必要だ。新聞にどういうコンテンツが求められているのか。全国津々浦々の一次情報は必要だ。これは新聞と通信社にしかできない。ネットでどういうものが好まれるかこの委員会でも話題になったが、今は分析・背景の深掘りが求められている。それに応えるには専門性の高い記者が必要となる。例えば経済部の大きな企業を担当する記者がコロコロ代わると、そのたびに広報担当者がレクチャーする。そうなると深掘りした記事はなかなか書けない。だから記者よりも現場のヒトの方が詳しく、ネットではそちらからの発信が注目されるようになる。でも広報担当者は、自分たちにとってマイナスなことは書きたくない。よって新聞社には専門性の高い記者が必要だ。そういうことを数人から指摘された。また専門記者ばかりじゃ成り立たなくて、いろんなことに目配りできるデスクがいないといけない。つまりヒトの育成と、多様性が必要だ。
 一方、情報の流通の面も重要だ。読まれる記事はどういうものかというコンテンツばかりに関心を持ちがちだが、むしろ考えなければいけないのは情報流通の問題、どうやって届けるのかだ。紙の時代は全て人がやっていた。デジタルの世界の流通は、テクノロジーの領域だ。朝日新聞ではどれだけのヒトを投入しているのだろうか。朝日新聞の規模だったら100人200人の規模でエンジニアを投入すべきだろう。デジタルの世界では圧倒的にヤフーが流通をおさえていて、それ以外のところをスマートニュースやグノシーなどが取ろうとしている。流通をおさえられるとビジネスとしてやっていけない。そうするとコンテンツを作る人も養っていけなくなる。新聞社はデジタル時代の情報流通について考えがなさ過ぎた、という指摘を何人かからもらった。
 だから、21世紀のビジネスが分かる経営者が必要だろう。どういうジャーナリズムを目指すのかついては社内だけで考えればよいが、21世紀型のビジネスについては新聞社の中だけではなく、外部識者を交えて研究していくセクションとか会議体が大事だと思う。そうでないと、人々にとって必要とされ続けるメディアになるという視点がないと、若い人たちが再生のために頑張るというエネルギーが出てこない。ただ、これは信頼回復への対策があってのことだ。

【志賀】 いつも取材されている立場からひと言。いわゆる専門紙の方を除き、一般紙・全国紙の自動車担当記者の方は短い間にクルクル代わるので、当初は我々の方から教えることが相当多い。こちらから教えるわけだから同じようなトーンの記事になる。
 自動車工業会の会長になる直前、金融危機が起きた。そのとき「雇い止め」と書かれたので頭に来た。期間従業員について説明すると、主に東北の人たちのケースだが冬場、雪が降って仕事がないから自動車工場で仕事をして、春になったら帰って行く。そして秋になったらまた来ていただいて、と同じ人が働いている。これは雇い止めではない。期間従業員の働き方を全く分かっていない。そういう経験から、自動車関係記者にニュースを出すときは、相当時間をかけて教育することから入るようになった。自工会会長を辞める頃には「志賀塾」と呼ばれるようになった。世界の自動車産業の動きや、その背景などを記者に教える啓蒙活動をしたが、その中には朝日の記者さんもいた。
 記者は、実際に何が起こっているかについてのしっかりとした確かな取材、正確な報道が重要だ。読者は極めて正確な情報を知りたいと思っている。我々メーカー側が、「よくここまで調べたな」と舌を巻くような記事を期待したい。深掘りされたものには我々も敬意を表す。痛いところを突かれても、それが事実なら甘んじて受けるし、そういう記事を期待している。

【国広】 記者がちゃんと勉強していない、専門性が十分ではないという問題もあるが、むしろ「メーカー対消費者」「権力対虐げられている人」といった、ものすごく単純化した善悪二元論の図式でものごとを見るという姿勢に大きな問題があると思う。現場の記者の多くは現実社会の複雑性が分かっているのだろうけども、紙面だと善悪二元論になってしまっている。かつては「資本家対労働者」、今は「大企業対消費者」というように、図式化した対立構造を作り、非常に単純化して「やっつける」という空気がある。悪徳企業は徹底的に叩くべきだが、消費者のために最大限の努力をしている企業であっても何かミスをすれば、それが大企業というだけでただぶっ叩く傾向が見て取れる。このため記事が薄っぺらになり、納得性が乏しく、企業側も「どうせ叩かれるんだから」ということで本質的な改善施策を促す効果が薄れている。朝日には、単純な善悪二元論の傾向を克服し、現実社会の複雑性を見据えた「深い」記事を増やすことが求められているのではないか。

【西村】 多くの人が自ら発信手段を持って発信し始めました。そういう時代の専門性とは何かが厳しく問われています。デジタル時代の専門記者とは何か、ということです。朝日新聞の記者養成は以前から2つのルートがあり、一方ではゼネラリストの育成、経済から社会、社会から政治などと変わっていきます。ときにその回転の速度が速すぎると指摘されています。一つの担当期間が短すぎるという指摘が前からあり、そこは改善しなくてはいけません。その過程で、もうひとつのスペシャリスト、編集委員、論説委員などの専門記者も育っていきます。ただ、専門記者に期待する分野、条件、資質などは時代とともに変えています。専門記者のあり方が変わっています。
 流通の話ですが、アマゾンのベゾスがワシントンポスト買収を発表した直後、我々はアメリカに行って多くのメディア関係者に会いました。その後社内で研修会や報告会、勉強会を何度か開きました。そのひとつが、これからは流通が主戦場になる、その観点からもアメリカのメディアの再編が始まったと。また多商品化、多チャンネル化、多価格化とともに、フルコースから回転寿司化へというデジタル戦略の変化も試行しています。朝日新聞とMITが共催したメディアシンポジウムでは、ニューヨークタイムズの社外取締役も務めている方から「ジャーナリストに技術を教えるより、技術者にジャーナリズムを教えた方が早い」とまで言われました。技術者の採用と養成についても新しい態勢で取り組み始めています。

【江川】 朝日の場合はそれを社内でやっているのが、どうなのかな?と思う。全く異業種、ネットの中で活動している人たちを招くという形ではなく、お任せするくらい権限を持たせるのがよい。朝日新聞社内で事業をやろうとしても制約が多い。官僚的で、手続き大変なようだ。財政的にまだ余裕があるなら買収するとか、ダイナミックな戦略を描く必要がある。

【高田】 メディアラボを先日まで担当していた高田です。メディアの未来を見据えて、メディアラボはスタートしました。取り組みが早かったとは申しません。現在、江川さんからご指摘があったようなことを実験的にやっています。27人が、社外の人を巻き込んでチャレンジしています。ITベンチャーの皆さんとも付き合い、データ解析やエンタメ企業への出資もしています。大型の買収案件はありませんが、色々検討しています。メディアラボは社内と社外のハブになろうと思っています。20代が3人います。社内の意欲がある若手がメディアラボに集まってきています。まだ十分な成果は上がっていませんが、ウエアラブルエクスポなどの新しい取り組みをしています。

【江川】 私が話を伺ったのは、朝日がどのような取り組みをしているのかについてよく知っている方たちで、その人たちが、それでは不十分と言っている。メディアラボについても、朝日ならではの取り組みだと評価している。しかし、思い切ったことはできないでしょと、ちょこちょこ出資していても、どうなの?と。今やっていることの中途半端さ加減を指摘しているのであって、もうちょっと大胆な展開ができるような仕組みが必要だと思う。社内で何かやろうと思うのではなく、外に出て起業する人がいて朝日のDNAを広げていくなど、そういった展開を期待している声もあった。

【江川】 資料を見て思ったが、訂正について取り組みが甘い。渡辺社長が記者会見で約束した5項目の中に「誤報を防止する仕組みと訂正報道のあり方を抜本的に改革します」とある。信頼回復のために大事なことの一つが訂正報道だ。いただいた資料を見ると、訂正から逃げない、見せ方を変えるみたいな精神論とか抽象論なので、これでは何も約束していないのと同様だ。読売新聞は訂正を社会面に集約するという改革を行った。12月1日2社面にその第1号が載った。誤字で、すごくシンプルなものだが、入力ミスだったと、間違いの簡単な理由も付記されていた。読売を追い越せと言うつもりはないが、朝日が信頼回復のために行う抜本的改革が読売のレベルに及ばないのであってはならない。「朝日はここまでやるのか」と思ってもらえる、発想の大転換が必要だ。
 正しい歴史を記録するため誇りを持って積極的に訂正すべきだ。訂正こそ広く、分かりやすく伝えないといけない。具体的な約束が伝えられるべきではないか。例えば、訂正は朝日新聞デジタルで無期限に検索・閲覧できるようにするとか。一度ネットに載ったら、記事はいつまでも残る。個人の名誉を回復できるためにも、訂正については無期限で見られるようにするのがよい。また反論に耳を傾け、紙面に反映するようにしてほしい。やはり具体的な約束が必要だ。

【西村】 先日お示ししたのは訂正報道の第一段階です。最終ゴールではなく出発です。検索期間の延長も組み合わせると面白いと思いました。

【志賀】 産経新聞に江川さんのコメントに関する訂正記事が載りました。その対応にご自身は満足されましたか?

【江川】 経緯を説明するところで、ツイッターを加味して、みたいなことが書かれていた。でもツイッターには関連することをほとんど書いていない。「顧問に就任せずで決着。よかった」だけだ。産経の説明だけ聞いて書いた毎日新聞なんかでは、実際の経緯と違う記事になっている。そこは非常に不満だ。ただ、今回の訂正は、私から要求したわけではない。私がツイッターで「何か変だね」って書いたのを、日本報道検証機構というNGOの人が見て、産経に取材をかけた。本人がどうしても訂正しろと言ったわけではなく、外部の人がチェックして指摘をするというのは、これは今の時代ならではのことだと思う。産経は迅速に対応した。その点は評価している。産経の紙面には「厳正な処分」と書かれていたが、私が望んでいるのは処分ではないので産経に電話して、そのことを言い、どうしてこのようなことが起きたのかを検証して二度とこういうことが起きないようにしてほしいと伝えた。

【志賀】 取材される側の話で言うと、「その趣旨で話したんじゃないのに、この報道は何なのだろう」ということが結構ある。前後を抜いて細部だけ使われる不安がある。あれでいちいち訂正していたら、新聞は訂正だらけになるだろうというくらいの量だ(笑)。確かにそう言ったんだけど、でも違うところで使った表現なんだけど…ということがある。しっかり記者教育して、正確な記事を書いてほしい。

【江川】 前回の報告で、美味しんぼを巡ったマスコミ倫理懇談会の話をした。福島の地元紙の方が『美味しんぼ』について「問題提起だったかもしれないけど、こういうマイナス面がある」、といった発言を、朝日では「いい問題提起だった」というところだけつまんで、まるで肯定的に評価したみたいに書かれた。これは訂正欄には馴染むのだろうか…。言ったことは事実だ、しかし趣旨はこうではなかった…と。こういうのは反論のコーナーに載せるとか、再取材するとか、どういう対応がいいのか分からないが、単に事実の間違いというだけでなく、こういうことも含めてちゃんとやっていく姿勢が大事だ。

【司会】 危機管理の視点からの総括として、国広委員から発言があります。

【国広】 危機管理には、災害や暴力など「①企業に対する外部からの危害に対処するための危機管理」と「②企業の内部で発生した不祥事などに対処するための危機管理」とがある【資料あり】
 誤報や記事訂正の問題は②の危機管理の問題となる。慰安婦問題の記事の取り消しと検証記事の発表(8月5日)は、言うまでもなく②の問題であり、「問題点を自ら認識し、それを自らの手で克服すること、そして、そのプロセスについて説明責任を果たす」ことが求められていた。だが、朝日新聞は外部からの攻撃を受けていたこともあり、①の危機管理の意識に引きずられ、②の視点が欠けていたため、「潔くない」「謝罪のない」「誠実でない」検証記事となり、危機管理の大失敗を招いた。このことは、これまでに何度か説明した。
 今回は、②の危機管理に焦点を絞ってお話ししたい。
 危機管理の実務は次のようなプロセスをたどる。
 まず端緒。「何か問題がありそうだ」と。次に、事実調査。調査により、問題が把握される。その次がダメージ評価。「これはどの程度のダメージを我々に与えうるものか」を評価する、最後に、把握した問題点とその評価に基づいて、迅速に対処する。こういう4つのプロセスを経るのが危機管理だ。
 実際の危機管理は、隠されていた不祥事が徐々に明らかになって、危機が拡大していくという経過をたどる。つまり、自分たちが危機に遭っているのかどうか、わからないというところから始まるのが実際の危機管理だ。
 危機管理は、事態の全貌が判明してから「いちにのさん」で始めるものではない。そもそも全貌が把握できるか、そして、それをきちんと自己評価できるかというところが、危機管理の成否を分ける。
 端緒から対処までの各段階で、適切な危機管理を阻害する要因がある。まず端緒が得られなければ、危機管理は始められない。つまり、「この記事はおかしくないか?」という声が危機管理部門に届かないと、記事を訂正するかしないかも、ないわけだ。
 この阻害要因を防ぐには、記事に対するクレームとか他紙やネット上の問題提起などの「端緒」をしっかりと自分たちで収集することが必要になる。
 2番目。次に事実認定とそのための調査。この調査を、記事を書いた部門が自分ですると、公正な事実認定はできない。自分には甘く、言いわけが先に立つからだ。したがって、記事が適切か不適切かに対する調査は、当事者から独立した別の部署が客観的な視点から行わなければならない。
 3番目。把握した事実をどう評価するのか。ここで評価基準が社内の基準だと間違える。「大したことはない、騒ぐほうがおかしい、こいつはクレーマーじゃないか…」こういった「社内の常識」は「世間の常識」とかけ離れているのが普通なので、危機管理に失敗する。社内ではなく、「書かれた側」とか、「広い意味での読者」といった「外部」からどう評価されるのか、評価軸を外に求めなければ、危機のマグニチュードを知ることができない。
 そうなると対処の方法も誤る。よくある失敗パターンは、各部署バラバラで一貫性のない戦力の逐次投入だ。
 そこで、朝日新聞としてこれからどうしていくのかという問題。記事に対するクレームや、他紙やネット上の問題提起など、問題につながる可能性の「端緒」を把握した場合、どういうルートでどこで情報を集約するか。再生チームが提案した「品質管理部門」がこれにあたるのだろうが、ここがどう機能するのかを考えてみる。通常の危機管理(問題記事の訂正プロセス)と、重大な危機管理にエスカレーションしていくケースの、2つの場面で考えてみたい。
 まず通常の危機管理。これは先ほど言ったように、品質管理部門と編集部門の関係を分離独立にしなければいけない。すなわち、記事に問題があるかどうかという調査・第一次判定は、書いた側である編集部門の影響を受けることなく、中立的な立場から、「書かれた側」とか「広い意味での読者の目」を意識しながら行わなければならない。
 ただこの場合に大事なのは、品質管理部門は、「誤報か否か」とか「裁判に勝つか負けるか」というレベルの二択的な発想ではなく、「その記事はフェアか」という、より高次の基準で検討を加えるべきと思う。名誉棄損とか明らかな誤報というのは論外だ。今回問題になっているのは、記事の内容が、「明確な誤報とはまでは言えないかもしれないが、このファクトのつまみ方はないだろう」とか、「アンフェアな記事だよね、偏っているね」というレベルでの問題だ。この意味で「フェアかどうか」というのが基準になってくると思う。そして、この調査と第一次判定を適時適切に行うためには、制度的な保障、つまりスタッフがちゃんといることが不可欠だ。編集と兼務とかじゃダメで、独立したスタッフが要る。
 分離独立について。では両者を敵対関係に置くのかというと、私は違うと思う。品質管理部門は、編集部門から分離独立した立場で調査、第一次判定を行うけれども、いわば社内の憲兵隊のように、こらこら!と取り締まるものではいけないと思う。
 あくまでも議論と説得を通じて、記事訂正などの最終判断に至る。納得させる力というか、そのプロセスが必要なんじゃないか。単に取り締まり、取り締まられるという関係は生産的ではない。記事の質を上げていくためには、議論と説得、納得のプロセスが要るだろう。
 ここで納得して、すんなり訂正に至ればいいが、意見が割れる場合もあるだろう。この場合の最終判断権をどこに与えるのか…。これは朝日の皆さんが考えて決める問題だ。品質管理側が最終判断するのか、あるいは編集に任せるのか、あるいは別の上位機関をつくるのか。これは「決め」の問題だ。そこで必要なことは、記事の品質を高めるために両者で共同作業するという姿勢だと思う。繰り返すが、誤報か否か、数字を間違えたかみたいな二択の話ではなく、まさに記事の水準というか、質を高めるための議論が必要だと思っている。
 以上が、通常の危機管理。次に、重大状況の危機管理へのエスカレーションについて。すなわち、通常の記事訂正では済まない可能性があるケースのことだ。
 この場合は危機管理レベルを一段高め、危機管理委員会的な組織― 事務局案の戦略広報会議になるんでしょうか ―が主体となった全社的な危機管理が必要になる。つまり、慰安婦報道訂正記事のように、間違いを認めたものの、謝っているんだか謝ってないんだかわからない対応をして社会の厳しい非難を浴び、池上コラム問題まで引き起こした大失敗を繰り返さないための全社的危機管理をどう実行するかということだ。ここは、ダメージを最小化するためには何が必要か、どういう誠実性なり潔さで危機管理をやるのかということだ。
 事務局案の戦略広報会議は、危機管理委員会の性格を持つものだ。では、それは危機管理のときだけ出てくるかというと、それではうまく機能しないだろう。先ほど言った通常の危機管理、訂正もやる、たくさんの情報、例えば各種のクレームなどを日々モニタリングしていることが大事になると思う。重大な危機ではないけれども、日々の対応を繰り返すことによって危機管理のセンスを高めておくという意味もあると思う。
 記事訂正をめぐる品質管理部門と編集部門の議論でも、エスカレーションした危機管理対応でも、プロセスの透明化が不可欠だ。編集はこういう意見を言った、品質管理部門はこう言った、こういう議論の結果こうなったという記録と透明化が必要だ。
 つまり、忖度によって不明朗に物事が決まっていくのがダメ。例えば、池上さんコラム不掲載の問題の経緯について、何の納得のいく説明もできないわけだ。「前社長が厳しいなとつぶやいた」「それを幹部が忖度した」みたいな話だが、それが本当かどうか検証のしようがない。第三者委員会がどういう結論を出すかわからないけど、記録がない。記録に残し透明化することには、責任を持った発言を促し、致命的な間違いを防ぐという機能もある。社としての判断の客観性を確保することを通じて判断の水準を高めることにもつながっていく。

【司会】 原因論についても国広委員から。

【国広】 福島第一原発の吉田調書報道について、PRCの報告が出ているが考察を加えたい。記者、デスク、編集体制という三つの切り口だ【資料あり】
 まず2人の記者について考える。報道機関の重要な使命の一つが権力の監視にあるということは間違いない。吉田調書を入手して記事を書いた記者たちは、この使命感を強く持っていたと思う。このこと自体は評価に値する。しかし、記者らには、東電=権力=隠すという非常に強い決めつけと思い込みがあった。この結果、ファクトに基づくフェアな報道とは到底言えないストーリー仕立ての記事を書いてしまったと私は考えている。
 この記者の一人が書いた本は、まさにその使命感に貫かれている(書籍の一部を抜粋して読み上げ)。至るところで「憤怒」の思い、権力=悪、東電=悪という強い思いが書かれている。では記者はファクトを軽視したのかというと、そうでもない。吉田調書の一節「実は私は第二に行けとは言っていないんですよ」、この一節の存在というファクトは極めて重視している。なぜなら、このファクトは、東電=権力=隠すという見立て、ストーリーに沿うものだったからだ。しかし、ストーリーに合わない不都合な事実もたくさんある。例えば、吉田調書の中にもそれに反する部分がある。あるいは、本当に逃げたのかという点についての東電社員の証言を取っていない。そういう不都合な事実からは、意図的かどうかはわからないが、目をそらしていると思う。この意味で記者たちは「ファクトを軽視した」というよりは、「見たい事実だけ見ようとした」または「スポットライトを当てようとするファクトが偏っていた」あるいは「ファクトの取り上げ方がアンフェアだった」ということだと私は思う。
 では、この偏りをもたらしたのは何かと言うと、それは強すぎる使命感だと思う。つまり、「我々は権力を監視する、東電=悪だ、隠している、叩くのが国民のためだ」という強すぎる使命感― これは思い込みになっていると思うが ―これが記者としての倫理に優越してしまったのではないか。ファクトの前に謙虚であれという記者の倫理が後退してしまっている。彼らにとっての倫理は権力を叩くこと、少々ファクトが不正確でも…ということだったのかもしれないが、私は違うと思う。記者としての倫理で一番大事なことは、ファクトをフェアに取り扱うということだ。
 ではデスクだが、特報部のデスクは、とても誠実に我々に話をしてくれた。このデスクは、反原発のイデオロギーを持つ人物ではないようだ。再稼働反対キャンペーンを目的として記事を書いたわけではないと思う。しかし、そのデスクも権力=東電の隠蔽を暴く、というこの一点において、強い使命感を先ほどの記者らと共有していた。
 彼は、権力が隠している我々が書かなければ表に出ない問題を掘り起こすことが使命だと考えているという趣旨のことを、非常に率直に話してくれた。
 本来デスクは記者の思い込みを正し、記事をフェアなものに保つ立場にあると思う。しかし、権力の隠蔽を暴くという前のめりのマインドで記者とシンクロしていたのだと思う。彼は記者が書いた第一次原稿の「とげ」を一生懸命抜いたと言っているが、第一次原稿には根本的な方向性のゆがみがある。しかしそこを正すのではなく、とげ抜きを一生懸命したということだった。しかし、記者らが吉田調書の一節だけをことさらに取り上げて「撤退(逃げた)」とする根本的なゆがみには、デスクの目は残念ながら配られていなかったと思う。
 次は編集部門。出稿されたのは5月19日だが、大阪などからおかしくないかという声が幾つかあがったが、ブレーキがかからなかったと言われている。確かに制度的な問題もあるだろうが、私は、東電=権力の隠蔽を暴く、政府=権力が隠していた吉田調書を俺たちはとったぞという高揚感が朝日新聞の中枢を覆って、「空気」になっていたのではないかと思う。調書を誰が読んだかというと、ほとんど誰も読んでいないのに、あの大見出しで走ってしまったのは、制度的なブレーキという問題もあるけれど、そのマインドの部分が非常に大きいと思う。今後の再生プランで「チェック機構を入れます」という制度論があってもいいが、「空気」や「マインド」の問題に切り込まないで、いくら制度をいじってもダメだと考える。
 次に「真因」についての私見を述べる。
なぜ記者らがアンフェアな記事を書いたのか、デスクが基本的なゆがみを正すことができなかったのか、編集部門のブレーキがかからなかったのか。これには、やはり朝日新聞の空気、体質に深い原因があると思う。その意味で、原発吉田調書問題は、偶発的、一回限りで起こった例外事象ではなく、まさに必然的に起こるべくして起こった。起こり方がひどかっただけで、プチ吉田調書問題というのは、たくさんあると私は考える。確かに朝日新聞は社論として反東電、反再稼働とは言っていないが、やはり反東電=反権力という論、雰囲気、空気が優越的に存在していて、その方向に沿った記事が掲載されることが非常に多いと思う。
 一定の方向性を持つ、何かに反対する論を展開する、私はそのこと自体はあってもいいと思う。しかし、その方向性に沿っていれば、ファクトが十分に検証されていなくても、発言のつまみ食いがあっても、通ってしまう。「論」に乗っていると記事が通りやすくなり、チェックが十分に働かないことがあるのではないか。この問題は、江川さんが、繰り返しプロメテウスの例をいくつも挙げながら指摘している通りであるし、社員集会などでも直接私は感じている。前々回でも申し上げたが、福島の避難解除区域へ戻らない人が「こっちに友達ができたので子供たちが戻りたがらない」というのはダメで、「放射能が怖い」というコメントを取ってこいと。こういうデスクも現にいる。
 やはり、深いところにあるものは「社内の空気」だろうと思う。このような空気…権力監視=正義という非常にナイーブな使命感(権力を監視するという使命感自体はとても大事なことだが、そのためには「プロとしてのしたたかさ」が必要。それが不十分なまま、無防備に根性だけで突っ走るという幼稚さ・ナイーブさ)が、ファクトをフェアに吟味する目を曇らせていると私は考えている。この問題は、原発吉田調書問題だけではなくて、慰安婦報道についても― これは第三者委員会の報告書がでないとわかりませんが ―共通していると思う。
 とても危惧しているのは、朝日新聞の中には、いまだにこの点の自覚のない人が結構いるということだ。社員集会でもそうだが、吉田調書記事は取り消す必要がなかったと言っている人が相当数いる。こういう空気がある中で、その問題を本質的に総括しなくていいのか。
 こういうマインドが強く残っているところが、慰安婦報道の訂正が遅れた、あるいは訂正のやり方が不適切だった、というところとつながっているし、池上さん問題にもつながっている。真因(深因)の根深さはあるにしても、「もう年末になるから早く再生策を出そうよ」と、どんどん流れて行っているように危惧している。だが、ここの議論は全然できていない。権力監視が報道機関の果たすべき重要な役割だというのは全くその通り。しかし、先ほど言ったように朝日新聞の一部の人たち(しかし、声が大きく「空気」を作り出す人たち)が、最近の日本の政治状況に対する危機意識が強いあまり、それに応じた使命感が過剰になって、ファクトを冷静に評価する目が曇っている。フェアに報道するという記者の倫理観が非常に低下しているのではないか。そして今回のような問題を起こし、かえってその結果、報道機関として権力と対峙する力が落ちているのではないかと危惧する。
 権力と対峙する力というのは、フェアにとりあげたファクトの力で、反対の立場にある人でも「なるほど」と一目置かせる力だと思う。ファクトの断片をあげつらって権力を声高に批判して、閉ざされたサークルの中で相互承認…。そういうことによっては、権力と対峙する力には全くならないと私は考える。
 かなり不愉快に感じた方もいると思うが、この点の議論が置き去りにされたまま「再生」に入っていくことに対する、私の社外委員としての危機意識があったので、あえて真因論というものを私論という形で述べさせてもらった。

【江川】 今回、国広さんがフェアという言葉をちょいちょい出しているが、私もフェアネスということは、もっといろんな人たちがもっと気にしないといけないことだと思う。記事がフェアであるかどうかという目で見た時、やはり疑問符がつく記事は結構ある。さっき志賀さんがおっしゃった、書かれた側がこれはしょうがないというふうに思うのは、事実である、的確であるということと同時にフェアなものだからだと思う。そこに関する社員の意識がどの程度のものかがちょっと気になる。それ以上の目的が出てきてやいなかということ。
 例えば、実際にやっていると、怒りとか許せないという思いから、そこがエネルギーになって取材することはあるわけで、そういう時の記者というのは、敵に向かって突撃するといった心理になると思う。そういう時こそフェアネスが大事だというのを徹底する必要がある。自分の自慢話するみたいので、あまり今まで、ここでは言ってこなかったと思うが、そういうつもりではないということでわかっていただきたいのですが、オウムの問題をやる時、一番気を遣ったのはフェアネスだ。それはどうしてかというと、何も私がフェアな人間だからというわけではなく、いわばケンカに勝つための方法として必要だと思ったからだ。
 東電と違ってオウムの場合は、非常に訴訟リスクも高かったし、実際に訴えられることもあった。そういうことを避けるためというのも、もちろんあるが、当初はマイナーな話題だったし、オウム側につく識者も随分いたりして、一般の人たちにわかってもらうという面では、できるだけ感情を抑えて、フェアに書くことも必要だった。地下鉄サリン事件の後は、マスコミは、まさにあることないこと書き立てるみたいな状況になった。そうなってくるとオウムは、むしろ「ほれみろ。マスコミはウソばかり書く」ということで、本当のこともウソだと信者に言って回るとか、社会に対してアピールするとか、そういうこともあった。そこである種、戦いの手法としてフェアネス、あるものないものではなく、どんな状況になっても確認された事実しか発信しないと意識していたような気がする。必ずしも全部うまくいったかどうかは、わからない。
 ただ今回の場合は、訴訟リスクが低い。あるいは非常にメジャーな話題で、多くの人たちが東電に問題があると思っていた。そういうことで、非常にフェアネスを意識するのが甘くなったのではないか。それは、ケンカの手法としてもまずかった。フェアな記事は、新聞の価値を高めたり、読者の信頼を得たりするだけではなく、記者そのものを守るものでもあるという意識がもっともっとあってもいい。

【志賀】 以前この場で、ちょっと刺激的な言葉を使って恐縮だったが、経済界の中で「なぜウソつき新聞を助けるんですか」と言われたことがある。これだけ言うとアンフェアな感じがするので、一方で経済界には「朝日新聞のような新聞社がしっかりした記事を書かないと日本はバランスが崩れる」と言ってくれる方もいる。ここでいう、しっかりとした記事というのは、国広委員がおっしゃったような、ファクトベースでフェアな記事だろうと思う。それはものすごく期待感が強いのだろうと思う。ここをしっかりと打ち出し、本当に新聞の記事のクオリティを上げて、それを以て信頼を回復していく。そこが、産業界とか政府とかかかわらず、期待されているところじゃないか。

【古市】 権力と対峙する力とは、フェアに取り上げられたファクトの力に寄って、反対の立場にある人にも、なるほどと思わせる力である。国広さんのおっしゃったことはまさにその通りだと思う。例えば、ある政策を通そうと思ったら、一つのやり方として"ダメな反対派を作る"ことがある。ダメな反対派は勝手に自爆してくれるから。朝日新聞は慰安婦問題とか原発問題において、図らずも、勝手にダメな反対派になってしまったという面があると思う。
 慰安婦問題にしても、朝日新聞のせいで、実際よりも、過小評価されてしまう可能性がある点において、ある種リベラルの自爆と言える面があると思う。百歩譲って、扇動とかイデオロギーによって何かを、言論の力によって人々を動かすということができるならば、そういう戦略もあると思うが、実際それも成功していない。
 例えば、今年の東京都知事選で、朝日新聞は原発を1つのアジェンダとして提示したが、実際に世論が動いたかというと、あまり動いていない気もする。若手集会の話でも出てきたが、現場にいない上の方の幹部が勝手にアジェンダを設定してしまい、現場が右往左往してしまう。仮にそれが何か効果を発揮すればいいが、実際にそれが何の効果ももたらしていないとするならば、あまりファクトに基づかない扇動にはますます意味がなくなってくると思う。
 これは、新聞でも出ていた渡辺新社長の約束の4番とも関係してくると思う。「健全な批判精神を持ちます」。確かに新聞社がジャーナリズムが権力と対峙する、権力を監視するのは非常に大事だと思う。ただこれが批判精神ありきでは、やはり意味がない。健全な批判精神ってあいまいな言葉だなと思った。これもファクトに基づいた批判でないと、結局、「ああ、まだやっぱり朝日新聞は自分のイデオロギーを通すためにそういうこと言っているんでしょ」と思われてしまうと、僕は思う。だから、ここで言う批判精神というのが、ただの批判精神ではなくて、もしくは"健全な"という主観的なものではなくて、きちんとファクトに基づいて、反対側の立場にある人にも、なるほどと思わせるような権力の監視でないと意味がないなと思った。

【西村】 私たちが大事にしなければならない原則がまさにここにあるということだと思います。全て賛同です。こうした気持ちを我々が疎かにしているかというと実はそうではありません。当時の編集局の空気はどうだったのか、風通しが悪かった理由はなぜなのか、私たちのこれまでの報道の中で論があまりに先行した例がなかったかとか、キャンペーン意識が過剰になってはいなかったかといった議論を9月以降社内でやっています。チェックの強化とか制度論だけでこの問題を解消しようとしているわけではありません。この点は国広委員にぜひご理解いただきたい。権力監視がジャーナリズムにとって重要だということは間違いありません。批判は、あまりにも論が過剰であるがためにファクトへの姿勢が疎かになっていないか、幅広い世論の声とか、異論や反論を積極的に取り入れないメディアになってはいないかと。フェアネスについてもその通りです。基本的には、ここに書いてある論点はまさに私たちがいままで議論してきたことであり、これからも点検しなければならない点です。新しい言葉や表現を与えていただいたと、受け取っています。

【国広】 西村さんをはじめ、ここにいる方は議論をして、そういう意識でやっていると思う。何千人もいる会社だから、いろんな人がいていいが、肝心要の特報部の中で今回の問題をレビューしたり反省したりするディスカッションをやっていないのか、やっているのか。その結果も教えてほしい。これは改革に向けるベクトルの話でもあるが、前回か前々回かに志賀さんがおっしゃったように、嵐が過ぎ去るのを待って首をすくめて、今、社外委員がうるさいけども、もうしばらくすればいなくなるし…という人がやっぱりいると思う。どんな組織にでも。そういう人たちに、どう気持ちを改めてもらうのか。改めるのが難しければどう対処するのか。そこがとても大事になってくると思う。

【江川】 特報部は反省会をしたのか。

【西村】 PRC見解が出た後、社内では地方総局も含め各職場で報告書を読み込んだうえでの検討会や討論会をやってきました。特報部でも説明会も含めやっています。総選挙期間に入りましたので、デスクレベルとかばらつきはあるようですが、PRC見解を受けた各部門の討議結果のレジュメはジャーナリスト学校や私たちのところに集まりつつあります。目的は2つあります。1、2回の議論で消化できると思っていませんので、これを題材に我々の姿勢について議論していきましょうということが一点。そして来年以降、ジャーナリスト学校の研修で使うテキストの材料にしたい、というのが二点目です。まだ集約プロセスの最中にあります。


<休憩>


【司会】 再生チームで考えた危機管理組織のイメージについてご説明します。あわせてパブリックエディター(PE)についても付け加えさせていただきます。

【チーム員】 一連の問題で、事態を悪化させた原因として、危機管理の視点がズレているとのご指摘をいただきました。生産者の論理に染まっていることを自覚できないまま、読者の存在を忘れた対応をしたと、前編集担当の杉浦も述べています。PRC見解でも広報態勢の不備を指摘されており、社としても対応を迫られているところです。このため、品質管理の視点で記事、内容、コンテンツの管理をしていかなければいけないと考えております。品質管理・危機管理を担当する役員を置き、その所轄下に「戦略広報会議(仮称)」という組織を新設します。現状、様々な情報がお客様オフィス、広報部、記事審査室など、多岐にわたる部門に入ってきて、なかなかうまく集約できていません。なるべく既存の組織を有効活用して、有機的に結びつく形で広報の強化を行っていくために「戦略広報会議」新設を提案いたします。今までは外部から指摘があると、調査が編集側に丸投げされていました。それを改めて透明性高く、編集と広報を分離して、説明責任を果たせる形での調査を行っていくことを考えております。
 戦略広報会議を新設することで様々なところに集まっている情報を集約し、編集部門に伝えていくことが必要だと思います。デジタル時代に対応した迅速さも求められています。今回、江川さんのコメントに対する産経の事例は、迅速な好事例だったと思います。
 先ほど国広委員がおっしゃったように、端緒としてとらえられないことがあると、対応が遅れてダメージが拡大することがあります。デジタル時代ですから拡散しだすと止まりませんので、これを防ぐためにPEから「現在調査している」と発信して、きちんと対応していることを世の中に伝える。こういう取り組みが広報危機管理には必要ではないかと考えています。

【チーム員】 前回ご説明したPEについて、組織全体を踏まえた上で修正説明をいたします。大きな修正点は、その日つくる新聞、記事が掲載される前には関与しないところです。PEは記事が出た後の対応を、読者の側、書かれる側の視点に立って、問題があれば指摘するということを中心にしたいと思っています。大前提として編集責任は編集部門が持ちます。PEは日々の編集作業とは一線を画し、取材報道を萎縮させる事のないようにすることを、土台として考えたいと思います。
 今ある仕組み…例えば紙面モニターとの関係、紙面審議会の委員との関係はどうするかについては、まだきれいに整理できていません。しかし今回の反省をもとに、社会からどう見られているかという意識、いろんな視点、いろんな考えを常に想像しながら記事を発信していくことを考え、あらゆる既存制度の有効活用をしていきます。
 では、それでもなぜパブリックエディターが必要なのか…。今ある紙面モニターあるいは紙面審議会などの声に、これまで以上にしっかり耳を傾けるにはPEの存在が必要なのではないか、と考えております。戦略広報会議の事務局がスタッフとして問題点の調査に当たれば、より透明性も高まるとも考えております。

【国広】 いいのだが、今回の危機管理で間違えたのは、確かに読者目線の不足という整理もできるだろうが、「読者目線」というだけだと抽象的な感じがする。もっと具体的に、「外部からの攻撃に対する危機管理」と「自分たちが引き起こした問題(誤報など)の危機管理」の区別がついていないということなのではないか。「読者」というマジックワードが出てきて、できる限り読者のためといった抽象的な話になるが、「我々はどこをどう間違えた。だからどうする」ということが必要。私が思うに、「外からの攻撃」と「内なる問題」がごっちゃになっているところなので、そこをクリアに分けることが必要。

【江川】 質問だが、具体的でない部分がいくつもある。既存の組織との関係、人物像など。そこは曖昧なまま盛り込むつもりなのか。それとも、まだある機会の中で具体化する、そのための議論をここでするつもりなのか。

【チーム員】 人物像について、具体的な名前で語れるのは設置が固まってからです。そうでないと本人に打診もできませんので。非公式な場で「例えば」と名前を挙げることはできますが、内定を先にもらうのは難しいと考えています。既存の組織との関係については、社内調整ができていませんので、今の段階では表現できません。

【江川】 固有名詞を、というわけではなく、非常勤なのか常勤なのか、1人なのか複数なのか、そういうことも決まっていないと思うが、再生プランを出すときまでにここで議論するのか。それを曖昧にしたままPEという概念だけを盛り込めばいいのか。どこをゴールと考えているのか。

【チーム員】 1人/複数、常勤/非常勤のところは、できればゴールまで目指したい。場合によっては、いくつかのパターンをオプションとして描いていく形になると思います。

【江川】 紙面審議会との関係だが、全く別の組織としてPEを置くのか。関係をどう考えているのか。

【チーム員】 事務局の中で議論ができておらず、紙に落とせるレベルまでなっていません。ただ両方とも外部の有識者というのは同じなので、個人的には一体運用できればいいと思います。紙面審議委員の任期(2年)が切れるときに合わせて考えたい。

【西村】 紙面審議会は、出てきたもの、つまり紙面に対して、あらかじめテーマを決め、委員の方々からそれぞれの見識や経験を踏まえて紙面にさまざまなコメント、ご批判をいただき、我々がそれに答え、さらに議論を紙面づくりに役立てるものです。これを活性化する、開催の頻度を高めていくことは考えています。PEは、社外の様々な声を吸収して編集にぶつけていくイメージです。

【江川】 重なり合うところはあると思う。

【西村】 ありますが、紙面審議会の委員の方たちは、具体的な読者の声や社外からの訂正の要求など社外からの声を一元化的に集約したうえでそうした声をもとに議論されているわけではありません。委員の方々はあらかじめ決められたテーマに関する大量の記事コピーを読み込み、例えば前回ですとPRC見解報道とか、女性企画とか、多様な意見を取り入れる報道をしているかどうかといったテーマですが、それらに関して幅広いコメントをいただいています。

【古市】 形骸化している紙面オンブズパーソンと、今度のPEの違いは何か。そして紙面オンブズパーソンはなぜ形骸化したのか。朝日新聞のホームページには、仕組みとしては「社外の有識者による紙面審議会の意見を集約し、紙面づくりの現場に責任を持って伝える役割を担う紙面オンブズパーソンのポストを設立しました」と、2006年のお知らせにある。PEの説明と重なる部分が多いと思ったが、どう違うのか。

【司会】 紙面オンブズパーソン最大の問題は、そこで集まった意見についての使い方かもしれません。今は報告をメールで記者に流すというやり方をとっています。受け手の意識の問題もあって、流しっぱなしになっていたところがあります。もっと活用されればいいとも思います。運用モニタリングも必要だと思います。個人的なイメージですがPEは、できれば社外の方も招聘して、2~3人で回すような感じです。PEの方が紙面オンブズパーソンよりも編集局に対して独立性が高く、編集局にものが言いやすいと思います。

【志賀】 今回、最終的には朝日の社内決定になるが、お約束を何項目も考えている。これらは継続していくのがすごく重要。PDCAで改善するのはいいことだが、やはり形骸化しない、やってみたけどダメになる(続かない)ことがないようにするといい。参考までに言うと、90年代の日産に戻らないように、4つの仕組みを入れた。①ダイバーシティ、②日産ウェイ、「5つの心構え」と「5つの行動」、③CFT、④V-UPだ。この4つをしつこく、しつこくやっている。正直言って、形骸化しそうになることがある。そういうときはもう一回、社内で回す。なぜ形骸化するのかというと以前申した通り、企業は形状記憶合金みたいなところがあるから。時間がたつと徐々に徐々に当時の決意が風化して、また元に戻っていく。戻っている証明が、こういうときに考えたアイデアが形骸化していく状況だ。自分が9年間COOを勤めているうちは、この4つは絶対に変えないと決めていた。昔の、90年代の日産は、社長が代わるたびに新しい"何とか活動"が始まっていた。「またか」という感じだった。私は2000年以降、4つは絶対に変えないということで、しつこくしつこく、いろいろなPDCAを回しながらやってきた。少し軌道修正してみることはあったが、始める以上、のど元すぎればやめるだろうということは、初めから手を着けないようにした。例えば月に1回社長会見すると宣言しておいて2年目には止めちゃったとなると、「昔に戻ったぞ」と社内外に証明するようなものだ。外に向けての約束として発表するものについては、しつこく、頑としてやる。社長が代わってもやる。そういうことで文化はつくられて、体質改善を図る。もし風化しそうだと不安になることが約束の中にあるなら、今のうちに旗を下ろしておいた方がいい。

【国広】 「根底感」が感じられない。これらの約束には、3つの事件が起きなくたって、例えば新5カ年計画でがんばるぞ!みたいなときに出てきてもおかしくないようなモノが混ざっている。危機管理の失敗を含めての4つの問題が起きて、「だからこうなんだ」というつながりが見えにくいと思う。「みなさんの声に謙虚に耳に傾ける」って、今まで傾けてなかったの? これまで傾けてこなかったから傾ける、というようなつながりはない。「くらしと社会に役立つ新聞」なんて、3つの事件が起きようが起きまいが、いつでも新年号に出てきそうな話だ。「根底から意識を変える」と、言葉として「根底」があるが、一体何のこと?という感じがする。「皆さんのご意見」というとことでは、PEが出てくる。結局外の人に頼るわけね、みたいな印象だ。
 結局、真因で、自分たちは何がまずかったのからこうするんだという一本の太い根底感がなくて、なんかバラバラ言うとるな、という感じがする。しかも根底のトップバッターが大部屋かよ、と。これは冗談か?という感じがする。本気ではあると思うが、プレゼンテーションが下手なのか、あるいは根底的にどうしようという意識がないのか…。根底から見てこの約束というのはどうなのかなと思う。
 冒頭に「皆様のご指摘に速やかに…」とある。「読者の皆様…」、これはマジックワードだと思う。営業政策的にまず皆様/読者じゃなきゃ、という発想だと思うが、営業政策的に見ても、根底感がないままにいきなり「皆様、皆様」と言うのは、あまり得策ではないような気がする。

【江川】 根底感という点で言うと、例えば皆様との約束に関して、会社の体質と社員の意識を変えるということであれば、まず社長が約束した「間違った報道をしないように」「間違ったら訂正します」がトップに来るべきだと思う。そのときにもちろん、訂正報道も1つ項目を立てることが大事だ。先ほど言ったフェアネスの問題…私たちはフェアネスを大事にしますという、その具体策をいくつか立てないといけない。別に大部屋にしなかったから起きたという問題ではないと思う。もちろん意思疎通をしっかりするのは大事だと思うが、今回の失敗から学んで、私たちはこう変わっていきますというのが、より大切だ。確かにフェアではない記事があったと批判されているので、そういうところは直していくとか、訂正の仕方を直していくとか、世間の不信に対して応える形にならないといけない。
 それからPEの件は、やってみた結果グズグズになってしまうようだったら、最初からやらない方がいい。実効性があるということなら、紙面審議会との関係をどうするのか、どういう人を置くつもりなのかとか、どれくらいの負担がかかる仕事なのかなど、具体的なことをもう少し詰めていかないと、新しい名称のポストができて目新しいように見えているけど機能しないね、となりかねない。

【国広】 幹と枝がごちゃごちゃだ。今回3つ4つのことを起こした。まさにここで議論するのはワンワードで言うとどうなんだと。例えば「フェアではなかった」ならば、「我々はフェアでやります」というのがボーンとあって、だから「ストーリー仕立てをやめます」となる。「権力の監視をする → 権力に負けないためにフェアにやる」と出してもいいと思う。
 俺たちは権力監視というジャーナリズムの旗は下ろさんぞ、と。今、俺たちは自爆してつぶれそうになっている、だから生き残るためにフェアになる。そのためにはストーリー仕立てはやめる。しかし権力の監視は絶対にやる。でも俺たちは間違えるだろう。間違えたときはちゃんと謝罪する。自分たちだけでは独りよがりになるから外の目で、PE…と言う風にストーリーとか話の流れで幹ができる。枝葉で大部屋。大部屋がいきなり根底の一番にくるのは理解できないし、大丈夫かなと思う。

【古市】 書き方の問題だけど、何が起こったからこの約束をしますって、前半の部分が抜けている。そのうえ抽象的な約束が多い。これをそのまま発表すると、一番キャッチーな役員大部屋化だけが報道されて、結局それだけかよってバッシングされる気がする。すごくもったいないと思う。朝日新聞は一体何を起こしたのか、そして起こしたからこうしますって論理がないと抽象的なメッセージになる。このレジュメには抽象的な言葉が多い。「お客様の視点が欠けていた」とあるが、誰に対してどう欠けていたのか、説明が足らない。それと「調査報道」とあるが外部からしたら、調査報道は報道とどう違うのか、あらゆる報道は調査報道ではないのか、調査報道ではない報道があるのか、それはジャーナリズムとどう違うのか、よくわからない。「オールドメディアから抜け出す」も、約束ではなくただの願望だ。いろいろなことが混じり合っていて、結果的に抽象的な文句が並んでしまっている。すごくもったいないなと思う。

【司会】 これはまだ原案にも達していない、これまでの議論を再整理して並べただけのものです。もう一度整理して、社内調整も進めていきます。

【国広】 何故ここで「社内調整」なんて言葉が出てくるのか? 「自分たちがどうやっていくのか」という「幹」があって、そこから調整が始まるのであって、枝葉の社内調整から入っていくから幹が全然見えない。今回なぜ再生する、何のためにどうする、という太い幹が見えない。
 各論に入る前に「これこれの理由で、これをやる」っていうのは3つくらい。もっと細かい施策は具体的に。大部屋がダメだと言っているわけではなく、やっていいけど骨をわかりやすく出してほしい。我々がこの委員会として何が本質だと考えるのか、クリアにする。その本質のためにはこの骨が必要だ、という、つながりがいるような気がする。

【江川】 この真因論について事務局で議論したが、私たちの認識と朝日新聞社内の認識がずいぶんかけ離れている感じがしてならない。どこに問題があったのか真因についてもう一回外の目で見たらどうだったのか、整理してほしい。そこから幹の部分が出てくる。それをすっ飛ばして、とにかく時間に間に合わせなきゃいけないということで、形だけをつくろうようなことにならないよう、やっぱり真因…根っこの部分がどこにあるのかもう一度社内で議論して、幹を出してほしい。

【国広】 私が今日「自分は、これが真因だと思う」と出したのは、こういう議論が「この場で」「この委員会で」必要だからだ。「はい、国広さんの言うことはわかりました」で終わるんじゃなくて、議論して、「これが俺たちが考える真因だよね」と。真因は、具体的に1つの文書で証明できるものではない。でも、やっぱり明確に自己総括をして、自己認識すべきものだ。議論を徹底的にやらないままなので、事務局は困っている。委員が「俺たちはこれを真因と考える」ということを打ち出さないと、事務局に原案をつくれと言っても無理だ。

【江川】 社内委員の方は、それぞれ真因はどこにあったと考えているのか。私や国広さんは、真因はどこにあるとワーワー話している、事務局ともディスカッションしているが、肝心の社内委員の方がそれをどう受け止めているのか見えない。

【西村】 私なりの論はこれまでの委員会や社内の多くの集会で説明したりプレゼンしたりした点が基本です。たとえば、言っても無駄だと思ったデスクの話をある集会でしましたが、物を言えない空気がニューズルームの中にできていました。もともと朝日新聞のニューズルームはワイワイガヤガヤやりながら新聞をつくってきたという伝統があったにもかかわらず、風通しが悪くなり、物が言いにくく意見も言いにくくなくなっている、そういう空気が出てきたということです。朝日新聞に油断すると出てくるたこつぼ、縦割り文化が背景にあります。
 二つ目は過剰な論、キャンペーン意識先行です。原点に戻ろうと言ってきているのですが、事実のピックアップに際して不都合な事実に触れなかったり自分の立場とは違う「異論」「反論」を載せなくなったりしていたのではないか。オピニオン編集長当時からとにかく広い土俵をつくろうと言ってきたのですが、紙面全体的にだんだん度量の土俵が狭くなってきました。そこは具体的な紙面改革案を話し合っているところです。
 三つ目は、読者、ユーザー、世間とともにともに考えるという実践が欠けてきたのではないかということです。背景は二点目とも絡んでいることでしょう。

【飯田】 社内のうちにおける溝、その解消が必要だと思っています。これは就任の時に言ったが、侃々諤々の議論を戦わせ、ワイワイガヤガヤの雰囲気にあふれるボトムアップ型の会社にしたいのです。これは内における溝の解消のためです。
 あと、外とのズレの解消。これは、読者・社会とともに新聞をつくろうということです。社長が言っている車座集会の開催や、言論の広場機能、多様な意見を反映する開かれたメディアを目指すことが該当します、
 3つめは権力の監視役を果たすこと。宣言するなら、私はこの3つでいいのかなと思います。なぜ、のところを補強して、再生プランの中でくり返し唱えていくのがよいと思っています。

【藤井】 全体の問題をどうとらえるかという点で、権力=悪、大企業=悪、の図式に基づいて、思い込みで記事を書く、というところが強くあったのではないでしょうか。簡単に言えばそういうことだと思います。
 その次に、チェック機能はなぜ働かなかったのか。PRC見解にもありましたが、特報部に対して、周りが何も言えないような雰囲気になっていたようです。これは実は、編集部門以外のところは編集に対してそう思っています。ほかの部門が「こうしたほうがいいんじゃないですか」とか「お客様はこうおっしゃっていますよ」「クライアントはこういう風に書かれて非常に気分を害してらっしゃいますよ」と、編集に言っても伝わりません。これがタコつぼの一番の問題点です。おそらく言い方もよくないし、伝える組織も仕組みもできていないのが、大きな問題ではないかと。
 もうひとつ。慰安婦問題は社の言論の府としての使命感もあり、いろいろ言論するためには慰安婦問題も取り上げていかなければいけない。そのために今までの記事を訂正して、議論のスタート地点に立つための意識であの紙面をつくりました。そこにお客様が不在でした。読者が完全に不在でした。これを出したことによる影響についての判定も間違いでした。
 もう一点。外からの取材対応だけで毎週ものすごい数が来ますし、意見だけでもすごい量になります。それをどう差配して、整理して、上にエスカレーションするか、そして各部門にどう戻して機能させるかが、まったくのタコつぼになっています。それぞれの部門で意見を聞いてふむふむと言い、編集の事に対して他部門に来たものも、キャッチするまでが仕事になっていて、編集にパスしていません。今後、仕組みを作らなければいけません。
 また前回、2006年につくったものがなぜ形骸化したのかというと、形をつくった後のワークさせる方法をわかっていなかったということです。1年くらいはやるが、改善まで結びつけるような仕組みが弱いので、同じような間違いをやって、同じような組織をつくって、実は組織改革だけをやって何となくやった感を出してきました。それを変えなくてはいけません。意識を変えて、仕組みをつくって、ワークするまでプログラムをつくる。来年3月くらいまでかけて、私がやらないといけないと思っています。

【高田】 真因に絞って話します。国広さんがご指摘されたことは重く受け止めています。3つがたまたま重なったのではなくて、私たち自身の体質や空気…報道、経営、その他社全体の問題が根底にあったと考えています。私はずっと記者を続けてきましたが、自分自身では公正・正確な報道を心がけてきたつもりでした。それができておらず、使命感が過剰になって事実を見る目が曇り、これらを引き起こしたと思います。それを避けるための仕組みを、抽象的ではなく世の中にどう出していくか考えたい。

【後藤】 何が今回問題で、我々が何をすべきか、幹の部分は3つ。ファクト、フェアネス、寛容さだと思います。もう少し具体的に言うと、真実に対して謙虚でなかった、公平さに対して重きを置かなかった、多様な意見に対して寛容でなかったということです。真実、公平、寛容。これを自分たちで言うのはつらいし、99%きちんとやってきたと思うのですが、3つが重なってこういうことになりました。朝日新聞綱領に戻りますが、真実、公正、寛容というところが幹であって、これらをきちんとやりますと、改めて社員が自覚できるといい。

【国広】 結局、どういう成果物を出すのか?ということだ。根本の議論がないまま事務局に、「つくれつくれ。作業しろ」で、事務局がすごく苦しんでいて、見ちゃいられない。だから「私が考える真因論」を今日、たたき台として出した。広告みたいな「お約束」を出したら、朝日新聞だけでなく外部委員のレピュテーションも失墜だと。それは事務局のせいではなく、方向性を示さない社内委員のせいだ。本来、私たち外部委員はもっと中立的で離れていなければいけないのに、事務局と一緒に悩んでいる。社内委員が明確なインストラクションを出さないからだ。事務局の人と2時間も3時間も議論して、ものすごい時間かけて資料作りにアドバイスしている。あと1回や2回でどういう成果物にするのか。事務局の気持ちを代弁させてもらう。この場で議論しないで、「事務局、考えろ!」ではできない。
 吉田調書問題がある、慰安婦がある、池上さんコラムがある。そして危機管理の失敗がある。この委員会の建て付けとしては、2つの第三者委員会が出したものをふまえて真因を探り対策を立てるという建前になっている。結局、慰安婦待ちみたいなところになるが、本質論というのはだいたい想定できる。
 吉田調書については、PRC報告書がもう出ている。大事なのは真因論だ。今、構成で苦しんでいるのは、池上さんコラム問題、慰安婦問題。「ご意見拝聴」「外部の顔を立てる」ことばかり考えているから、朝日新聞として自己総括した「真因」も明確にならず、「幹」が定まらない。そこを再生委員会としてどういうインストラクションを事務局に与えるのか。そういうものがないと、"一事務局員"マインドの国広として、とても困っている。
 例えば一個一個の委員会の顔を立てるのではなく、全部ひっくるめて、PRCのも第三者委員会のも報告書を読んだが、それだけではないよ、我々はと。社員集会をした、若手の議論もした、全部やったところで我々は、真因をこう考える。だからこういう幹なんだ、というのを2、3ページで書いて、あとの枝葉はこうしますと。こうしないと読んでもらえない。現状、まったく成果物のイメージが湧かない。その議論をこの委員会でしないと、次回までに事務局案を出せと言っても出せないと思う。

【志賀】 そろそろ事務局案を抜けた方がいい。この前、日産リバイバルプランの話をした。9月中旬までにCFT提案を数百もらって、10月18日にリバイバルプランを発表したが、実はゴーンさんが1人で発表原稿をつくった。その1カ月間、私も関与していない。どんなものが発表されるか、当日まで知らなかった。
 結論じみたことを言って恐縮だが、1月9日の会見時は渡辺社長が1人で説明するのがよい。前回の社長会見時も、産経新聞には「社外頼り」「新味のない」「反省のない」などと書かれていた。そういう人たちは、「渡辺社長がそこまで言うんだから、お手並みを拝見しようか」と言うのがいいところだろうと私は思う。誰も拍手しないだろうと思う。
 先週西部本社に行った際、販売局のさんという女性が自分の意見を言ったときに泣き出して、「私は朝日新聞が大好きで、朝日新聞にはこんないいところがいっぱいあって、そういう新聞を1人でも多くの人に読んでほしいと思って、朝日の販売に入った」と。担当するエリアの数万人の読者のうち千人超が購読をやめてしまったので、やめたお客さんをASAの人と1軒ずつ訪ねて「朝日新聞はこう変わります」と言っていると。その中で「わかった、そこまで言うならとってあげる」と言って取り直してくれるのは、百軒回って1人しかいない、1%だという話を泣きながらしてくれた。9日の会見以降、彼女がまたお客さんを回ったときに、「おたくの社長がそこまで言うなら、新聞とらないと再生したかどうかわからないから取ってあげるよ。じっくり読んであげるよ」というような反響をもらえる会見にしなければダメだと思う。
 ここからは事務局ではなく、渡辺社長自身が1月9日の会見を目指して、今まで議論があった中で「私はこうする」ということをどう言うかだ。事務局の皆さんが悩むよりも、社長になられる前から渡辺さん自身がここで議論を聞いているのだから…。
 販売の女性が泣きながら言ってくれたこと、読者がもう一回戻ってくることも1つのKPIだ。何をもって再生とするのかは自分たちで考えることだが、それはすごくインパクトある。おそらく9日の会見以降に彼女がやめた読者を回ったときに「本当に再生になるの?」と言われたら終わりだ。この後は事務局ではなく、社長自身の考えだと思う。頑張ってください。

【渡辺】 もっと原因、真因は何なのかを掘り下げないといけません。それから危機管理を含めて、もう二度と一連の問題が起こらないようにするために、原因と対策がリンクするのは当たり前のことです。事務局は一生懸命やってくれているので、もちろん尊重しようと思います。ですが事務局案の中にもずれている部分があります。何のためにやるのか見えないところもあります。ここは私も、ほかの委員も、もう一度しっかり議論して、少なくとも失敗したことは二度と起こさない仕組みをつくらなければいけません。
 やるべきことは、社内調整をせずにやらなきゃいけないと思います。訂正報道は変えますと言っているわけですから、わかりやすい形でメッセージ出して変えていかなきゃいけませんし、スタートする全容をまず見せなければいけないと思っています。それは調整してやることではなく、私たちの意思でやるものです。
 少なくともこれだけはやるというところが、もっとクリアな形で見せられないといけないと思っています。ズレてないものをつくっていかなければいけませんので、そこは注意します。それほど時間あるわけではないが、まだあります。しっかりやっていきたいと思います。

【江川】 渡辺さんが優先順位を示して、それをどうやって具体化していくのか検討するのがよいのでは。これだけ私たちもワイワイ言ったので、それを聞いた上でどう思ったのか、どういうことをやりたいのか、優先順位の高いものを事務局に示してくださいということだ。リーダーシップを取って、もちろんいろんな人たちの話を聞きながら、これをつくったと。自分がつくったからには断固としてやっていくと、外に示せると思う。

【国広】 渡辺さんが委員であるから、ないからではなく、社長なんだから、再生させるのは社長の責務だということで、自分としてはこれが真因だと思うと、決断というか判断して、だからこうするという骨を出す。真因の認定と骨は、これまで十分に議論してきた。あとは社長の「ご聖断」の問題だ。そのご聖断に基づいた幹であれば、自分の言葉で自信を持って語れるから、想定Q&Aなどいらない。そういう言葉なら社員にも社会にも通じるし、結果として、営業的にも効果があるだろう。小手先でいくらやってもダメだ。
 原因はこうだ、だからこうするんだと。もちろん議論を社内で尽くした上で、委員会よりも上にある、社長という立場で決断する。大きな方針があれば、それにしたがって10ページくらいのクリアな文章をつくることなど事務局でできると思う。骨があれば、車座やります、大部屋やりますというのは、あったって悪くない。主従というか枝葉の問題だ。

【高田】 渡辺社長を中心に事務局任せではなく、どういう成果物を出すのか、私たち委員自身がしっかり考えます。恥ずかしくないもの、朝日新聞が本当に変わるということをきっちり訴えられるような成果物が出せるかが、勝負だと思います。第三者委員会を受けた上でアウトプットできるのが、発表直前になるかもしれません。もちろん、まとまったら皆さんにお示ししてきちんとご説明したいとは思いますが,もう少し時間がかかると思います。本当に腑に落ちるものをつくりたいので、努力いたします。

【国広】 いろいろガミガミ申し上げて、本当に悪いなと思うけれども、あまりあちこちに顔を立てなくてもいい。PRCも、「真因と対策は自分で考えろ」と言っている。第三者委員会の報告書で指摘されるだろう問題点だって想定できているはずだ。私は「池上コラム不掲載に木村社長が積極的役割を果たした」という認定がされる可能性があると考えているが、それだって想定の範囲内のはずだ。それ以外の点だって、第三者委員会で指摘されて初めて気付くというのでは、何のためにみなさん幹部が社員集会で社員と議論し、ここで議論しているかわからない。もちろん危機管理的には第三者委員会が何を書くかはわからず、想定してないことが書かれる可能性もあるから、それにどう対応するのかという部分があるが、再生策は"それ待ち"という話ではない。あくまで自分で考え、第三者委員会でさらなる指摘があればそれを受け入れる。ただ待っているだけではだめだ。もうつくってもよいと思う。そこでさらに調整しなきゃいけない部分が出てくれば調整すればいい。第三者委員会の結論を見ないと幹・骨格が出せません、という話ではないと思う。

【渡辺】 私たちもそう思っています。再生チームがやってきてくれましたし、議論してきましたので、もう骨格はつくっていけると思います。最後に、第三者委員会から報告書が出てきた後に調整が必要ですが、大きくずれていることはないと思いますので、そこはできると思っています。

【国広】 最終は1月9日だけど、年内に経過報告なのか中間報告なのかは出すわけだから、ギリギリではなく、骨というのは、膨大な報告書みたいなものではないので、早くつくった方がいい。その作業はどんどん進めていった方がいいと思う。

【国広】 成果物について事務局で考えていたのは、吉田調書や認定された事実の要約で、それぞれ10ページとかつくって、どうすると書くのかと…。もうそれら全部をひっくるめて俺たちはこう思うと真因と書くのか、形も決めないといけない。この委員会として出す成果物として。例えば、仮に、要旨をまとめるとかPRCはこう言ったとか第三者委員会はこう言ったとか、そんなものはナシにして、2つの委員会の報告書を全部読んで、社員集会をやって、俺たちは徹底的に議論して、これが真因だと思うと。だからこうする!というので、いいような気がする。そこの腹決めをしてもらわないことには、先に進められない。

【西村】 一つひとつを逐条的に解説するより、3つの問題をつなぐのは何かと議論してきました。大きなところが必要だと思っています。

【渡辺】 再生委員会のプランは、3つの問題に対応すればよいわけではありません。もちろんそれは最低限できていなければいけませんが、3つの事案によって朝日新聞が抱え込んでいた問題が一気に噴出したと考えざるを得ないわけです。だとすれば、それによってどう変わるのかは、一つずつに対応していくのではなくて、トータルとして朝日新聞の企業体質、新聞記者の考え方、読者をどう見るのか、コアとそうじゃない人をどう見るのか、コアじゃない人とどう切り結んでいくのかなどを、再生案の中に入れていかないといけません。一つひとつ対応させなければいけないことではないと思っています。

【国広】 ちょっと弁護士的な言い方で恐縮だが、第三者委員会とかPRCは、外部委員会が事実調査をして、それを社長に提出して、会社がどう受け止めるかということだ。信頼回復再生委員会は外部委員と社内委員の混合委員会だが、「再生委員会の議論を踏まえて社長が再生策を出した」となるのか、それとも「再生委が再生策を作り社長に提出する」となるのか。成果物の名義人が委員会なのか社長なのか。再生策に社長名が入るということなら、社長が自らの意思によってつくったというところが必要だと思う。

【高田】 それは社長がつくります。

【国広】 そうであれば、「再生策をつくったのは委員会で、それを社長に渡した」ではなく、「委員会の審議を経て朝日新聞社がつくった」ということになる。それでよいか。

【高田】 そうです。朝日新聞社です。責任者は渡辺です。

 以上