どくしょ応援団

本を読もう。何を読もう? 迷ったら「どくしょ応援団」へ。親子で、ひとりで、夢中になれる本との出会いがここに!

第2回どくしょ甲子園Let's 読書会、高校生!!受賞作発表!!

【優秀賞】

◆市川高(千葉県)・長谷部チーム 長谷部光さん、倉田公輝さん、久慈公毅さん、村上功一さん

■とりあげた本 三木卓著「鶸」

※クリックすると拡大されます。

〈ルポ 読書会〉

行き着いたのは支配する快感

 議論は、「いかがわしい話ではないのに、読んでいて人目を窺ってしまうよね」という話から始まった。「読書会でなく一人で読みたかった」と久慈。その理由探しが読書会のテーマとなった。

 まずは、それぞれの印象に残ったシーンをあげていった。

 「いくらか、いくらか、と異国の商人達に囲まれるシーンが焼き付いて離れない」と久慈。「怖すぎて夢にでてきそう」と村上。

 「レインコートを破くシーンが強烈だった」と長谷部。くだんのシーンは、全員の印象に残っていた。

 少年はなぜレインコートを破きたくなるのかという話になる。「かさぶたをはがしたくなるのと一緒で理由はわからない」と村上。レインコートのシーンについて、それぞれ思うところはあったが、なかなかうまく言葉にできない時間が続いた。「なんか、うわぁー、って感じ」と久慈。どうしてはがしたくなるのか。少年はなぜコートを破いたのか、私達はどうしてこのシーンに拘ってしまうのか。

 議論が煮詰まったあたりで、登場人物の関係図を書いた。少年をとりまく矢印を眺め「すべてが支配、被支配で表せるよね」と倉田。軍人から、土地商人から、兄からの支配。少年は保護ではなく、様々な物から支配されていた。少女のレインコートを破くシーンでは、少年が支配する側にまわる。ラストシーンでは所有物である鶸を少年が支配する。

 その後は、支配と被支配という関係に注目し議論が進んだ。「兄と弟の関係から支配者被支配者へと変わる瞬間も、衝撃的だった。」と長谷部。そこから続く、鶸を握りつぶすシーンでも、レインコートを破く時とよく似た、言葉にできない「うわぁー」が背中を走る気がする、というのは全会一致だった。

 物語を通しての痛々しさは「自分のことだったらいやだけど、見ているのは好き」と久慈。私達は「高みの見物」をしていると実感していった。「支配したくて出来ないものがあったり、大切な物を留めておくために壊したくなる気持ちはわかる。」と長谷部。「大人になれるだろうか、っていう不安は支配者になれるのか、って不安なのかな」と村上。しかし、気持ちは理解できても、物語の中と私達では環境が絶対的に違うのだ。恵まれた環境から、私達にとってリアルにはなり得ない環境で展開される物語を見ていた。またも、それぞれ言葉を探す時間が続いた。

 そして、「支配するって快感だよな」と倉田。

 場にいた全員が、言葉を見つけた気がした。快感という言葉を反芻する。レインコートを破く、鶸を握り潰す。私達の背中を走った「うわぁー」は快感だったのだ。

 最後の数ページ、狂気が渦巻いていくようなテンポの文章が続く。「自分はどうとか考えるといやだけど、やっぱり段々狂っていく歯車の、少しアンダーグラウンドな感じが好き」と長谷部。

 少しアンダーグラウンドなものを高見の見物しているという感覚と、一般的に「悲劇」といわれる状態のものを読みながらも体に鋭くうったえる快感が、「ひとりで読みたかった」という背徳感につながっているのではないか。

 「ひとりで読みたいわけだよね」と村上。私達は、3時間の議論を通して、理由をみつけることができた。


違和感を大切に読み解く

 きっかけは現代文の授業だった。敗戦直後の旧満州に取り残された日本人たちの過酷な状況を少年の目で描いた「鶸」。その一部分を引いた過去の大学入試問題が出た。「読んで、不思議な違和感があった」。だが、解答の選択肢が、その感じとそぐわない。「どれも違う気がした」

 そんな思いを抱いた4人が集まった時、取り上げる本は決まっていた。作品の全文を読んで、出題された部分の流れがようやく腑に落ちた。作者について調べ、小説が実体験をベースに書かれたことを知った。そして描かれた世界と自分たちとの距離の遠さに戸惑った。

 議論は堂々巡りの泥沼にはまった。本の魅力を紹介する文章を作ってみたが、「こんなんじゃ、何も伝わらない」。何度も破り捨てた。

 展望が開けたのは、「最初の違和感に戻ろう」と思い定めてから。「こんな過酷な体験は共有できないのだから、自分たちの感覚を手がかりに分け入っていくしかない」

 議論がかみ合い、言葉が次々に生まれた。1週間かけた読書会の最後の一日。どくしょボードは一気にできあがった。


【優秀賞】

◆福井県立科学技術高・佐々木チーム 佐々木ひかるさん、山本美波さん、黒川幸子さん

■とりあげた本 NHK沖縄放送局編「沖縄戦の絵」

※クリックすると拡大されます。

〈ルポ 読書会〉

絶望が一転して前向きの力に

 「うちら、おじさんの話、もっかい、聞きたい!」

 自分達の間違いに気づくと一層その気持ちが募りました。

 私達は昨年、沖縄へ修学旅行に行った時の経験をいかし、読書会で積極的な話し合いをしようと思いました。しかし実際には、恐怖が走りすぎて話し合いにならず、読書会後には本を持つ事も戦争について話す事もできなくなってしまいました。

 そして夏休みに入り学校祭の準備をしながら黒川が福島へ行った時の話をし始めると、祖父母から聞いた福井空襲や福井震災の話、実際に経験した豪雨や豪雪、さらに原発の話などが止まらなくなりました。私達は「やっぱ、せな、あかん」と、再び集まることにしました。

 1か月半たっていても、絵を思い出すだけで恐怖が蘇ります。絵には大切な人を奪われた悔しさや、命が簡単に奪われる悲しみがこめられているからだと思いました。そして他の沖縄戦の本を見ていると、絵は写真で見ることのないような衝撃的な場面が多くあります。

 それは戦争を経験した人の心の中には、私達が目にした事の無いような恐怖がたくさんつまっているということになります。それが60年たった今でも生々しく描かれることに、恐怖や怒りの深さを感じずにはいられません。戦争は過去の事だと思っていた私達は、戦争の苦しみが今も続いていることに深い悲しみを感じました。

 私達は戦争について話す責任の重さを感じました。また今年相次いでいる災害を思うと、平和についても口にできなくなりました。再び沈黙が続くと、誰かが「もう一度修学旅行をやり直して語り部のおじさんの話を聞きたい」と言い出しました。今ならおじさんの話をもっと深く理解できるし、雑談をしていた人がいて聞こえにくかったところもあったからです。すると山本から「雑談をしていた人に注意できなかった私達も悪いよな。」と言われ、おじさんに謝りたい気持ちで一杯になりました。

 沖縄へ修学旅行に行っただけで沖縄戦についてわかったつもりになっていただけでなく、自分達の甘さがおじさんの「もやもや」を募らせる原因になっていたことに愕然としました。しかし皮肉にも、私達は読書会初日から「戦争にあった方の気持ちを考えよう」というテーマでずっと話し合ってきて、はじめて「寄り添えた」気がしたのです。

 すると、今まで使ってきた言葉が全て表面的なものに思え、おじさんや絵を描いた人の「もやもや」が本当に軽くなるためにどうしたらいいのかを考えました。そして読書ボードはおじさんとの出会いを大切にしたものにしようと決めると、それまでの恐怖感や絶望感がボードを作るエネルギーに変わるようでした。

 この3か月間、私達は、学校祭、就職試験や入学試験、そして沖縄の事、戦争の事でぐちゃぐちゃになってばかりで、行き詰まる度に本を変えようとした事もありました。

 「でもな、おじさん。おじさんのこと考えたら、うちら、逃げ出さんかったよ。」


修学旅行での忘れ得ぬ出会い

 この夏、勧められて、沖縄戦の絵を集めたこの記録集を読み始めた。あまりの重さに言葉が出ない。「この人たちは、絵を描いたことで心の整理ができたんだろうか」。思うだけで涙が出る。悩んでひと月、昨年の沖縄修学旅行の時、戦争史跡の洞窟で話をしてくれた語り部のおじさんを、ふと思い出した。

 爆撃機だけが細部まで描かれた絵。「うまくない絵の方がかえって、一生懸命な気持ちが伝わってきました」。おじさんに手紙を書く気持ちで、ちゃんと本に向き合おう。そう思ったら、ようやく言葉が出てきた。

 どくしょボードに描く絵は、つらい記憶を呼び起こすだけのものにしたくない。憎しみや恐怖を表す暗い赤から、平和や未来を示す青へのグラデーション。中央の岩には、平安な光景を眺めるおじさんの顔を潜ませた。

 3人とも、女子が大半のテキスタイルデザイン科。読書会を通して、何時間話しても飽きない「超友人」になった。