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朝日新聞社 どくしょ甲子園 読書会を開いて、仲間と一緒に本を読み、みんなで語り合おう!その成果を1枚の作品「どくしょボード」で表現する高校生のコンクールです。

どくしょ甲子園 伝える深まる、本の世界 - let's 読書会、高校生!

第3回どくしょ甲子園 受賞作品

受賞作一覧 ※クリックすると作品をご覧いただけます

【最 優 秀 賞】   滋賀県立膳所高 城山チーム アゴタ・クリストフ『悪童日記』
【優 秀 賞】   福井県立科学技術高 山崎チーム
          毎日小学生新聞編+森達也『「僕のお父さんは東電の社員です」』
          菊川憲司訳『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた』 
          山口県立厚狭高 柴川チーム 深沢七郎『楢山節考』
【奨 励 賞】   北海道旭川東高 堀下チーム 井伏鱒二『山椒魚』
          栃木県立大田原高 岩本チーム 大江健三郎『飼育』
          山口県立青嶺高 野原チーム 大江健三郎『「自分の木」の下で』

■ 3校に学校賞

学校賞は、応募点数、作品のできばえ、取り上げた本の多様さなどを基に、主催者で選考しました。今回は次の3校に贈ります。
【学 校 賞】   福島県立安積黎明高 広島大学付属高 相模女子大学高等部

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奨励賞: 北海道旭川東高 堀下チーム
堀下翔さん、桧森匠吾さん、山下祥生さん、高桑佑佳さん

 取り上げた本: 井伏鱒二 『山椒魚』

    ▼ どくしょボード 第3回どくしょ甲子園: 奨励賞: 北海道旭川東高 堀下チームの作品


▼ ルポ 読書会
答えのない本に体で挑戦

奨励賞: 北海道旭川東高 堀下チーム

 答えのない本を読みたい、との思いで選んだのが井伏鱒二の『山椒魚』だった。読書会は、その遠くに隠れている答えを自分たちなりに考えてみることを目標にした。

 文庫本で10ページほどしかない『山椒魚』だが、そこに書きつけられた物語は、易しいようでいてしかしそんなことはなかった。

 「彼は全身の力を込めて岩屋の出口に突進した」……山椒魚の意図は何だろう?

 「全く蝦くらい濁った水のなかでよく笑う生物はいないのである」……なぜ蝦は笑うのだろう?

 「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」……なぜ蛙は山椒魚にこう言ったのだろう?

 わからないことが多すぎた。私たちは、それらを一個ずつ談じ合うことにした。

 「山椒魚が急に動き出した理由が分からない」と言い出したのは山下だった。

 「馬鹿にして……なのかな。よし、なってみるか」

 そう言って檜森はその場に横たわった。

 「山椒魚になってみた。ほら蝦やって」

 堀下は足元へ寄る。檜森は、「あー小蝦だ。来てる来てる。俺のことを岩だと思ってるのかな。ちがうのか、物思いに耽ってるんだな。馬鹿だなあ」

 芝居を終えて檜森は「わかった。これは蝦が来たことが引き金になって考えがまとまったんだ」と言った。

 複雑なことではなかったが、頭で考えるだけでは思い至らなかった。演じるという行為には「吹っ切れ」がある。気心の知れたメンバーと言えども、話すだけでは単調だ。しかしなりきってみることで場に可笑しみが生まれる。可笑しみは議論の停滞を消し飛ばし、発見をもたらしてくれる。

 私たちはそれから、蝦になりきり、蛙になりきり、再び山椒魚になりきり、井伏鱒二になりきり、『山椒魚』を初めて読む読者になりきった。

 純真さと突き抜けを持った「なりきり」は、私たちに、私たちなりの「答え」を示唆してくれた。色々な役に「なりきる」ことはつまり、いろいろな視点になってみるということに他ならなかった。

 最後に『山椒魚』が好きな読者と嫌いな読者になりきった。話を進めるにつれて全員が、この物語に対して自分の 気持ちを定められなくなってきたのだった。「しいて言えば」という認識のもと、高桑、堀下が「好き」と言い、檜森と山下が「嫌い」になった。

 嫌い側は山椒魚を極限状態にすることでその醜い本性を引きずりだして、被害者である筈の山椒魚を悪者にしているといった。それに対し好き側は山椒魚が悲劇的な境遇をただ受け入れるのではなく考えて、あがいて、生きているといった。

 議論を重ねた結果、どんな状況にあっても生きている限り生命は続くという当たり前だが普段はあまり考えないことがメッセージなのではないかとの結論に達した。

 ひとつの文章についてこんなに考えたのは、またこんなに語り合ったのは全員初めてのことだったので少しギクシャクした部分もあった。だがこの新しい読書の方法はとても楽しく、充実した時間だった。語り尽くしたことへの爽快感は今でも残っている。


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▼ チームの横顔

役になりきり感じた

 「山椒魚(さんしょううお)の気持ちになってみよう」。桧森君がいきなり長いすの上に長くなった。すかさず堀下君が蝦(えび)の動きを試す。岩穴の窮屈さが実感できた。短くて謎のある物語を読もう、と始めた読書会。最大の謎は、「結局、作者は何が言いたいんだろう」だった。議論を重ね、いろんな役になりきってみても、謎がすっきり解けたわけではない。だが、みんなでわいわい読む楽しさ、爽快感を発見した。

 

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奨励賞: 栃木県立大田原高・岩本チーム 
岩本真さん、北条和希さん、永塚大介さん、山岸優人さん、吉田充希さん、桜井篤史さん

 取り上げた本:大江健三郎 『飼育』

    ▼ どくしょボード 第3回どくしょ甲子園:奨励賞: 栃木県立大田原高・岩本チーム の作品


▼ ルポ 読書会
延長戦で散らした火花

奨励賞: 栃木県立大田原高・岩本チーム

 初夏。読書会が行われた。課題は大江健三郎の『飼育』。重々しい物語に多くの生徒が打ちのめされ、読書会は延長戦へともつれ込んだ。校舎が施錠されてもまだ議論は続く。書記の死。弟の存在。主人公の変化。黒人との立場の逆転。どのテーマも十二分に難解で謎は謎のまま幕を閉じた。

 このままごちゃごちゃした得体のしれない小説として終わらせるのか。否。底が見えぬとも、自分達にはきっと何かの答えが出る。それぞれの思いを胸に長い夏が始まった。

 まず、それぞれに解釈を考えた。宿題をだしてそれぞれに持ち寄る。それはかなり個性的で一様ではなかった。現代における閉塞感、必要な死、等々解釈もまた難解である。

 人間を飼う。その狂気あふれる事象が一つの壁を作る。近寄りがたい。その排しがたい先入観を乗り越える。それが最初の試練だった。

 そして一つの着地点を見出す。

 大人ってなんだろうか?自分もいつかなるオトナというもの。物語の終わりに「僕」は、大人に恐怖する。

 深く考えることは無かった命題。でも、考えないまま惰性で大人になったらいけない。そんな啓示が初夏の風に乗って司書室を吹き抜けた。

 「大人って、諦観を持ってるよね。」「大人は無関心で、」

 多様な意見が飛び出した。そして最後に、一つのポイントにたどり着いた。大人は理不尽な存在だ。投げやりなようで、なによりも真実。前提に置くべき真実を見つめる。

 再びそれぞれが考えをまとめる。仕切り直しだ。

 集まったものもやはり個性的で難解だった。

 「人間の原始的な部分にふれる不快感。」「残酷で利己的な人間の本質。」

 「主客逆転。」「非現実的な終わらない日常。」

 ときに自らに帰着させた意見。そのぶつかり合いは熱い火花を散らした。

 物語はポジティブだけではない。時に悲劇的で、残酷で、報われない。『飼育』はまさにそうだ。その衝撃に僕たちは戸惑う。でも逃げてはいけない。どんなにつらくても立ち向かわなきゃいけない。

 戦争の悲劇を越えたあの時代の不条理を描いた『飼育』。大きな転換期を迎える高校生、乃ち現代を生きるマージナルマンにもそれは深く響く。

 結論を焦りすぎないように、たびたび話を蒸し返す。彼は子供でもなく大人でもない。その奇妙さを表すために、コマ割に絵を入れた。けして綺麗ではないけれどしっくりとくるものが出来上がった。

 「奇をてらってんなー」完成したものを見て一人が呟いた。

 秋の風が吹いて、また一歩大人へと近づいたことを私は強く実感した。

 秋。それぞれがそれぞれなりの何かをつかんでそれぞれの道へ既に歩き出していた。青春の一幕にこの『飼育』があったということ。その意味は真に大人になってしまったときに気付くのだと、誰もいない図書室で役目を終えた扇風機に向かって呟いた。


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▼ チームの横顔

生々しさにたじろぐ

 黒人兵を捕らえて「飼う」。日常とかけ離れた話なのに、目に浮かぶように生々しく、臭うような不快感にたじろいだ。主人公の少年は、あることを機に子ども時代の終わりを意識する。年齢は違っても、大人に対する理不尽な思いは、子どもでも大人でもない自分たちには理解できる。5人が受験生。補習の後や昼休みに集まっては話し合い、大江作品ファンのメンバーが絵を描いた。


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奨励賞: 山口県立青嶺(せいりょう)高 野原チーム 
野原啓佑さん、長谷知起さん、中嶋志穂さん

 取り上げた本:大江健三郎 『「自分の木」の下で』

    ▼ どくしょボード 第3回どくしょ甲子園優秀賞: 奨励賞: 山口県立青嶺高 野原チームの作品


▼ ルポ 読書会
考え込み、意見ぶつけた

奨励賞: 山口県立青嶺高 野原チーム

 何度も読み、それぞれが深く考え込んだ後、一人ひとりが思ったことをぶつけ合った。

 やはり活発な意見が出たのは、「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」の章であった。好きなことに打ち込むために学校へ行くという者。将来のため、あるいは、自分に足りないものがあるからという者もあった。筆者は、国語だけでなく、理科も算数も体操も音楽に至るまで、自分をしっかり理解し、他の人たちとつながってゆくための言葉だという。そのことを習うために、いつの世の中でも、子供は学校へ行くのだ、と述べていることに対し、皆新鮮な驚きを覚えた。私達には、学校に行くことの意味をそれほどまでに深く捉えることはできなかったからである。

 「どんな人になりたかったか?」の章では、それぞれが、なりたい職業や人物を述べた。そして、幼い子供の頃になりたいと思っていた職業や人物と、高校生の今では、すでに変わっている者がほとんどだった。正直なところ、人間として、その内面に魅かれて、ああいう人になりたいといった人物を挙げることは誰もできなかった。筆者が挙げた二人の人物は、対照的な職業、人物だが、ともに内面が美しい人という点で一致しているとの意見が出た。私たちはもっと、内面から人を見て、どんな人になりたいかを考える必要があるということで意見が一致した。

 「うわさ」への抵抗力の章では、今や、インターネットなどによって、さまざまな「うわさ」が飛び交う時代なので、一人ひとりが「うわさ」に抵抗し、感染力を弱めることが大切だということで、皆の意見が一致した。

 意見が割れ、筆者の考えに同意する者としない者とに分かれたのが、「取り返しのつかないことは(子供には)ない」についての所である。子供もいや大人でも、もう駄目だと思うことはあるはずだという意見と、いや、駄目だと思うから駄目になるだけで、未来という時間のある子供なら、絶対に取り返せるはずだという意見に分かれた。そして、この章はそのまま次の章の「ある時間、待ってみてください」と結びつけて考えることになった。

 「ある時間」とは、考える時間、人間的に成長する時間ということは理解できた。筆者は、この時間を、数式に括弧をつけて後から解くことになぞらえている。これは、今だから理解できないことも、待ってみることで解決できるということだと捉えることができた。

 この本は難しいが、同時に、これからの人生経験でより深い読み方ができる本だと感じた。高校生という時期に、この本に出会えてよかったと思える読書会となった。


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▼ チームの横顔

人生の羅針盤と確信

 「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」「取り返しのつかないことは(子供には)ない」。偉大な作家が、愛情を込めて、遠慮がちに、自分はこう思うのだ、と語りかけている。メンバー3人は、学年も、部活も違う「図書室の住人」だ。意見や感想もばらばらだったが、どくしょボードで、思いを一つにすることができた。生涯を通じて、人生の羅針盤になる本だ、と確信している。


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【どくしょ甲子園 過去の受賞作品】

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【→ 読書会へのアドバイス】

【→ どくしょボードのつくりかた】

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