どくしょ応援団

本を読もう。何を読もう? 迷ったら「どくしょ応援団」へ。親子で、ひとりで、夢中になれる本との出会いがここに!

第4回どくしょ甲子園Let's 読書会、高校生!!受賞作発表!!

【優秀賞】

◆東京成徳大学高校 味田チーム 味田将裕さん、熊谷勇斗さん(以上2年)、藤岡真衣さん(1年)

■とりあげた本 村上春樹『海辺のカフカ』(新潮文庫)

〈ルポ 読書会〉

『海辺のカフカ』 裏表紙の表現ヒント

 私たち文芸部は、村上春樹の作品をぜひ読み込んでみたいという希望から「海辺のカフカ」を選んだ。

 読書会では、この作品を読み、気になった箇所についての議論や、テーマの決定を行った。しかし、突然の場面の変化や、重い内容に、読書会は難航する。特に、テーマについては、メッセージらしき箇所も、メーンとなるであろう箇所もなかなか発見できず、困難を極めた。部活動の日以外も自主的にミニ読書会を行い、気になった表現、動作について議論した。そして、私たちはある表現に着目した。それは、「入り口」である。この表現は上下巻両方によく見られたもので、作品には「世界と世界が結び合わされるはずの場所」とあるが、これら二つの「世界」というものが一体どういうものなのかが話題になった。「あるべき世界」と「向こう側の世界」。「あるべき」は現実であることは分かるが、「向こう側」は何か。文中の「死の世界」とするような表記に対し、私たちには別の見解があった。「向こう側」は本当の「居場所」あるいは現実世界からの「逃げ場」のいずれかなのではないか、というものだ。だが一方で、彼らは「居場所」に向かって「逃げる」のだから、「居場所」=「逃げ場」なのではないか、という意見も挙がり、意見の衝突は続く。結局、これは保留となり、いったんスタートに戻った。次に着目したのが、主人公カフカの「成長」だった。上巻の序章の「世界一タフな十五歳になる」が、下巻の最後では「世界一タフな十五歳になった」となっており、カフカが成長したかのように描かれている。しかし、カフカの成長がよく現れている箇所はなかなか見つからず、これをテーマとするのは難しかった。その後、一番最後に出てきた「目が覚めたとき、君は新しい世界の一部になっている」という表現を目にしたとき、「新しい世界」が、カフカにとっての新たな、そして本当の「居場所」であるとすると、カフカはまだ成長途上段階であり、自分が成長できる真の場所を発見したにすぎない。つまり、この時点で描かれているのは「成長」というより「発見」ではないか、という解釈に行き着き、最終的にテーマは「カフカが導かれたのは単なる『逃げ場』なのか、本当の『居場所』なのか」という、最初に挙がった意見を反映したものに決まり、キャッチコピーもほぼ同時に決まった。

 どくしょボードでは、「この世界」とカフカをとりまく「暴力」、「この世界」の向こう側にある「別の世界」、「逃げ場」と「居場所」の違い、カフカが最終的に得た物の四つを表現したいと考えた。

 難しい作品を初めて読み込み、行き詰まりながら、また意見をぶつけ合いながら、私たちは次のようなことを考えた。「人間は安定や幸せを求めているにもかかわらず、求めていることへの難しさに耐えきれず、『逃げ場』へ行ってしまう。しかし、手にすることが難しいからこそ、『幸せ(居場所)』には価値がある。」

〈チームの横顔〉

 家出をした15歳の少年カフカが主人公の長編小説に、文芸部3人が挑んだ。

 しかし、突然の場面転換、戦争・虐待・差別といった重い内容に圧倒され読書会は難航する。

 議論の突破口になったのは「世界と世界が結びあわされるはずの場所」という裏表紙の表現だった。「そもそも、ここでいう二つの世界とは、一体、どういうものなんだろうか?」。

 物語を離れて、自分たちの現実から、考えてみた。たどりついたのは一つが「現実」で、もう一つが「逃げ場」もしくは「居場所」ではないか、ということ。

 高校生活は、楽しいことだけじゃない。部活に勉強に、それぞれ悩みがある。嫌なことから逃げたくて、ベッドの上で転がり、スマホをいじってみる。それって「現実」と「逃げ場」を行き来しているってことかもしれない。ならば「逃げ場」は、肯定されるべき「居場所」の一つなんじゃないか――。主人公カフカの姿が、自分たちに重なった。


【優秀賞】

◆福井県立科学技術高校 楠チーム 楠拓海さん、田安仁さん、津村真治さん

■とりあげた本 アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』(早川書房)

〈ルポ 読書会〉

二つの結末、熟す議論

 「悪のはびこる社会に育ったアレックス(Aと表記)は元から腐ったオレンジで、Aの悪は治る」(津村・楠)

 「悪に快楽を求めるAも、元は純粋で、熟したオレンジにはなれない」(田安)

 この矛盾は「くさくてよごれたオレンジ」 … 一度腐ったオレンジは元に戻るのか 「若さは過ぎ去るべきものだ」 … 若さ故の過ちは反省しなくていいのか 「かわいいアレックスを思い出す」 … 単なる皮肉か、過去の自分と決別したのか などの解釈の違いから生まれていると思った。

 この悲劇は、『ビブリア古書堂』を読んでいた楠から、版によって最終章の有無があることを聞き、その違いを確かめたいという誘惑に負けたことから始まる。

 最終章のない旧版は、想像を超えた悪が僕達の好奇心をつぶし、嫌悪感を感じさせる。それでも悪を機械的な治療で撲滅させようとするルドビコ法が否定されたことは痛快だった。

 そして皆が愛の登場を期待した最終章(完全版)。妻や子どもの存在を意識したAは愛に目覚めたと考え、最終章があって良かったと意見が一致した。

 しかしである。

 時計からオレンジに変化していく絵を描いていた田安に「Aは熟したオレンジになれるのか?」という疑問が生まれる。Aが妻を求めているのは「じぶんの身がかわいい」(198p)に過ぎないのではないかと…。

 それで再度討論を始めると、自分の中のAの部分への認識の違いがあった。

 僕達は罪を犯していないものの青春は後悔の連続である。心の奥にAが住んでいることを知りながら、それを認めずに、道徳論で話していたのでは、本音との間に矛盾が生まれてしまう。もう、Aの存在を自分の中に認め、本音で話すしかない。

 封印していた部分を切り開くには鈍い痛みを伴うが、認めると逆に暴走することもあった。

 そして最終的に、
 「Aが妻を欲しいと思い始めたのは愛への目覚めで、
  失敗を重ねながら真実の愛に触れれば過去を振り返ることもできる
  時計のようにただ時を刻んでいるうちに、目覚める時が来る」(津村・楠)
 「Aは暴力の代わりとなる快楽を求めているにすぎず、
  自らの意思で悪を放棄するのなら悪を自ら選んでいたと認めるべきだ。
  被害者への謝罪心なくして真実の愛はつかめない」(田安)
 と考えた。

 それは同時に自分達自身もまた熟したオレンジではないと知らされることだが、それが心地いいのは、自分達をさらけ出したからだろう。一方でどんな社会であっても自分の意志で「目を見開いて」、善悪を見極める能力を身につけなければならないと感じた。

 

 そして僕達が求めていた最終章の有無によるストーリー性の違いについては、

 旧版は悪に翻弄されるというセンセーショナルな展開だったが、最終章を読まなければ自分の悪の部分について向き合うことはなかったかもしれない。Aが大人への一歩を踏み出しているのかどうかはわからず、最終章の序章と考えた。

 しかし本音を言うなら……

 「もうアレックスについて語らせないで。」

〈チームの横顔〉

 「この本って、二つの結末があるらしい。読んでみたい」。それが主人公アレックスとの出会いだった。

 少年の破天荒な暴力生活を描いた近未来小説。日本で最初に出た版は、むき出しの暴力が突き放すように描かれたまま終わっていた。その後出た「完全版」には、彼が結婚を考える最終章が付け加えられた。

 「アレックスは最終章で愛に目覚めた。良かった」。読書会は早々にまとまり、ボード作成に入った。鎖の先の時計が振れる間にだんだん熟したオレンジに変わっていく絵にしよう。

 だが、描いていた一人がふと思った。「アレックスは熟したオレンジになれるのか?」。再び議論が始まった。それは自分の中のアレックスを探す作業になった。建前を捨て、自分の嫌な部分も見つめ、さらけ出す。痛い時間が続いた。

 「僕たちはまだ熟したオレンジになっていない」。議論はそこに行き着いた。だが、自分たちもアレックスもいつかは真実の愛に目覚め、熟して鎖から解放されたい。その願いを込めて絵は完成した。同時にアレックスからも解き放たれて、ホッとした。