一色清・編集委員講演 「メディアが違えば、こんなに違う」

メディアによるニュースの取り上げ方の違いを話す一色清・朝日新聞編集委員

 私には現在、肩書きが三つあります。新聞社の編集委員、テレビのコメンテーター、ウェブマガジン「WEBRONZA」編集長。週刊誌アエラ編集長、という元の肩書きを入れると四つになります。新聞は20年、アエラを中心に出版に10年、テレビは約2年半、WEBマガジンはほぼ1年。私の職業人生で自慢できるとしたら、多様なメディアを経験していることかと思います。これだけ多彩なメディアに身をおいた私の経験から、今日はメディアのそれぞれの特徴についてお話しします。

 まず、コメンテーターになって驚いたのが、テレビ報道の圧倒的な「届く力の強さ」です。「報道ステーション」は、ニュース番組ではNHK「ニュース7」の次ぐらいの視聴率があります。テレビに出るようになって、道を歩いていて知らない人に声をかけられたり、知らない人から「高校教師だったあなたのお父さんの教え子です」といった手紙をもらったりしました。テレビに出る、というのはこういうことなのか、と痛感したものです。

 一方で、コメントした内容は思ったほど届いていない。何を言ったかよりネクタイの色の方を話題にされたりして(笑)。能動的に読む新聞と違い、テレビは受け身的というか、何かをしながら見るという習慣が一般的なのかなとも感じます。

 その日の打ち合わせでコメントを求められるテーマが示されますから、パソコンで一度文章をつくります。それをもとにして、スタジオで話すのですが、テレビのコメントでは全体のニュアンス、イメージが伝わることが大事で、細かく言葉を吟味してもそこまで伝わらない。映像の力が強い分、発する言葉は流れていく。例えば、事件・事故の多かった昨日、1人のアナウンサーが4カ所で現場中継しているレポートが流れました。「視聴者は伝えるニュースの内容よりも、アナウンサーの動きに関心を持ってしまったのではないか」が、その日の放送後の反省会のテーマに上がりました。1400万人も見ている割に本当に届けたいことを届けにくい。テレビにはそんなところがあるように感じます。

 届ける力の強さと同時に、民放は報道であっても視聴率に左右される、とも感じました。民放ほどではありませんが、NHKであってもそうです。番組の評価基準が視聴率にあり、視聴率をいかに上げるかを考えると、報道本来のあり方とは矛盾するところが出てくる。

 例えば、いまは政治ニュースがまったく視聴率取れません。菅首相が報ステに出演した日、通常14%ほどの視聴率が半分になった。いまは放送時間中の視聴率が連続して折れ線グラフで出ます。政治報道に入るとぐっと視聴率が落ちる。政治は大事な局面にあるのですが、そうなると政治報道を取り上げる時間は減ります。ある面ではいいことなのですが、テレビでは、市場すなわちマーケットや視聴者が求めるニュースを流す、ということです。新聞は市場を見るのではなく、新聞が重要だと考えるニュースを報道する。

 また、テレビの場合は「絵のないニュースはニュースでない」。経済ニュースなんかはほとんど絵がないので不得手です。私が出演し始めたのはリーマンショック直後で、トップは連日、経済ニュースでしたが、スタッフが「絵がない」と頭を抱えていたのを覚えています。反面、工夫次第でいろんな絵が撮れるお天気や災害報道は得意ですね。それとテレビは瞬発力が勝負。新聞の場合、記者が書いた原稿をデスクが見て、さらに校閲記者がチェックし、当番編集長が読むというようにいろんな人の目を通るという形で正確さにこだわりがありますが、テレビは正確さよりインパクト、リアルタイムへのこだわりが強い。私なんかは驚いたのですけれど、校閲というセクションがありません。その辺の荒さがまた魅力でもあります。社会的な責任感や報道の責任、といった気概は新聞に劣らず強いと思いますが、歴史を記録する責任感、というか自覚は、新聞に比べて薄いように感じます。

 そのへん、新聞はその時代を知ろうとしたときに非常に有効なツールです。WEBRONZAで長妻昭さんにインタビューしたとき、彼が話していたのですが、長妻さんは昭和13年からの毎日の朝日新聞を国会図書館に通って読んだことがあったそうです。そうしたら、その時代を生きているような、仮想体験しているような気がした、なぜ日本がその時代に戦争に進んでいったのか分かったような気がした、と言うんですね。テレビもアーカイブ機能は少しずつ芽生えてきてはいますが、新聞ほどたくさんの項目を伝えきれるわけではありません。放送されるそばから消えていくが、影響力は強い。これがテレビ報道の特徴だと思います。

 次に週刊誌ですが、公共性の意識の高さ、という視点でメディアを分けるなら、1位が新聞とNHK、2位に民放ときて、最後が週刊誌なのではないかと思います。週刊誌は「こういうことを伝えるべきだ」という意識はあまりなくて、彼らなりの「売れるかどうか」という基準で物事に対す売るスタンスを決めているところがある。

 では、そのスタンスをどう決めるか、といえば、「新聞やテレビが報じないところ」つまり、非主流の論陣を張る。そうでないと買ってもらえませんから。例えば、民主党の小沢さん。新聞ではバッシング、週刊誌はどちらかというと擁護というのがその例で、週刊誌としては当たり前の発想です。週刊誌のこのスタンスには強みもあります。公共性を離れたメディアでありながら、結果的には世の中を変える力を持つ。いまなら大相撲の八百長疑惑、かつては大蔵省の接待疑惑、いずれも最初に報じたのは週刊誌でした。

 いま私が編集長をしているWEBRONZAは有料会員制で、262円で1ジャンルのコラム全文、月額735円なら全ジャンルのコラムを読めるシステムです。編集長としてはなかなか大変だなあと実感しています。

 WEBのメリットはとにかくコストが安いこと。紙媒体はとにかく人手がかかるし、紙代に印刷代、流通費用に保管費用、売れ残れば裁断費用とお金もかかる。

 その点、WEBはいろんなところを省力化できます。印刷費や流通費はいりません。文字数制限もないし、厳密な締め切りもないので原稿料も安い。間違いがあれば、すぐに直せるので校閲も厳密でなくてすむ。双方向のやりとりがほぼリアルタイムでできるのも強みでしょう。WEBでないとできない良さ、強さの半面、炎上のような危ない部分もある。そのあたりのコントロールの難しさも実感しています。

 また、WEBメディアはお金のいただき方、課金が難しい。自宅に届けられる新聞や、受信料を支払うNHK、広告スポンサー料で成り立つ民放のようなビジネスモデルが確立していない。WEBRONZAはクレジットカード支払いですが、その手続きの心理的ハードルの高さ、ネット上に大量の情報があるなかでなぜこのコンテンツだけお金が必要なのか、という疑問、それらを乗り越えるのが難しい。

 WEBには、認知を得ることの難しさもあります。本なら本屋さんがあって、本屋を訪れる人の目に触れれば認知してもらえるが、ネットの場合は人の集まる会合や認知度の高いサイトでPRしたり、話題を提供して既存メディアで採り上げられるといった仕掛けをしないと埋没してしまう。また、歴史が浅い分、信頼性が足りないという弱点もあります。内部告発サイト・ウィキリークスも、単体では世の中への影響力に限界があると考えたのではないでしょうか。入手した内部情報を紙媒体と一緒になって裏付けを取り、既存の紙メディアと同時に公開して、詳細はウィキリークスに掲載する、という手法を獲るようになりました。信頼性で一日の長のあるオールドメディアを利用しているわけです。尖閣諸島のビデオを流出させた海上保安官も、自らユーチューブに公開する前にCNNに情報を流したといいます。WEB報道は、既存メディアとの融合のような道を歩む気がしています。

 そのうえで新聞の役割は何か。新聞が他メディアと一番違う特徴は、価値判断に重きを置いていることでしょう。ある一日を区切って、その日起きたことで重要なことはトップ記事に、二番手はカタに……という具合です。テレビの報道番組は、ニュースの価値判断よりは映像の強さや視聴率を、アサヒコムのようなネットサイトは24時間更新しているわけですから、時系列で新しいものが大事。その価値判断は、新聞の歴史の中で培ったノウハウがある。

 さらに、何重ものチェックを経ていることとそれに伴う信頼感でしょうか。紙メディア、活字メディアは校閲機能を持ち、それが信頼感につながっている。3番目に文章へのこだわりの強さ。テレビもナレーション原稿は書きますが、映像を重視したものですし、WEBに求められているのは物の見方やデータ、速報性であって、文章の味わいへのこだわりは薄い。名文家が残るメディアであってほしい、新聞にはそんな願いもあります。

 四つめが歴史を記録すること。私が駆け出し記者だったころ、「このとき半歩前進した、と後世の人が分かるように短く書いておけ」とデスクに言われ、「小さなニュースであっても『歴史を記録する』意味があるのか」と感じた覚えがあります。五つめとして、一次情報を獲る、それに力を入れていること。事件や事故のとき、警察署や消防署から話を聞き、現場を見て、原稿を書くのは新聞社や通信社の記者です。一次情報を獲るにはコストがかかる。一次情報を持っている警察官や政治家から話を聞くには、夜討ち朝駆けのようにオフの世界で日々少しずつ獲っていくしかない。そのコストを払う努力がなければ、基本的民主主義が維持されるだけの情報がオープンにできないのです。役所が自ら発信すべき、という考え方もありますが、例えば財務省のホームページに2011年度の予算概要がすべて掲載されたとして、読んで分かる人がどれだけいるでしょうか。だれかがそれを解釈して分析し、整理して伝える必要がある。それをするのが新聞記者です。

 新聞がなくなったら、だれがそのコストを担うのかを考えると、いまの社会では新聞社しかありません。その意味でも、新聞は社会にとって有用なものです。子どもたちにも長く、一生付き合っていけるものとして読んでもらえたら、と思っています。

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