生きる、未来へ 東日本大震災10年

 3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

 3月11日、発生から10年となる東日本大震災。愛する人を失った悲しみ、住み慣れた土地に戻れない苦しさ……。さまざまな思いを抱え、歩んできた3家族を通して、被災地のこれまでを振り返る。

震災の犠牲者数

(警視庁調べ、震災関連死は復興庁調べ)

死者
15899
行方不明者
2527

 東日本大震災の死者は15899人、行方不明者は2527人(2020年12月現在)。死者の内訳は宮城県が最多で9543人、岩手県4675人、福島県1614人、ほかの9都府県で67人。復興庁によると、震災後の体調悪化や自殺による震災関連死は3767人(2020年9月現在)。

岩手県
宮城県
福島県
その他
合計
死者
4,675
9,543
1,614
67
15,899
行方
不明者
1,111
1,216
196
4
2,527
建物
全壊
19,508
83,005
15,435
4,044
121,992
建物
半壊
6,571
155,130
82,783
38,436
282,920
震災
関連死
469
929
2,313
56
3,767

佐々木颯(そら)くん

16歳。岩手県山田町出身。津波でシングルマザーだった母・加奈子さんを亡くした。今は祖父母と3人で暮らす。高校1年生

2011年3月

6歳

津波で母・加奈子さんを亡くす

2011年4月

6歳

小学校入学

2011年9月

6歳

母親の遺骨が自宅に戻る

2017年4月

12歳

中学入学

2020年4月

15歳

地元の高校に進学

津波で流されたら、ママに会えるかな?

 「ねぇ、ばぁば。ママって骨になったの?」

 2011年の夏の終わり。6歳だった佐々木颯くん=岩手県山田町=はふいに、祖母の悦子さん(69)に尋ねた。「そうかもしれないね」。悦子さんはそう言って颯くんを「ぎゅーっ」と抱きしめた。

 颯くんの母、加奈子さん(当時33)は震災の3年前、離婚後に埼玉県から実家のある山田町に戻り、保険の外交員をしながら颯くんを育てていた。「颯ちん、おいで」。帰宅すると家で待つ颯くんを必ず抱きしめた。

 あの日、加奈子さんは仕事中に津波にさらわれた。保育園で朝、別れたきり、何日も帰ってこない。テレビからは連日、震災を伝えるニュースが流れる。

写真・図版2011年7月22日

 娘の安否を心配する祖父母に颯くんは「ママが帰ってこないってことは、津波に流されたってことだよ」とつぶやいた。

 母に会えない寂しさから、颯くんは「俺も津波で流されたらママに会えるかな」と言い、祖父の正男さん(70)らを戸惑わせた。

 夜、「ママは本当に帰ってこないの?」と声をあげて泣いた。「声をあげて泣いたのはあの時の一度きりだけ」。悦子さんは振り返る。

 「いつまでもこのままにしておくわけにはいかない」。震災から4カ月後、遺体が見つからないまま、正男さんらは加奈子さんの死亡認定の手続きをした。

 

 

 震災の年の8月16日、お盆の送り火の花火で、颯くんは加奈子さんを見送った。正男さんが「お盆が終わったからママは天国へ帰るんだよ」と話しかけると、それまで花火を楽しんでいた颯くんが急に黙り込んだ。

 パチパチと音をたてて燃える花火が、颯くんと正男さんを照らし出した。

 「ママ、バイバイ」

 絞り出すように颯くんは加奈子さんに語りかけた。花火から立ちのぼる白い煙が夜空に消えていった。

写真・図版2011年8月16日

 それから朝晩、颯くんは加奈子さんの写真に手を合わせるようになった。

 「ママどうぞ」と大好だった果物を写真に差し出す。加奈子さんの誕生日にはケーキのろうそくを代わりに消した。

 「ママ誕生日おめでとう」

 悦子さんは「颯なりに少しずつ、加奈子の死を受け止めているのだと思う」と話していた。

写真・図版2011年11月1日

 9月、DNA鑑定で判明した加奈子さんの遺骨が、自宅に戻ってきた。遺骨が納められた小さな箱を前に、「ママが家に帰ってきた」と自分に言い聞かせながら、颯くんは目から涙をこぼした。

 待ち焦がれた母親が「骨」になって帰ってきた。母親の「死」を懸命に受け入れようとしているように、悦子さんには見えた。

 翌年3月、親戚だけで加奈子さんの納骨が行われた。

 「ママは僕の心の中にいるから大丈夫」

 心配する周囲に対し颯くんは話したという。

 遺骨は3片だけ、自宅に残した。時々、颯くんは骨を触りたがった。母親の白い骨をそっと触りながら「貝殻みたい。死んだらみんなこうなるの」と悦子さんに尋ねた。

写真・図版2012年3月28日

 4月、正男さん、悦子さん、颯くんの3人で加奈子さんが流された海に行った。母親が流された海に向かって颯くんはこう叫んだ。

 「海のバカ、バカヤロー。海の水がなくなればいいんだ」

 5月の運動会。小学2年生になった颯くんは「徒競走で1位になったよ」と加奈子さんの写真に報告した。「どんどん活発になって、私がついて行けない」と悦子さんはほほ笑んだ。

 一人娘を失った悦子さんが悲しみで涙ぐむたび、颯くんはそばに来て、「ばぁば、泣くなよ」と声をかけてくれるようになった。

 そんな颯くんも毎晩、枕元に置かれた母親の遺影に話しかけて眠りについていた。「おやすみママ。今日ね――」。加奈子さんが流された車内にあったひざ掛けにくるまり、加奈子さんに買ってもらった犬のぬいぐるみも側に置かれていた。

写真・図版2012年3月28日

 震災から5年。

 外遊びが大好きな颯くんは、日が暮れるまで友達とボールを追いかけ、遊ぶようになった。家でも「ふざけてよく笑わせてくれる存在」で家の中を「明るく」してくれるのだという。

 加奈子さんのことは以前ほど話さなくなったが、「時々、一人で昔のアルバムを見ていることもある」と悦子さんは言う。

 友達が帰った後も外で一人で遊んでいる姿を見ると「やっぱり寂しいのかなって思う」と悦子さんが話してくれた。

写真・図版2016年2月12日

あれから10年

 颯くんは高校1年生になった。昨年春から地元の高校に通う。陸上部に入り、中距離(800メートル、1500メートル)の選手になった。今はとにかく走るのが「一番好き」だという。

 「自己ベストを出した時や、先生に褒められた時がうれしい」とはにかみながら話す。練習のない日もかつて遊び回った家の周りを黙々と走る。

 家の食堂に飾る写真が増えた。カメラに向かってほほ笑む加奈子さんはもちろん、地元の舞踊「荒川念仏剣舞」を踊る颯くん、トラックを走る颯くん――。

写真・図版2021年2月6日

 加奈子さんの写真は増えないが、颯くんの写真は増える。「なんで俺の写真ばっかり」と聞く颯くんに、「だってあんたしかいないから」と悦子さんは返す。

 悦子さんは毎日、加奈子さんの祭壇に手を合わせ、颯くんの様子を伝えている。高校に入学したこと、朝起こしても全然起きないこと――。

 一方、颯くんは加奈子さんの祭壇に手を合わせることもなくなったという。「お供えをもらうときはママに言いなさい」と悦子さんが言うと、「心の中で言っているから大丈夫」とお菓子をつまむ。「照れくさいのかね」と悦子さんは話す。

 颯くんに聞くと、母親のことは「時々、思い出す」のだという。最近では中学の卒業式の時、周りの友達が母親に祝福されている姿を見て、加奈子さんのことを思った、と私に話してくれた。

 この10年、祖父の正男さんは「過ぎてみれば、あっという間だった」と振り返る。「中学2年の頃からどんどん大きくなって」

 悦子さんは「朝起きてきたとき、昨日よりでかくなったなって思う」と話す。10年前、小さかった颯くんは2人の背を越した。

 加奈子さんが居なくなってから、颯くんを育てることが2人の生活の全てだった。「もし加奈がいたら、2人でのんびり過ごしていたんだろうね……。でも、加奈は息子を残してくれたんだ」と正男さんがつぶやくと、悦子さんは「そういう運命だったんだね」と確かめるように言葉を継いだ。

写真・図版2021年2月7日

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