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篤姫江戸入り「海路ではなく陸路」 宿泊・休憩地を確認

2008年12月31日

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 NHK大河ドラマの主人公、篤姫(1835〜83)が将軍に嫁ぐため鹿児島から江戸に向かったルートは海路ではなく、陸路――。福岡県柳川市に住む九州共立大学経済学部講師半田隆夫さん(70、近世交通史)が現地調査をもとに新説をまとめ、『薩摩から江戸へ―篤姫の辿(たど)った道』(海鳥社)を出版した。これまで篤姫が岡山県矢掛町に宿泊したことを示す古文書が見つかっているが、新たに10カ所の宿泊・休憩地を確認し、裏付けた。

 大河ドラマの原作となった宮尾登美子さんの小説「天璋院篤姫」では、篤姫一行は宮崎県の都井岬近くを出港し、同県細島港、山口県下関などを経て、瀬戸内海を通り、大坂に到着している。ドラマでもコースを一部変更したものの「海路説」を踏襲した。

 半田さんがこの説に疑問を抱いたのは、今年1月、熊本県南関町の子ども向け町史の執筆のため資料の整理をしていた時。地元の有力者の1853(嘉永6)年の日記の中に「8月30日、薩州御姫様九ツ前(正午)御着。九ツ半(午後1時)御立」との記述を見つけたのがきっかけだ。「薩州御姫様」とは薩摩島津家の篤姫のことで、篤姫の一行259人は、同21日に鹿児島市を出発しており、日数が合う。

 NHKがドラマで「海路説」を放映した3月ごろから本格的に調べ、「薩州様御息女様」(篤姫)が熊本市の茶屋で8月29日に休息し、お茶菓子と柿、スイカのもてなしを受け、お礼に金子二百疋(ぴき)(4万円相当)を支払ったという古文書も見つけた。

 さらに、久留米、筑紫野両市から岡山県矢掛町、滋賀県草津市、愛知県豊橋市まで足を延ばし、資料館や図書館などで篤姫の宿泊・休憩を示す記録15点を発見。宿場などを実際に訪ね、5月ごろまでにルートを確かめたという。

 半田さんは「島津氏の参勤コースは最初は海路が多かったが、黒船の来襲など周辺の緊張が高まるにつれて、陸路をとることが多くなった。まして将軍家に嫁入りする篤姫の場合、安全第一に陸路を選んだと思う」と話している。

 NHKは「大河ドラマ篤姫」のホームページで視聴者の質問に「実際は陸路だったようです。しかし、ドラマでは原作の設定を生かしてあえて海路としました」と答えている。(田中良和)

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