【アナウンサーに内定】 内定者インタビュー「70社受け続けてつかんだ、念願のアナ職」

インタビュー 篠原真喜子

アルバイト代をためて、大学2年からアナウンススクールに。二つのスクールに通い、気合十分で臨んだのに、いざ就活が始まると書類落ちの連続。やっと通過しても面接で撃沈。越えても越えても立ちはだかる壁に、心が折れてしまったことも……。しかし、そんな三浦さんも最後には 、東北放送から念願のアナウンサー職での内定を獲得します。一体どんな道のりを歩んだのでしょうか? 涙と激動の日々を語っていただきました。

三浦菜摘さん
プロフィル 三浦菜摘さん

理工学部生命科学科。受験業界はテレビ局アナウンサー職。ES提出数70社、面接まで進んだ会社数40社、内定先は東北放送アナ職のほか、新潟のテレビ局アナ職の計2社。

内定までの道のり

大学2年4月
アルバイト代を使い、アナウンススクールに通い始める。アナ内定者に会い「美人すぎて、私が内定するのは到底無理!」と気持ちで負けそうになる
大学3年5月
アナ志望には必須! と内定者に教えられ「朝日新聞デジタル」を購読開始。「自分のお金ならちゃんと読むだろう」と、もちろん新聞代も自分で支払った
大学3年7月
キー局の夏のインターンは、ESで全滅。ショックすぎて思考停止に陥る。アナ就活から逃げ、一時期は演劇に没頭
大学3年秋~冬
キー局、準キー局の本選考ESを出すも全滅。そんななか、NHKのインターンに通過! 参加すると「やはり、アナになりたい!」という思いが強くなる
大学3年1月
地方局で、初めてES通過! ところが、面接対策が全くできていなかったため、面接では悲惨な結果に……
大学3年3月
ES締め切りと面接に追われる日々。いくつかの局で2次面接まで進めるように
大学4年4月
友人とともに1週間かけて九州各局の選考へ。友人には選考通過の連絡が来る一方、自分には連絡が来ず……。「もう無理かも」と諦めかけたとき、新潟の局から内定が!
大学4年5月
志望度の高い局に絞り、就活を続ける。そして、ついに念願の東北放送から内定獲得!

自腹でスクールに通い、背水の陣で臨むも……

―― 三浦さんはもう、アナ以外は考えていなかった感じですよね?

 はい。ずっと憧れていて、大学2年の4月からアナスクールに。でも、説明会に来ていた内定者の方が美人すぎて、「私が内定するのは無理」ってへこみました。私、BMIは「やせ」じゃなくて「普通」。どちらかというと大柄だし、アナ志望の学生と並ぶと、遠近法を使っても、横も縦も私の方が大きいんです(涙)! だから、容姿にはずっと自信が持てずにいました。この調子じゃ、通い出したら自分のダメなところばかり気になって途中で辞めたくなるかもしれないと思い、それを防ぐためにも、自分のお金で入学しました。

―― スクール代を自分で払ったの?! それは大変だったでしょう。

 朝6時から大学の授業が始まるまでは大手町のカフェでアルバイト。理系なので授業も毎日あり、授業が終わったら夜は予備校でアルバイト。アルバイト代のほとんどをスクール代にあてました。3年になって朝日新聞デジタルも購読し始めましたが、これも全部自腹です! 自分のお金だと「もったいないからちゃんと読もう!」 という気持ちになりますから。実は、その時にお気に入りのゲームアプリを消しました。課金も3万円くらいしていたのに!

平日は朝から晩まで研究室。大学、就活、アルバイトの両立は大変だったが、時間管理能力がアップしたと感じている ※本人提供
平日は朝から晩まで研究室。大学、就活、アルバイトの両立は大変だったが、時間管理能力がアップしたと感じている ※本人提供

―― 就活スタートの時から気合が入ってますね!

 自らを追い込む作戦です(笑)。意気込みは十分だったのですが、就活スタート早々大苦戦しました。アナ就活の時期は本当に早くて、3年の5月にはインターンの募集が始まるんです。ESには、証明写真、スナップ写真(上半身、全身)と最大7枚くらいの写真を貼り、自己PRや志望動機も記入して……。局によっては自己PR動画まで! 何日もかけて用意して、やっとの思いで提出したのに、キー局は全滅。ショックすぎて、この後に募集のあった夏のインターンは1社もESを出せないまま終わりました。
 この時点で、1年間アナウンススクールに通って、すでに何十万とお金がかかっているわけです。お金も時間をかけたのにESすら通らない私。悲しくて、焦って、不安でいっぱいなのに落ち込みがひどくて動くことさえできない、そんな状態でした。

―― そうですよね。早くから準備をしてきただけに、ES落ちはつらいですよね。その後気持ちをどう立て直したのでしょうか?

 実はこの時期、演じる側として少しだけ演劇にはまって(笑)。もともと、アニメや落語などが大好きだったので、自分が演じるのはとっても楽しかったです。就活をしなかったのはまずいですが、表現力が磨かれ、面接でもこの経験が役立ったので今となってはよかったかな、と思います。
 ただ、そうこうしているうちに、キー局本選考の時期に。慌てて自己分析を始め、必死にESを仕上げました。でも、結果はまたもや全てESで敗退。絶望感に打ちひしがれていたとき、NHKのインターンに通過しました! 私の実家、テレビはNHK以外ほぼ禁止だったので、NHKの番組だけはかなりたくさん見ていたんです。それが良かったのかも?(笑)。インターンに参加すると、憧れのアナウンサーにも会えて、「やっぱり私、アナになりたい!」と強く思いました。その後、準キー局の本選考ESも全滅。でも、もう前のようにめげませんでした。同じてつは踏むまいと、ダメな点を見直し、改善していきました。

全敗し続けてきたESが、改善と工夫で変化

―― えらい! どんな点を改善していったのでしょうか?

 まずは写真です! 人前に出る仕事なので、アナのESは、写真が超重要なんです。でも、なかなか納得のいく写真が撮れなくて、とくに最初の頃は、今見ると、「なにこれ?昭和のアイドル??」って、突っ込みたくなるレベル。作り笑顔と決まったポーズ、私らしさが何も伝わってないですよね。この写真じゃだめだって今ならわかるんですけど、当時はわからなくて。友人や親から意見をもらって、できるだけ自然な様子で写るように考えるなど、撮り方も変わっていきました。

初期の頃は「納得がいかない」と思いつつ、どう変えたらよいかわからなかったそう ※本人提供
初期の頃は「納得がいかない」と思いつつ、どう変えたらよいかわからなかったそう ※本人提供

―― 他にはどんな工夫をしましたか?

 言葉の表現にも磨きをかけました。自分が言いたいことをできるだけ簡潔に、わかりやすく伝えるにはどんな言葉や表現を使えばいいのかを常に考えていました。朝デジを読み始めてから、毎日忙しくても「天声人語」だけは読むようにしていたので、自然に語彙(ごい)力、表現力がついていったのかなと思います。たとえば、小学生が登校途中のバス停で襲われる悲しい事件がありましたが、私はそれを「ひどい」とは思うものの、「その感情をどう伝える?」と考えたとき、言葉が出てこない。でも、その事件を取り上げた「天声人語」には、「未来が絶たれる」「子に先立たれた親の苦しみは海より深い」といった言葉があり、ESの表現を見直していく中で、すごく勉強になりました。

天声人語は、「そうそう、私が言いたかったのはこれ!」という表現にたくさん出会え、ES作成にとても役立ったのだそう
天声人語は、「そうそう、私が言いたかったのはこれ!」という表現にたくさん出会え、ES作成にとても役立ったのだそう

―― その後、就活の進み具合はいかがでしたか?

 1月に、地方局で初めてESが通過しました! うれしくて泣きながら母にスマホの画面を見せたことを覚えています。この頃から徐々にESが通過するようになってきたのですが……、新しい壁にぶつかりました。“一次面接”です。キー局、準キー局がESで全敗だったため、周囲の学生より圧倒的に面接経験が少なく、初めての面接で惨敗。緊張してしまう、短い時間で自分の伝えたいことを話せない、結果印象に残らない、とダメなことだらけでした。
 集団面接では、私以外の学生は堂々と話せていると感じてしまい、最後は彼女たちに「ありがとうございました!」とお礼を言って帰ってきちゃったくらいでした(笑)。

―― せっかくESが通過したところで、それは悔しいですね。

 でも、本当の試練はその後で、3月は一言で言うと「地獄」でした。「アナの採用をしているすべての局にエントリーする!」と決めていていたので、毎日ESの締め切りがあり、夜中の3時くらいまで書いては郵便局へ。郵便局のおじさんにも顔を覚えられて。間に合うか不安そうな顔をしていると、「速達」ハンコを5個くらい押してくれたことも(笑)。就活がつらくてボロボロでしたけど、「あー、郵便局のおじさんまで応援してくれている。ありがたいなぁ」って元気が出ましたね。
 4月には、面接のため、友人たちと一緒に1週間ほど九州を回りました。でも、友人が次の選考に進むなか私だけ落ちていたり、私の志望度の高い局で、友人にだけ声がかかっていたり。それでも、ホテルに帰ったら毎晩ES作成……。慣れないホテル暮らしと面接疲れで心が折れ、母に泣きながら電話していました。

一緒にアナ就活を頑張った仲間たちと ※本人提供
一緒にアナ就活を頑張った仲間たちと ※本人提供
面接の合間をぬって作成した大量のES。アナの採用があったテレビ局すべてに提出した
面接の合間をぬって作成した大量のES。アナの採用があったテレビ局すべてに提出した

―― 本当に、試練の日々ですね。

 面接とES作成にあけくれる中で、「もう、アナにはなれないかも」と思い、他の業界も見始めていました。でも、九州から帰った後、急ピッチで進んだ新潟の局から、4月末に「内定」の連絡をいただいて。うれしくて涙が止まりませんでした。だいぶ心に余裕ができ、以後は東北放送など、志望度の高い局だけに集中することができました。

―― 序盤は惨敗だった面接も、このころには対策が功を奏してきたんですね!

 「アナになりたい理由」「私だからできること」を考え尽くしました。私は、ミスコン受賞者でもなければ、学生キャスターの経験もありません。留学経験もないし、アルバイトもカフェと塾講とありがち。わかりやすいアピールポイントが何もありませんでした。最初はとにかく「視聴者を元気にしたい!」とガラにもなく空元気を振りまき、撃沈。次に「災害報道に携わりたい」と考えましたが、本気で災害報道を志している人には勝てません。
 そこで、最後に行き着いたのが「社会と視聴者をつなげる架け橋になりたい」でした。家族全員で食卓を囲みながら見たテレビで、アナウンサーの言葉をきっかけに家族の会話が弾むことがたくさんあって。アナの仕事って家族や社会を結びつけることにつながるんじゃないか。私はそんなアナになりたいと思いました。自分の経験に裏打ちされた軸が見つかったとき、自然と面接も通るようになっていったんです。

―― それが見つかると、結果が違ってきますよね。面接が進むようになった理由、ほかに考えられるものはありますか?

 時事ネタと私の得意分野や考えを合わせて話せるようになったからだと思います。そのために使っていたのが、朝デジの「MYキーワード」。自分が興味のあるワードを登録すると関連記事が自動収集されるので、そこから面接で話すネタを探していました。受験する局に関するニュースや、理系だったので、コラム「科学の扉」や研究分野「生物、化石、植物、理系」などをキーワード登録して、記事をチェックしていました。すると、東北放送の面接で、「最近気になる、植物に関するニュースは?」という質問が。東北放送が節電やエコを積極的に行っていること調べていたので、「日本の草地が、この100年で急激に減っている」という記事を挙げ、「大切なことなのに知っている人が少ない。私自身の知識を生かし、アナとしてこういうことも伝えていきたい」と結びました。

コラム「科学の扉」は、欠かさずチェック。研究分野「生物、化石、植物、理系」などをキーワード登録して、関連記事を読み逃さないようにしていた ※本人提供
コラム「科学の扉」は、欠かさずチェック。研究分野「生物、化石、植物、理系」などをキーワード登録して、関連記事を読み逃さないようにしていた ※本人提供
実際の面接で活用した記事 ※本人提供
実際の面接で活用した記事 ※本人提供

―― いいですね! 「気になるニュース」もせっかくなら自己PRにつなげたいし、その企業が力を入れていることとつなげたのもすばらしいです。

 このほかにも、新潟や東北など、地方局を受けるときは地域面を欠かさずチェックして、地域ならではの問題点やタイムリーな話題を調べるようにしていました。面接担当者とのやりとりも盛り上がり、こういうちょっとした努力が生きてくると感じましたね。

毎日の新聞記事チェックのほかにも、アナの夢をかなえた先輩、田村友里さんの「内定者インタビュー」もよく読んでいた。心が折れそうになったときに元気をもらったという
毎日の新聞記事チェックのほかにも、アナの夢をかなえた先輩、田村友里さんの「内定者インタビュー」もよく読んでいた。心が折れそうになったときに元気をもらったという

できる努力を全てしたら、最後は吹っきれる

―― 第一志望の東北放送の最終面接は、どんな感触でしたか?

 他の局の選考をすべて断り、ここだけに集中できたため、すごく落ち着いて臨めました。失敗をくり返して、その度に改善して「ここまでやったんだから大丈夫!」という心境になれていたことも、大きい気がします。自分でも驚くほど自然体で話せ、面接中、ご縁を感じることが何度もあったので、「もしかしたら」と思いましたが、現実に内定を頂いたときは本当にうれしく、感謝の気持ちでいっぱいでした。

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―― たくさんの壁を乗り越えて、念願の局からの内定獲得。本当におめでとうございます!

 就活はつらいことも多いし、心が折れてしまうこともあるかと思います。でも、折れたら折れたで、その後どう復元させられるかが大切。就活生の皆さん一人ひとりが、自分らしく、全力投球で悔いのない就活ができるよう、応援しています。(構成 ライター・小元佳津江)

篠原真喜子(朝日新聞社 就活キャリアアドバイザー)
プロフィル 篠原真喜子(朝日新聞社 就活キャリアアドバイザー)

2003年入社。自身の就活経験を生かして、2004年に「朝日就職フェア」を立ち上げる。以降、同フェアの企画・MCとして活躍。雑誌「CanCam」「エアステージ」の就活特集にも「就活のプロ」として登場。キャリア支援した学生はのべ5万人。国家資格キャリアコンサルタント。

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