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高台の公民館「ここもだめだーっ」 津波被害の陸前高田

2011年3月12日15時3分

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写真
写真拡大トラックの荷台に乗り込み避難所へ向かう人たち=12日午前10時47分、岩手県陸前高田市、竹花徹朗撮影

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写真拡大線路脇に流されてきた車の中に救助者がいないか調べる消防隊員=12日午前10時38分、岩手県陸前高田市、竹花徹朗撮影

写真拡大スーパーの屋上に取り残された人を救出するヘリコプター=12日午前7時34分、岩手県陸前高田市、朝日新聞社機から、樫山晃生撮影

 政府が「壊滅状態」とみている岩手県陸前高田市。12日早朝、本社機に乗って上空からみた人口約2万3千人の街は、海岸部から内陸にかけ、10キロほどにわたって泥水に覆われていた。

 太平洋から少し奥まった内湾の街。一気に押し寄せた津波に家々は潰れ、民家は高台にわずかに残るだけだ。鉄筋のビルは上層部分を汚水の上にのぞかせ、島のように見える。まだら模様に浮かぶ大量の油、赤茶色の流木、がれき群。まさに、街がひとつ消えてしまったようだ。

 病院の屋上には、助けを待つ患者らの姿があった。周囲は3キロ四方が泥に埋まり、とても陸から近づける状態ではない。救助にかけつけたヘリコプターは、患者を乗せると周辺のグラウンドへ。着陸に成功すると、一気に土煙が立ち上がった。(坂田達郎)

     ◇

 「着の身着のまま、必死で逃げた。100%安全な場所なんて無い」。同市気仙町に住む菅野信さん(72)は逃げ延びた様子を語った。

 自宅は、市街地が面する広田湾の気仙川河口から約3キロ上流の付近。揺れに驚いて外に出ると、消防無線で津波警報が流れた。自宅から700メートルほど高台にある公民館に避難すると、すでに集落の住民50人ほどが到着していた。

 消防無線は当初、波の高さについて「2メートル程度」とアナウンスしていた。「ここなら絶対に安全だ」。だが、その数分後、「波は10メートルを超える可能性がある」と放送があり、ほどなく無線が途切れた。約1キロ下流の堤防に目を向けると、水がぼろぼろとあふれ始めていた。

 「ここもだめだーっ」と叫ぶ声。立ちつくしているうちに濁流は公民館の目前にまでせり上がってきた。「水があんなに速く迫ってくるなんて。時速50キロはあったように見える」。周りの人から遅れながらも、必死に道路の高い方へ。水がすぐ後ろに迫り、道路脇の山に入って無我夢中でよじ登った。

 林道を経て、さらに上の公民館にたどり着いたときには、足首から下はずぶぬれだった。最初の公民館にいた避難者のうち、数人の姿が無かった。

 「電話も携帯も全くつながらない。昼間、仕事で街に下りた人たちはどうなったのだろう」。菅野さんはかすれた声で案じた。

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