2011年3月22日8時1分
津波は安全なはずの指定避難場所をものみ込んだ。役場の支所や学校、高台……。「まさか、ここにまで」。想定外の大津波は、自治体の指示に従って避難した多くの人の命すら、奪った。
宮城県石巻市の北上川の河口に面した同市北上総合支所は、津波に備えて5年前、新築された。想定されていた津波の最高水位5.5メートルより1メートル高い土地に建て、避難場所にも指定された。しかし、2階の屋根を超える大波で全壊。支所に身を寄せたお年寄りら49人のうち、市職員2人と児童1人の計3人だけが生き残った。市職員の牧野輝義さん(42)は「避難は完璧だったが、津波の力がそれを上回った」。残る職員2人は被災住民対応にあたっている。
指定避難場所だった同県東松島市の野蒜(のびる)小学校体育館でも数十人が亡くなった。「水が流れ込み、渦にお年寄りが巻き込まれていった」。2階観覧席にいた女性は津波が来たときの光景を語る。
震災のあった11日、海岸線から約1.3キロ離れた学校には住民が続々避難して来た。お年寄りや子供ら約300人がマットに座り、ひと息ついたとき、濁流が入ってきた。人々は舞台や2階観覧席に上る階段に向かったが、お年寄りらは取り残された。避難した女性は「体育館にいれば安全という意識があった。これほど大きな波が来るとは思わなかった」と話した。
同県七ケ浜町の岡本八朗さん(77)は揺れの後、町内に流れた「大きな津波が来ます。高台に逃げてください」との放送で避難。海岸から約100メートル離れた、10メートルほどの高台にある指定場所に向かった。近所の人ら約15人が集まった。高台に着くと大阪に住む長男から「大丈夫か」と電話が入り、「避難場所にいるから大丈夫」と伝えた。
しかし、眼下の道路には海水が流れ込み、次の瞬間、高さ5〜6メートルの防波堤を超えてきた波にのみ込まれた。岡本さんは九死に一生を得たが、家は流され、3年前に亡くなった妻の写真すら失った。「何も残ってないんだよ。涙も出ないよ」と避難先の体育館でつぶやいた。(千種辰弥、沼田千賀子、山本奈朱香)