今年9月で84歳になった山田洋次監督。蒸気機関車のごとく、力強く映画づくりに挑んでいる。12日に公開される「母と暮せば」は83作目。振り返ると、1961年に「二階の他人」でデビューしてから一貫して大きなテーマにしてきたのが「家族」のあり方である。何が監督の心を突き動かすのか。インタビューやこれまでの取材を交えつつ、作品に寄せる監督の思いに迫った。

動画:山田洋次監督インタビュー 撮影秘話

 「なぜ家族を撮るのか、か……。うーん」

 監督は一瞬口を閉ざし、難しそうな表情になった。たしかに、登山家が常に問われる「なぜ山に登るのか」の答えが、今も昔も変わらず「そこに山があるから」というのと共通するものがあるのかもしれない。

 自伝を読むと、家族についてつらい思い出があるのがわかる。両親の性格は正反対だったそうだ。

 父・正さんは九州大学工学部を卒業した技術者。実直で黙々と仕事をこなすタイプで大阪にあった汽車製造会社で蒸気機関車の設計をしていた。

 一方、満州(現在の中国東北部)の旅順で生まれた母・寛子さんは楽天的で明るい性格。女学校を卒業するまで内地の土を踏んだことがなく、開放的で日本的な因習に染まらない女性だった。

 「戦時中も頑としてもんぺをはかず、禁止されていたパーマをかけていました」

 性格の不一致は歴然としていた。実際、監督が大学に入ったころ両親は離婚した。

 監督は言う。「結構つらい思いをした。だって、家庭がなくなっちゃったんだからね」。それでも、自作の中で家族のあり方を繰り返し問い続けてきた。それは亡き父、亡き母への鎮魂。心に受けた傷を両親ゆずりのジャンプ力で芸術に昇華してきた、と言えるのではないだろうか。

 「母親と息子の関係というのはどこか気恥ずかしいものがある」と監督はインタビューで語ってくれた。「母親にとって息子は、自分の胎内から生まれ出たとしても異性だ」というのである。

 今回、長崎原爆で亡くなった浩二(二宮和也)の母・伸子を演じた吉永小百合さんにもそのことを伝えたという。だが、吉永さんには子どもがいない。「母親とはどういうものなのか。懸命にイメージしながら演じたのではないか」と監督は語る。

 二宮さんの小さいころの写真を何枚か借り、鏡の前に毎日置いていたそうである。

 「その写真を見ながら、この子(二宮和也)はこんな風に育ってきたのではないかとイメージしたのでは」

 たしかに、スクリーンで見るとよく分かる。伸子の瞳。亡霊となって現れた浩二を見る目は愛情にあふれている。

 「観客は敏感に分かるんですよ」と監督は言う。

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