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1991.7.10

雲仙・普賢岳噴火

 靴を脱ぎ床にひざをつき、被災者と同じ目線になって顔を寄せ語りかける――。今ではすっかり定着した被災地での天皇、皇后両陛下の訪問スタイルだが、天皇としての始まりは28年前、長崎県の雲仙・普賢岳の噴火災害だった。

 198年ぶりに噴火した普賢岳で、大規模な火砕流が発生したのは1991年6月3日。地元住民や消防団員、警察官、報道関係者や火山学者ら43人が犠牲になった。

 その1カ月後の7月10日、天皇、皇后両陛下が被災地を訪れた。災害継続中の被災地を天皇が訪れたのは、戦後初めてだった。なお噴煙があがる中、両陛下の強い希望で実現した。

 地元の負担を考慮した日帰りの日程。午前8時前に羽田空港を民間機で発って自衛隊ヘリに乗り継ぎ地元入りし、島原市、布津町(現南島原市)、深江町(同)の仮設住宅や避難所計7カ所を回り、午後8時過ぎに東京の御所に戻る過密スケジュールだった。

 現地入りの時はダブルのスーツ姿だった天皇陛下は、被災者と会う際には上着を脱いでネクタイをはずし、ワイシャツの袖をまくっていた。皇后さまと、体育館や仮設住宅を訪ね、板張りの床にひざをついて、「大変でしたね」「頑張ってくださいね」と被災者に次々と声をかけ、手を握った。

 「こちらが畳の上に座っているのに」と、その姿は被災地の人々に強い印象を残した。

 当初は「天皇陛下をひざまずかせるとは」と批判の声もあった。だが、お二人は災害があるたび、早い時期に現地を訪れ、被災者のなかに分け入っていく。そのスタイルは徐々に浸透していった。

人々の年月かけて作り来しなりはひの地に灰厚く積む
宮内庁が発表した天皇陛下の歌
1992年1月1日