1994年6月の天皇陛下の訪米は、経済問題をめぐり日米関係が「戦後最悪」とも言われる中でのことだった。
17日間かけてアトランタやワシントン、サンフランシスコ、ホノルルなど11都市をめぐった。アーリントン墓地で戦没者を慰霊したほか、公民権運動のキング牧師の記念館訪問や大リーグ観戦、日系人との懇談などを重ねた。
ホワイトハウスの歓迎式典では、天皇陛下がクリントン大統領夫妻らを前に述べた「おことば」で、「両国は戦争による悲しむべき断絶を乗り越え」と先の大戦に触れたものの、多くは過去より未来にあてられた。ただ、その後の訪問先では、日本の戦争責任を追及する中国系、韓国系米国人らによる集会やデモもあった。
帰国を前に、天皇陛下は「戦争が人々の心に刻み付ける傷の深さを思い、戦争で命を失い、傷つき、また苦しみを受けた人々に対して、心の痛みを感じています」と振り返っている。
最後の訪問地ハワイのホノルルでは、前年のクリントン大統領訪問にも匹敵する歓迎ぶりで、地元紙も連日取り上げるなど高い関心を集めた。天皇、皇后両陛下は、ホノルル近郊の国立太平洋記念墓地(パンチボール)を訪れた。
日米開戦の地で天皇としては初めての慰霊となり、陛下は君が代と米国国歌の吹奏後、介添えの兵士とともに、両手で花輪を置いて黙礼。約40秒間、こうべを垂れた。
ハワイ訪問では当初、天皇陛下が真珠湾を訪れる構想もあったが、日本政府は見送っている。