2005年6月28日早朝。強い日差しに白砂がまぶしかった。
天皇、皇后両陛下はサイパン島の宿舎ホテル前の海岸に出た。終戦前年、日本軍が「バンザイ突撃」の末に「玉砕」した西海岸の現場近くだった。奇跡的に生き残った元衛生兵が、車いすから降り、浜に腹ばいになって説明を始めた。米軍の掃射にみんな必死に伏せながら突撃した。浜辺が戦友の遺体で埋め尽くされた――。「あの時の砂の熱さが忘れられません」。
沈痛な表情で聴き入った天皇陛下は「大変でしたね」と声をかけ、皇后さまは砂を手にすくい感触を確かめた。
太平洋戦争でのサイパン島の戦没者は、民間人1万2千人を含む日本人5万5千人、米軍人3500人。島民にも900人を超す犠牲者がでた。
島北部に日本政府が建てた「中部太平洋戦没者の碑」がある。かつて多数の日本人が身を投げた絶壁「スーサイドクリフ」の下に、碑は立つ。天皇、皇后両陛下は、供花台に白菊の花束をささげると、深く礼をした。その姿を、元日本兵や民間人のサイパン戦体験者、遺族の代表者らが見守った。
両陛下はその後、切り立ったがけの上に立ち、かつて無数の遺体で埋まった台地を見つめた。同じように多くの日本人が自ら命を落とした北端の「バンザイクリフ」にも足を運んだ。車でホテルに向かう途中、沖縄出身者、韓国系住民の慰霊碑にも立ち寄り、拝礼した。
サイパン訪問は天皇陛下の強い希望で実現した。慰霊目的での外国の戦場への天皇訪問は初めてのことで、「象徴天皇としての限度を超えるのではないか」との疑義が出る可能性もあったが、あえて踏み込んでの訪問だった。