• ひとの生きる力になる番
  • こんなステキな世界をありがとう
  • 見えないのに、見えた
  • 理想の関係を見た気がした
  • 人生の絶望と思っていた でも 今は違う

 心の中にはずっとパラスポーツへの思いがあった。

 「新しい地図」が立ち上がり、朝日新聞のパラリンピック・スペシャルナビゲーターとなったことで、パラアスリートの皆さんとまた向き合うことができた。

 リスタートは、東京大会開幕1千日前(2017年)だった。ボッチャやパラパワーリフティングなどを体験し、競技のすごさや楽しさを知った。18年は韓国・平昌へ。冬季パラリンピックを現地観戦し、大会の熱にこの肌で触れた。香取慎吾が感じたこと、見てきたものを、これまでみんなと共有してきた。だから、これからもずっと一緒に歩んでいきたい。

ひとの生きる力になる番 ひとの生きる力になる番

(2017年11月、朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーター就任)

 その話を聞いた時、うれしい気持ちが胸の内から湧き上がってきたことを、今でも思い出すことができる。「新しい地図」の開設が発表されたのは、ちょうど2カ月前で、僕はそこから一気に走り出そうと思っていた。だけど、いざスタート地点に立つと、何をしていけばいいのか先が見えず、立ち止まってしまう自分がいた。そんな僕の行く手を照らしてくれたのが、パラスポーツだった。

 そのさらに2年前、パラスポーツの競技団体を支えるパラリンピックサポートセンターの設立に合わせて、エントランスに大きな壁画を描かせてもらった。「さあ、これからパラと向き合っていくぞ」。そんな思いでいた矢先、思うように活動が続けられない状態になってしまった。

 その間もパラスポーツのことは、頭の中にずっとあった。でも、草彅(剛)くんと(稲垣)吾郎ちゃんの3人でスタートラインに立った時、考えていたのは正直、新しいチャレンジばかりだった。そんな時、再びパラスポーツをサポートできる役目をいただいて、ハッと気付かされた。「いやいや壁画を前に、パラスポーツを応援しようと言ってたじゃん」って。

 少し間は空いてしまったけれど、また応援させてもらえる場所にいられることがうれしい。だから、自然とそんな言葉があふれ出た。

 僕は今までずっと、たくさんの人に支えられてきた。だから、自分を通してみんなにもパラスポーツを知ってもらって、もっと関心を持つ人が増えて欲しい。支えられてきた僕が、今度は誰かの力になる番だと思う。恩返しの再スタートなのです。

こんなステキな世界をありがとう こんなステキな世界をありがとう

 障害者スポーツの祭典パラリンピックを、人生で初めて現地の韓国・平昌で観戦したのは、昨年3月のこと。夏季大会ではなく冬季大会だったけど、熱さは想像以上で衝撃を受けた。

 とにかくパラリンピックには知らない世界がたくさんあった。パラリンピックは五輪と比べてどこか閉鎖的な大会と思っていたけど、実際は華やか。現地で出会った選手たちには、笑顔があふれていた。それまで抱いていた大会のイメージが、どんどんと崩れていった。

 選手村の中に、失った体の一部の機能を補うための道具を直す修理サービスセンターが存在する。そこには、選手たちを縁の下で支える修理スタッフさんの奮闘があった。また、スキー競技会場では各国の競技、大会関係者が集まるラウンジで車いすや義足の方たちが、大会運営などについてコーヒーを飲みながら打ち合わせをしている様子を目の当たりにした。当事者同士が支え合う姿に、心が熱くなった。

 選手たちと対談しているだけでは分からない大会の熱を、現地で感じることができた。東京大会を1年後に控えた今、パラリンピックを肌で感じた経験は、僕にとってすごく大きなこと。多くの方々から、「パラリンピックに行かれたんですよね」と、声を掛けてもらえる。何か一つステキな称号をいただけたような気持ちになる。

見えないのに、見えた 見えないのに、見えた

 見えないことは、初めは恐怖でしかなかった。でも、感覚が研ぎ澄まされてくると、ぶわっとボールが見えたような感覚を捉えることができた。

 視覚に障害のある選手たちが鈴の入ったボールを投げ合うゴールボール。実際に体験してみて一番の印象は、「見えていないはずなのに、見えた」だった。

 見えない状態で動くことは、普段の生活ではほとんどない。だから、ゴーグルをつけて真っ暗になった時は、不安や恐怖がこみ上げてきた。でも、女子日本代表の天摩由貴さんや安室早姫さんにコツを教えてもらいながら実際に体験してみると、感じ方ががらりと変わった。コートのラインは、ラインテープの下にタコひもを通し凹凸をつけているため触って分かるようになっていたし、手で触ると何となくコートの全体図がイメージできた。足やボールの音で、ボールを投げようとする選手の姿を「見る」こともできた。

 競技で使うボールは大きくて硬くて、選手の皆さんも「嫌だ」と言うぐらい、体に当たると痛い。その痛みを感じながら思い出したのが、車いすラグビーの体験だ。あの時も、選手のみなさんは自分めがけて、思いっきり「タックル」を仕掛けてきた。半端ない衝撃を受けて心は折れそうだった。正直、そこまでしなくても競技のことは十分に分かるよ、と思っていた。

 でも本気で向き合ってくれるからこそ毎回、新たな発見がある。真っ暗な中で「見えた」経験はまさにそれ。きっと選手の言葉を聞いただけでは分からないものが、体験することで見えてきた。自分が感じた競技の難しさや楽しさを、みんなに伝えて、少しでも興味を持ってもらうのが、僕の役目なんだと思う。

理想の関係を見た気がした 理想の関係を見た気がした

 パラアスリートと企業が、向かうべき道を一緒に歩んでいる。そんな素晴らしい関係を知ったのは、再びパラスポーツと向き合い始めて1年が経ったころだった。

 この時、対談させていただいたのは、パラパワーリフティング男子54キロ級の西崎哲男さん。所属する乃村工芸社の一室にベンチプレス台を設置し、競技を体験。お話も聞かせてもらった。

 僕の中では、パラアスリートは、日々の練習場所の確保に苦労し、遠征するお金もなく、厳しい環境下で競技をしている印象があった。そういう選手は実際に今もいる。環境改善に目を向けることは必要。でも、パラスポーツの理想や夢を語ることも大事なんじゃないかと思う。

 乃村工芸社では西崎さんのためにウェートトレーニング室を新設し、大会出場は出張扱いで、交通費や宿泊費も会社が支援している。西崎さんも「こんな恵まれた選手はいないと思います」と笑っていた。一緒に夢を追いかけてくれるパートナーがいれば、選手は強くなれる。

 それだけのサポートを受けているのだから選手たちは相応の期待も背負うことになる。でも、幸せな環境で競技に向き合えているのだから、思いを寄せてくれる人の期待には、120%応えていかないと。

 今は僕も選手たちやパラスポーツを支える側にいる。これから競技を始めようと考えている子どもたちに夢を与えるような活躍を、と期待は膨らんでいる。

人生の絶望と思っていた でも、今は違う 人生の絶望と思っていた でも、今は違う

 パラスポーツと向き合い始めてから、考えるようになったことがある。それは、もし自分が事故や病気で体の一部の機能を失ってしまったら、ということ。

 パラスポーツに関わるまで、それは人生の「絶望」と思っていた。でも、これまで出会ったパラアスリートのキラキラした姿、試合で躍動する姿を見て、僕の考え方は大きく変わった。特に車いすラグビー日本代表の池崎大輔さんは、心の開き方がすごかった。障害を負う前と後で「人生二度おいしい」って。そんな言葉はなかなか言えない。

 仮に僕が事故などで障害のある体になってしまっても、パラスポーツと出会ったことで、残りの人生にあかりをともすことができると思っている。池崎さんからは「待ってますよ」と車いすラグビーに誘っていただいている。

 僕はパラスポーツが人生の光や糧になることを、たくさんのアスリートたちと触れ合うことで知ることができた。世の中にはまだまだパラスポーツと出会えていない人たちがいる。

 僕のSNSのメッセージには、障害のある子どものお母さんから忘れられないうれしいコメントがあった。パラスポーツの存在を慎吾さんを通して知り、子どもが大きくなったらやらせてみたい、と。

 僕が10、20代の頃から応援してくれている人の中には結婚をして、子どもがいる人もいる。ちょっと先が見えなくなっちゃうような状況になった時、こんな素晴らしい世界を見せてくれたと言ってもらえることは喜びでもあり、モチベーションにもなっている。もっとたくさんの人たちに伝えるため、これからもパラスポーツと真っ正面から向き合い続けていこうと思う。

2020年 日本の 新しい世界が 始まる。

香取慎吾さんのこれまでの主な取り組み

2017年11月

朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーター就任

18年3月

韓国・平昌冬季パラリンピックを現地観戦

7月

稲垣吾郎さん、草彅剛さんの3人が歌う障害者スポーツを応援するチャリティーソング「雨あがりのステップ」の売上金、約2300万円を寄付。

国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長から東京大会の特別親善大使就任を要請される。

8月

香取慎吾さんがパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」の連載開始。最初は陸上

11月

パラパワーリフティングに挑戦

19年7月

道着を着て視覚障害者柔道に挑戦。バドミントン卓球なども経験

東京パラリンピックのボッチャ会場となる有明体操競技場を訪問

ぼくが見てきたもの 見ていくもの 香取慎吾 2019年8月25日 公開

  • 企画

    入尾野篤彦

    池上桃子

  • 取材・構成

    榊原一生

  • 撮影

    遠藤啓生

    関田航

    北村玲奈

    西畑志朗

  • 制作

    白井政行

    寺島隆介

    (朝日新聞メディアプロダクション)