第2部 友と敵 分断する政治手法
敵と味方を峻別(しゅん・べつ)する――それは安倍政権の特徴の一つだった。敵と見なせば、ためらいなく批判を加える一方、身内への甘さがたびたび指摘された。社会に生まれた溝は深まり、いまも修復されずにいる。
第2部友と敵 分断する政治手法(近日公開)
麻生氏も心配した乱暴な「身びいき」 友情が残した禍根
安倍政権後半は身内への特別扱いを疑わせる問題が相次ぐ。首相が「腹心の友」と呼ぶ友人が理事長を務める加計学園の問題もその一つ。首相の「盟友」からは早くから危惧の声が上がっていた。
桜問題は「安倍政権の悪弊が凝縮」 元官僚トップの指摘
2019年の桜を見る会は晴天に恵まれた。会の成否が政権の行方を左右する――そんなジンクスを信じる自民党職員は胸をなで下ろした。しかし、この年の秋、会の問題が共産党議員に告発される。
石破氏に圧勝するため政治利用か 公費の「桜を見る会」
首相主催の桜を見る会は公費で運営されてきた。しかし、2018年は、安倍首相が自民党総裁選で石破氏を圧倒するため、政治利用された疑いがある。参加した地方議員らの本音は……。
熱狂的支持、敵に攻撃…トランプ氏と共通点 日本に傷痕
安倍首相とトランプ米大統領の共通点は「敵と味方」を峻別(しゅんべつ)する政治手法にあった。その手法は社会の分断を深めたと指摘される。安倍氏が戦った「敵」とは何だったのか。
第1部政と官 強すぎる官邸
学術会議VS官邸 「1行空白」の名簿、任命拒否の伏線
菅政権発足直後に政治問題化した学術会議の人事。それは安倍政権の時代から始まっていた。官邸と学術会議がせめぎ合う中で、学術会議側が生み出したのは「1行の空白」だったのだが……。
内閣人事局で強まった菅氏の力 「設計者」の想定超えた
いまや官邸による霞が関の人事掌握の象徴となった内閣人事局。その「設計者」は、菅官房長官が、ここまで強い人事への影響力を持つとは思わなかったという。彼の誤算とは。
「強すぎる官邸」 ゆがむ官僚との関係、コロナで表面化
■記者解説 蔵前勝久(政治部) 建物は完成したと同時に崩壊が始まる、と言われる。それは政治にもあてはまるようだ。 「安倍1強」と呼ばれた第2次安倍政権は、安倍晋三首相と、現首相の菅義偉官房長官が強い力…
石破氏VS安倍氏、崩れたライバル関係 「選挙の顔」今
第2次安倍政権は「安倍1強」と呼ばれた。国政選挙で自民党を大勝に導き続けた首相、安倍晋三が党内で圧倒的に力を持ち、首相官邸が絶対的な権力で霞が関を支配した。「1強」を生んだ遠因は最大のライバルだった元…
【動画】安倍政権は、敵か味方かを峻別した。社会に生まれた溝は深まり、いまも修復されずにいる。
なぜ高支持率が続いたのか
第2次安倍政権の流れ
(敬称略)2012年 |
9月 |
総裁選 安倍復帰 |
自民1強ゆりかご期 |
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12月 |
衆院選 大勝 |
石破 |
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2013年 |
7月 |
参院選 自民圧勝 |
自民1強完成期―安倍1強ゆりかご期
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2014年 |
9月 |
谷垣 |
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12月 |
衆院選 大勝 |
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2015年 |
9月 |
総裁選 無投票2選 |
安倍1強完成期=絶対的1強 |
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2016年 |
7月 |
参院選 自民圧勝 |
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8月 |
二階 |
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2017年 |
3月 |
総裁選3選可能に=1強の継続可に |
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10月 |
衆院選 大勝 |
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2018年 |
9月 |
総裁選 石破破り3選 |
安倍1強溶解=相対的1強
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2019年 |
7月 |
参院選 自民単独 |
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2020年 |
1月 |
コロナ禍 |
安倍1強崩壊
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8月 |
首相、辞任を表明 |
7年8カ月続いた第2次安倍政権。「1強」と呼ばれた政権が残した課題とは。
【動画】安倍政権から菅政権へと継承された権力の源泉が、人事権を活用した官僚の統治。「適材適所」という言葉は、こうした人事のレトリックとして使われてきた。最長政権の場面を振り返った。
【動画】安倍政権から菅政権へと継承された権力の源泉が、人事権をフル活用した官僚の統治でした。「適材適所」という言葉は、こうした人事のレトリックとして使われてきました。森友問題をめぐる佐川宣寿・財務省理財局長(当時)、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を行った横畠裕介・内閣法制局長官(当時)、そして黒川弘務・東京高検検事長(当時)の異例の定年延長を図った閣議決定――。7年8カ月にわたる「最長政権」の内幕をひもときます。
最長政権の土台 二つのライバル不在による高支持率
第2次安倍政権が史上最長になった土台は「二つのライバル不在」だった。
一つは自民党政権を脅かす強い野党の不在だ。2009年に民主党政権を生んだのは、第1次安倍政権以来、首相が1年ごとに代わった自民党政権の迷走を受けた「政権交代」への期待の風だった。しかし、同じように首相がコロコロ変わり、「決められない政治」と批判を受ける。支持率は低迷し、消費増税をめぐって党は分裂し、3年3カ月で政権を失った。
政権を奪還した安倍首相は「決められない政治」を反面教師に、経済政策「アベノミクス」など新政策を次々と打ち出した。民主党政権の失敗による有権者の失望は根強く残り、野党は支持率低迷を続けた。
もう一つは党内のライバルの不在だ。「麻生降ろし」などの党内抗争で政権を失った反省から、政権復帰後、党内の首相批判はなく、「安倍1強」状態を作った。石破茂元幹事長が批判の声を上げるようになったが、共感が広がる土壌は党内から消え失せていた。
弱い野党を相手に国政選挙で、安倍自民党は6連勝した。特定秘密保護法や安全保障法制など有権者に不人気の政策は選挙がない時期に推し進める一方、選挙前には、アベノミクスなどの経済政策を前面に出し、党は大勝した。
森友、加計学園問題など安倍首相を直撃する疑惑が発生すれば内閣支持率は一時的に下がったが、しばらくすれば元に戻った。ただ、内閣を支持する理由は、政権後半になると「他よりよさそう」という消極的支持が多くを占めた。