第1部 政と官 強すぎる官邸
平成の政治改革がめざした「官邸主導」の完成形とも言える第2次安倍政権は、史上最長政権となった。しかし、強すぎる官邸は霞が関に暗い影を落とす。そして、その先にあるのが菅政権である。
第1部政と官 強すぎる官邸
「2枚持ってきて」複数案求めた官邸 最高裁人事に侵食
昨春、SNS上で「#検察庁法改正案に抗議します」が話題になり、司法への官邸の人事介入が大きな政治問題となった。しかし、安倍官邸の司法への浸食は、それ以前から始まっていた。
政治介入防ぐ「壁」、菅氏は戻した 強まる司法への圧力
安倍官邸は最高裁の裁判官人事に加え、全国に八つある高裁の長官人事にも関心を寄せた。司法への政治の介入を防ぐため、血がにじむ思いで設けられた「壁」を前に、菅官房長官は。
学術会議VS官邸 「1行空白」の名簿、任命拒否の伏線
菅政権発足直後に政治問題化した学術会議の人事。それは安倍政権の時代から始まっていた。官邸と学術会議がせめぎ合う中で、学術会議側が生み出したのは「1行の空白」だったのだが……。
内閣人事局で強まった菅氏の力 「設計者」の想定超えた
いまや官邸による霞が関の人事掌握の象徴となった内閣人事局。その「設計者」は、菅官房長官が、ここまで強い人事への影響力を持つとは思わなかったという。彼の誤算とは。
【動画】安倍政権から菅政権へと継承された権力の源泉が、人事権を活用した官僚の統治。「適材適所」という言葉は、こうした人事のレトリックとして使われてきた。最長政権の場面を振り返った。
【動画】安倍政権から菅政権へと継承された権力の源泉が、人事権をフル活用した官僚の統治でした。「適材適所」という言葉は、こうした人事のレトリックとして使われてきました。森友問題をめぐる佐川宣寿・財務省理財局長(当時)、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を行った横畠裕介・内閣法制局長官(当時)、そして黒川弘務・東京高検検事長(当時)の異例の定年延長を図った閣議決定――。7年8カ月にわたる「最長政権」の内幕をひもときます。
なぜ高支持率が続いたのか
7年8カ月続いた第2次安倍政権。「1強」と呼ばれた政権が残した課題とは。
最長政権の土台 二つのライバル不在による高支持率
第2次安倍政権が史上最長になった土台は「二つのライバル不在」だった。
一つは自民党政権を脅かす強い野党の不在だ。2009年に民主党政権を生んだのは、第1次安倍政権以来、首相が1年ごとに代わった自民党政権の迷走を受けた「政権交代」への期待の風だった。しかし、同じように首相がコロコロ変わり、「決められない政治」と批判を受ける。支持率は低迷し、消費増税をめぐって党は分裂し、3年3カ月で政権を失った。
政権を奪還した安倍首相は「決められない政治」を反面教師に、経済政策「アベノミクス」など新政策を次々と打ち出した。民主党政権の失敗による有権者の失望は根強く残り、野党は支持率低迷を続けた。
もう一つは党内のライバルの不在だ。「麻生降ろし」などの党内抗争で政権を失った反省から、政権復帰後、党内の首相批判はなく、「安倍1強」状態を作った。石破茂元幹事長が批判の声を上げるようになったが、共感が広がる土壌は党内から消え失せていた。
弱い野党を相手に国政選挙で、安倍自民党は6連勝した。特定秘密保護法や安全保障法制など有権者に不人気の政策は選挙がない時期に推し進める一方、選挙前には、アベノミクスなどの経済政策を前面に出し、党は大勝した。
森友、加計学園問題など安倍首相を直撃する疑惑が発生すれば内閣支持率は一時的に下がったが、しばらくすれば元に戻った。ただ、内閣を支持する理由は、政権後半になると「他よりよさそう」という消極的支持が多くを占めた。