花を奉る

石牟礼道子

春風きざすといえども われら人類の劫塵ごうじんいまやかさなりて

三界いわん方なくくら

まなこを沈めてわずかに日々を忍ぶに なにに誘わるるにや 虚空はるかに 一連の花 まさに咲かんとするを聴く ひとひらの花弁 彼方かなたに身じろぐを まぼろしのごとくにれば 常世なる仄明かりを 花その懐に抱けり

常世の仄明かりとは あかつきの蓮沼にゆるるつぼみのごとくして 世々の悲願をあらわせり かの一輪を拝受して 寄る辺なき今日こんにちの魂に奉らんとす

花や何 ひとそれぞれの 涙のしずくに洗われて咲きいずるなり

花やまた何 亡き人をしのぶよすがを探さんとするに 声に出せぬ胸底のおもいあり そをとりて花となし みあかりにせんとや願う

ともらんとして消ゆる言の葉といえども いずれ冥途めいどの風の中にて おのおのひとりゆくときの花あかりなるを この世のえにしといい 無縁ともいう

その境界にありて ただ夢のごとくなるも 花

かえりみれば まなうらにあるものたちの御形おんかたち かりそめの姿なれども おろそかならず

ゆえにわれら この空しきを礼拝す

しかして空しとはわず 現世はいよいよ地獄とやいわん

虚無とやいわん

ただ滅亡の世せまるを待つのみか ここにおいて われらなお 地上にひらく 一輪の花の力を念じて合掌す

二〇一一年四月二十日

折れたまま咲く花に

石牟礼道子さんインタビュー

二〇一二年三月六日掲載

 ――「苦海浄土」という作品で、水俣病の現実を伝えました。

 「詩人や小説家というのは一種のヒマ人。『ヒマ人』というのは悪い言葉です。特に皆さんが農業をしてせっせと肉体労働しているときに、お昼間から主婦が紙を広げて、筆やペンにも自分の好みを通して、うわごとのようなのを書き付けている。はたからみれば、一種の道楽者でございます。私自身は、一生懸命考え、真剣ではありましたけれども、どこか気が引けているんです。はたからみれば、遊んでいるようにみえるのでは、と」

 「わたくしの父は『道子、おまえが男なら獄門さらし首ぞ』といいました。チッソの城下町といわれている水俣で(『苦海浄土』という作品を通じて)チッソを非難したり攻撃したりして、と。母は応援してくれましたが」

 ――原発事故による放射性物質の拡散。環境汚染という意味では水俣病に似ています。

 「水俣病の認定の申請者を行政は絞り込もうとして、やっきになっている。申請に期限を切り、いつやめさせようかと。(水俣病については)原因がはっきりしてからも17、8年、(有害物質を)流し続けるのをやめさせなかった。それなのに、患者が新たに出てくるのをやめさせようとしている」

 「原発の被害はもっと空恐ろしいことになるのではないでしょうか。目にはすぐはみえません。この国では、過去には原爆でたくさんの人たちが殺された。そしてまた今度も、まるで実験みたいに、日本人が原発事故を引き受けざるをえなくなった。もうたいがいにしてくださいよ、といいたい。文化的にも、大変、情緒のある独特のものをこの国は持っているのに」

 ――原発の被害はどこまで広がるのか、予測がつきません。

 「分からない、体験したことのない世界です。なんで、そんな体験したことのないもの(苦しみ)を、日本人が幾重にも引き受けるんだろうと。あんまり人がいいからなのかな、と思ったりします。お尋ねしたいですよ、答えがあるものなら」

 ――震災後の世界で生きることについて、どう考えていますか。

 「人間の絆、ということを改めて考えました。被災地で、1枚の毛布に4、5人がくるまって、一夜を明かされた、というのをうかがいました。新しい絆が静かに生まれつつあったのだろうと思いまして。人間は絆でしか救われないのではないか。全く知らないもの同士でも絆は生まれますよね」

 「ごく最近、友人を亡くしました。その方が生前、けがをなさったときに、お見舞いのお電話をして『さぞご不自由でしょう』と申し上げました。わたくしも病気(パーキンソン病)を患い、足と腰の骨を折りまして、ほんとうに不自由ですので。そうしたら、その方は『(けがで体が不自由になったので)左の手が働き者になりまして』とおっしゃった。ユーモアでわたくしを励まそうとしていた。自分がつらいことは絶対におっしゃらなかった」

 「胎児性水俣病の患者さんたちは、病気のために、ごく普通のことができない。自分で風呂に入れないし、お箸も握れない。歩くこともできない。それなのに、わたくしがこの前、お見舞いに行きましたら、車いすで近づいてきて(私のことを)抱こうとなさった。人の体に触れることも難しいんですよね。抱こうとしてのけぞってしまわれたんです。それでも何とか近づいてきて。わたくしの方が励まされました」

 ――震災の死者たちについてはどう考えていますか。

 「死と生はつながっていると思っています。ほかの生物の死に取り囲まれて、花が開く。私たちは、ほかの人たちの死によって生かされている。私はそのことをつたない言葉で表現することしかできません」

 ――朗読した詩「花を奉る」の解説をお願いします。

 「震災後、がれきの中で小さな野の花が咲いているのをテレビで見ました。折れているのに、下を向いたまま花を咲かせていた。上を向いて咲きたかったろうに。生命とは、こういうものと思って、励まされましてね。花も傷ついている、生傷を全身にうけながら花を咲かせている。それは私たちの心をも表現している。(花から)呼びかけられているとも思いました」

(聞き手・赤田康和)

石牟礼道子

いしむれ・みちこ 1927年熊本県天草生まれ、水俣育ち。『苦海浄土――わが水俣病』で水俣病の現実を描いた。全詩集「はにかみの国」や新作能「不知火」など。第1回大宅荘一賞に選ばれるも辞退。紫式部文学賞、朝日賞など。本作は2011年夏に発表したもの